百合

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 今朝に限っては小町さんのノックよりも先に目が覚めた。  大きく伸びをし、顔を洗って着替えるなりすぐにキッチンへ向かった。  今日のためにと、小町さんと一緒に考えたサンドイッチの具材は、ゆで卵をつぶしてマヨネーズと塩こしょうを混ぜ合わせたものと、薄切りにした鶏ハムをレタスと一緒に挟んだものの二種類になった。  控えめに言って、頭がパンクしそうだった。できないことよりも、専門用語に悩まされた。もしかすると、サンドイッチ作りでそんなに難しい言葉を使うことはないのかもしれないけれど、さすがは小町さん、簡単なことも難しくしてしまうのだから、こちらも必死だった。  塩ひとつまみと少々の微妙な違いは、結局最後までよく分からず顔が歪みそうだった。  卵のゆで時間で美味しさが決まるのだと、夢に出てきそうなほど繰り返し教えられたおかげもあり、完璧なゆで卵が出来上がりとりあえずは安心した。  中でも一番時間がかかったのは、鶏ハムを切るという行為だった。なにしろ覚えている限りでは包丁を握った記憶がなかったからだ。それに加え、鶏ハムの幅は五ミリだと絶対に譲らない小町さんに、どうかすればめまいがしそうだった。  練習の成果が出たかどうかはさておき、どうにかこうにかサンドイッチを潰さずにお弁当箱に詰め終えた瞬間、大きなため息と同時に、腰が抜けたかのように椅子に座り込んでいた。 「お疲れ様でございます。とっても美味しそうですよ」  にっこりと微笑む小町さんに一応の笑顔を返すけれど、ひきつっているのが自分でもよく分かる。 「ねぇ、お弁当作るのってこんなにも大変なの?」  思わず本音がこぼれた。 「何事も初めからうまくはいかないものです。時間はかかりましたが、さすがお嬢様、初めてとは思えないほど本当に美味しそうです。きっと、お相手の方も喜んで下さるはずですよ」 「本当にそう思う? お世辞抜きに正直に言って」 「本当にそう思います。こんなに頑張ったんですから、絶対に喜んで下さいますよ」 「うん……」  黒木さんとの待ち合わせは美術館の非常階段になった。あいにくの曇り空を少しばかり恨めしく思わなくもないけれど、返って夏空のような日でなくて良かったとも思った。  非常階段の端に座り、ランチクロスに包んだお弁当を膝の上で抱える。  約束の時間まではまだもう少しあった。  不意に、なんだか不思議な気分になった。この場所へはよく来るのに、ここに座ったのは初めてだった。  この場所は、しゃがんでしまうと途端に視界が狭くなる。いつも眺めている感じとは、全く別の場所にいるみたいだと思った。  ここから見えるものと言えば、遠くの壁沿いに植えられたノウゼンカズラくらいだ。花が咲くのは早くても来月あたりだろう。前からそこにあるのは知っていたけれど、あのノウゼンカズラには、いつもどこか、違和感のようなものを感じていた。
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