百合

21/31
前へ
/86ページ
次へ
「ねぇ──」  吐き出し切れていない煙と一緒に話を続けた。 「前から思ってたんだけどさ、この場所って、立ってるのと座ってるのとじゃあ景色が全然違って見えるよね。って、俺だけかな?」 「それ、私もずっと思ってました」  「本当に?」、とでも言わんばかりに眉をひょいっと上げた。 「何て言うかさ、座った途端に視界が狭くなる分、気持ちまで窮屈になるっていうか、息苦しくなるっていうか。立ち上がらないと誰にも見つからないのに、誰かに見られてるみたいな。うまく説明できないけど、とにかく不思議な感覚なんだよね」  彼の感じる不思議な感覚と全く同じかどうかは分からないけれど、ものすごく共感した。  特別何があるわけでもない目の前の景色を見て、ここまで不思議に思うこともなのだけれど、なんと言うか、この景色には言葉では説明できない何かを感じているのは事実で、まさかそれを黒木さんと共有できるとは思いもしなかった。 「俺、この美術館に来てすぐにこの場所を見つけたんだけどさ。その、ゆっくりたばこ吸える場所を探してただけっていうか、さぼってただけっていうか。まぁ、そもそもここ、禁煙なんだけどさ」  悪びれる素振りを見せつつも、口元は笑っている。 「たまには息抜きも大事ですから」 「ありがと」  他愛のない話を続けながらも、頭では違うことを考えていた。来月に迫った黒木さんと自分の誕生日のことだ。もちろん、勝手に考えているだけのことだけれど、ほんの少しの可能性を信じて、今日こそはと、それこそ勝手にドキドキしていた。けれど、こんな時に限ってなかなか会話が途切れず、言い出すタイミングばかりを探っていた。 「あ、あの……」  彼が口を閉じた瞬間、今だと言わんばかりに声を出していた。勢いもあったせいか、自分の声の大きさに自分で驚いた。 「どうしたの?」  少なからず彼も驚いた顔をしている。 「あの、ですね。誕生日なんですけど、もう予定入ってますか?」 「いや。確かその日は仕事だったと思うよ」 「あ、そうなんですね。その、一緒にお祝いできたら嬉しいな、なんて思っただけで。ですから、今のは気にしないで下さい!」  後半は、思い切り早口になっていた。彼が小さく笑うから、どうしようもなくてまぶたを伏せた。 「いいよ」  断られるとばかり思っていたものだから、彼の返事に気の抜けた声が出た。 「仕事終わってからでもよかったら、一緒にお祝いしよっか?」  彼がそう言うや否や、「はいっ!」と子供みたいに答えていた。恥ずかしくなり、慌てて両手で顔を隠すようにするけれど、今さらだった。
/86ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加