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百合
この世の中、趣味が高じて本業になってしまう人は決して珍しくないだろう。
私の祖父、如月幸次郎のそれは、趣味の域をはるかに越えていると言っても過言ではない。
絵画、日本画、彫刻、骨董など、美術品と名の付くものは有名無名を問わずどんなものでも好んで買い集めてきた。そんな、計画性のない集め方をしてきたものだから、本人ですら把握しきれていないそれらに困り果てた使用人が言った一言が、「美術館でも創られてはいかがでしょうか?」、だった。まさかだけれど、その一言で如月美術館は生まれた。さらには二十年後のゆりなが生まれた年に、美術館の隣に日本画専門の美術館が誕生した。初孫の誕生をとても喜んだ祖父が、満を持して建てたのだと、本人のみならず、周囲の人間からも耳にたこができるほど聞かされてきたゆりなは、始めこそ愛想よく受け答えをしていたけれど、今ではほとんど感情のない笑みを返すだけになっていた。面倒だとか、そういったことではなく、それ以外に答えようがないからだ。
ゆりなにとって幸か不幸か、あまりにも多くの芸術作品に囲まれて育ったことが、かえってそれらの価値を分からなくさせた。一枚数百万円から数億円の絵画やなんかが当たり前に生活の中にあると、それらはいつの間にかただそこにあるものになってしまっていたのだ。ある種悩みと言えばそうなのかもしれないけれど、それが悩みだと言われなければ本人すら気が付かないのも事実だ。
こんなにも贅沢な環境にいながら、芸術の才能が全くと言っていいほど備わっていないのが現状で、絵画を見ても、素敵だとは思ってもそれだけで、日本画に関して言えば興味すら湧かなかった。祖父には言えないけれど、日本画専門の美術館の方へは、足が進まない。
いつだっただろうか、世話係の小町さんがこんな話をしていた。
世界的に有名な画家が描いた作品は、作品よりも有名画家が描いたという事実に意味があり、それが大きな付加価値となる。さらには、描かれた当時よりも、彼らが亡くなった数百年後の今になってから注目を浴びることの方が多く、何倍、何十倍、何百倍と、想像を遥かに超える価値が付くのだと。
もう決して手に入らない一点物だからこそ、物好きなどこかのお金持ちや、あるいはどこかの国のお偉いさんなんかがこぞって手を上げる。あるいは、その代理人がスマートフォンを耳に当てながらそうするのが世の常らしい。
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