第二話 昨夜の出来事

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第二話 昨夜の出来事

 私はラザフォード侯爵家に務める侍女、メイリン。遠い外国の出身で、この国風の名前にする為にメイと名乗っている。薄茶色の髪に茶色の瞳。見た目はどこにでもいる普通の二十五歳。  この国の結婚適齢期は十八から二十五歳。出自に秘密がある私が行き遅れ気味なのは仕方ない。いっそのこと独り身で生きようかと考えている。  私は今、侯爵家の屋敷ではなく、辺境の古城にいる。今年二十歳になる王子の王子妃候補選びの為、十五から十八歳までの貴族の娘三十六名が集められていて、私が仕える侯爵家令嬢も参加している。  騎士の部屋で起きたのは朝日が昇る前。この時間に使用人用の浴室は使えないので、浴室を借りてシャワーを浴びることにした。魔法石を動力源にした温水装置は、辺境の地にある古城でも行き届いている。  浴室に置かれた石けんと香油は貴重な香料を使う高価な物だと匂いでわかる。好みとは全く違うけれど、自分の部屋ではないのだから使うしかない。 「泡立ちも良くないなぁ……」  自作の石けんの方が遥かに良質。溜息を吐いて体を洗いながら、昨日の夜のことを思い返す。  昨日、古城から抜け出して近くの村で買い物をした私は、荒れた裏庭の林の中にひっそりと隠れていた扉から城へと戻った。性別を隠すために着ていたフード付きのマントを脱いで腕に掛け、荷物を抱え直した時に声を掛けられた。 「どこへ行っていたのですか? 今回の審査が終わるまで、令嬢とお付きの侍女は無断で外に出られない決まりです」  突然現れた灰色の短髪の騎士は見上げるほど背が高く、青い瞳は鋭い光を放っている。今すぐにでも斬られてしまうのではないかと、脚がすくむ。 「えっ! あ、そ、その……」  動けないまま、近づいてきた騎士を見上げていると、抱えていた壺を取り上げられた。返してと言いたくても怖くて口も動かない。   騎士はすばやく壺の封を開け、匂いを嗅いだ。 「……麦酒?」 「…………はい」  騎士の表情に困惑の色が滲む。 「これ程の量を誰が飲むのです?」  壺には、たっぷりと麦酒が入っている。 「あ……その……私……です」  この麦酒は私がお仕えしているお嬢様の為に買って来た。お嬢様は事情があって十七歳と偽って、この王子妃候補選びに参加している。未成年の飲酒が許されないこの国では、私が飲むと言うしかない。 「……昨日も同じような壺を持っていましたね」  隠しきれないくらいに体が震えた。誰にも見られていないと思っていたのに。 「き、昨日の麦酒は偽物だったのです……」  近くの村へ行く途中、偶然通りがかった行商人から買った麦酒は色付きの水だった。 「ほう。これはこれは、よほどの酒好きという事ですか……私の部屋に美味い麦酒があります。独りで飲むのは惜しいと思っていたのですが、いかがです? この酒と飲み比べてみませんか?」  青い目を細めて笑う騎士の顔は、有無を言わせない迫力があった。 「は……はい……」  お嬢様に迷惑は掛けられない。何とか誤魔化そうと思って騎士の部屋に行き、手渡されたカップに注がれた、初めての麦酒を一気に飲み干した。  ――私が覚えているのはここまでだ。次に気が付いた時には、騎士のベッドの中にいた。  浴室の壁に描かれた紋様に手を当てれば、髪と体が魔法で乾く。誰でも魔法石の魔力を使えるようにした仕組みは、遠い外国の魔術師が発明して伝播した。魔法石は安価に売られていて、今では貧しい平民の家にも設置されている。私が生まれた国では、この装置があるのは皇都と貴族の屋敷だけだった。  紺色のくるぶし丈のワンピースを着用し、腰まで伸ばした髪を結い上げて紺色のリボンを結ぶ。いつもの朝の支度が特別な物に感じるのは、この化粧台が豪華なせいだろう。  騎士が滞在する客室は、使用人用の部屋とは全く異なっている。花が彫刻された家具が置かれ、歪みのない鏡が掛けられていて、貴族の部屋と変わらない。  着替えを終えて扉を開けると、騎士も白シャツに黒のトラウザーズに着替えていた。椅子に掛けられた緑青色で特徴のある上着は騎士専用の服。 「申し訳ありません。浴室をお借りしてしまって……」 「ああ、俺は昨日寝る前にシャワーを浴びたからな。顔だけ洗えば完了だ」  せめて手伝いをしようと、顔を洗った騎士に身拭い布(タオル)を手渡す。 「俺はクレイグ。お前の名前は?」 「……メイ、です」  誰にも本名は教えることはできない。この国で私の本名を知っているのは侯爵夫妻だけで、お嬢様すら知らない。 「メイ……か。じゃあ、今夜、待ってるからな」  意地悪な笑顔をしたクレイグは、お嬢様が待つ塔まで私を送り届けてくれた。
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