最終話 この手の中に ~平民公爵の独白~

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最終話 この手の中に ~平民公爵の独白~

 幼い頃はエミーリヤと結婚するのだと思っていた。  いつもエミーリヤは僕の後にいた。無視していても着いてくる。転ぶと泣くのでうるさいから手を繋ぐことにした。手を握るとエミーリヤは笑顔になる。僕にはそれが不思議で仕方なかった。  強く握ると痛いと泣く。どこまで我慢できるのか何度も繰り返してみると、そのうち、痛みをこらえて笑うようになった。緑色の目には涙を溜めているのに笑う。不思議に思って、何度も繰り返してみたけれど、そのうち涙もなく笑うようになった。  僕が不機嫌になると、エミーリヤは視線が落ち着かない。僕が黙っていると、ポケットからお菓子を出したり、小さな物をくれるようになった。  僕は何も言っていないのに。そう思っていたけれど受け取ってしまう。そのうち、もらえる物はもらっておけばいいと思うようになった。  五歳の時、銀の精霊のようなスヴェトラーナの姿を見た。馬車が通り過ぎる一瞬、青い瞳と目が合って僕は彼女を手に入れるのだと強く感じた。  銀の精霊は僕のものになるはずだ。それは間違いなく確信だった。  平民の僕が王女を手に入れる方法を幾通りも考えて、エミーリヤの意見を採用した。エミーリヤの準備は僕が考えるよりも完璧で、妬ましいと思いながらも、上手く使えばいいという結論に至る。  勉強は苦にはならない。教科書は一度見れば覚えてしまう。応用を求められると少し迷うが、組み合わせればどうとでもなる。  エミーリヤは僕が黙っていても次々と準備を整えてくれて、いつの間にか僕は王都の学校へと行くことが決まっていた。学校へ行くことに不満はあったが、王女の近くにいられるという魅力があった。  王都の学校では、凄まじい階級社会が待っていた。僕のような平民は最下層と見下される。学問の前では誰もが平等だという学校長の言葉は嘘だった。  同じ最下層と見下される下級貴族や豪商の子息たちと行動を共にすることで、陰湿な嫌がらせを避けることにした。自分たちを上層だと考えている者たちは身分が高い貴族とはいえ、相当な馬鹿だ。逆に嫌がらせをしても僕だとは気が付かない。  上級貴族から何かやられたら正体がわからないようにして、やり返す。僕はその方法を周囲に教えた。僕は直接手を汚さない。入学から半年もたたないうちに、僕は最下層の生徒たちに救世主だと思われるようになった。それが始まりの合図になった。 「僕たちは友達だろう?」  微笑んで、目の前の人間から何が引き出せるのか考える。最小の労力で最大の成果を得る。それはゲームのような面白さだった。  彼らが心の底で求める言葉を囁き、彼らの信頼を掴む。時には痛みを罰として与える。罰を与える時は、けして僕のせいだと思わせてはならない。自分が悪いのだと思わせることが大事だ。  僕は彼らの非を責めることはしない。常に僕は被害者で、彼らは加害者でなければならない。  彼らが感じる自責の念が、僕に対する妄信に変わることを知っている。それらはすべて、エミーリヤで実験済だ。 「君はありがとうという言葉を知らないのかね」  ある日、老齢の教師が僕を叱責した。感謝をしろといわれても、それが一体どんな感情なのか全くわからない。他の人間が僕を助けるのは当たり前だし、僕は当たり前の物を受け取っているだけだ。 「……すいません。僕は平民なので、言葉が足りていないのですね」  殊勝な表情を作って詫びると教師が怯んだ。王都の学校に通う者は殆どが貴族だ。その中で平民が混じっていること、これは武器にするしかない。  弱い平民を差別してしまったと、酷い言葉を掛けてしまったと教師に錯覚させることは容易いことだった。差別をした自分を嫌悪させ、僕に従うように誘導していく。    僕が何も言わなくても、平民の僕を憐れんだ者たちが金や物を差し出してくれるようになっていった。僕は内心、馬鹿にされていると怒りながらも、弱い平民のふりをして受け取るだけだ。  どうにかして王女に近づきたい。そんな一心で貴族に擦り寄り、情報を集めた。昼間は下級貴族たちと友達のふりをして、夜は上級貴族たちと遊び歩く。  時折、一人、二人と僕の周囲で自死が出る。僕を信じることができなくなったからだろう。痛みと恐怖と共に刷り込んだ証拠隠滅の命令は、心の奥底へと沈んでいく。恐怖に抵抗して忘れようとする心の動きは、僕の命令も記憶から消そうとして逆に深層へと送り込んでしまう。  周囲の人間が消えても、何とも思わない。替わりはいくらでもいる。  ある日、いつも僕の替わりに研究をしてくれる親友が首を切って死んでいた。かたわらには火の精霊が力尽きて倒れている。 「何だ。死んでしまったのか。つまらないな」  親友の研究は僕に周囲からの称賛を与えてくれていた。すでに提出した卒業論文も、内容はくだらないが素晴らしい称賛を受ける出来だった。彼の替わりを探すのは少し面倒だがしかたない。死者には何も必要ないと思った僕は、精霊を入れた檻を持ち去って自分の物にした。  卒業の半年前、遊び仲間の上級貴族が、〝恋人たちの宴〟に参加しないかと誘いを掛けてきた。主催がスヴェトラーナだと聞いて、僕は内心飛び上がるほど喜び、上質な夜会服を整えて夜会へと向かった。  〝恋人たちの宴〟は、醜悪なものだった。僕は他の女には興味がない。ただひたすらに、笑いながら宴を楽しんでいるスヴェトラーナの姿を見つめ続けていた。時折、青い瞳が僕を捕らえる。微笑みを交わすうち、宴の終わりには目での挨拶を受けた。  美しい銀の妖精の目に僕という個が映った。もちろんそれで満足はできない。この宴に参加していれば、少しずつでも近づけるという可能性を感じて、僕の心は浮き立つ。  その日には何も無かったが、しばらくして僕は学校長室に呼び出され、宴に参加した者たちと共に密かに捕縛された。一度は牢に入れられたものの、僕が何もしていなかったことが他者の証言で示され、僕だけが王城で軟禁状態になった。他の参加者は皆、処刑されたと聞いている。  スヴェトラーナが僕に恋している、結婚したいと言っていると王に告げられた時、僕の心臓は高鳴った。  スヴェトラーナと結婚する条件は、不老不死の魔法薬を作ることだった。僕は咄嗟に、それは理論上の物であり完成させるには長い時間がかかると嘘を吐いた。論文の内容を詳しく見ていなかったけれど、不老不死の魔法薬なんてあるはずがないと考えていた。  完成させるまで結婚できないのは困る。そう思っての言葉だったが、あっさりと認められた。豪華な結婚式の後、不老不死の魔法薬が完成できなければ王女と共に処刑すると王から告げられた。  スヴェトラーナとの結婚生活は難しい物だった。気まぐれな王女は感情の上下が激しい。辺鄙な屋敷で閉じ込められることを、スヴェトラーナは甘受しない。時には僕と一緒に屋敷から逃げ出そうと画策しては失敗して連れ戻される。  毎日なだめすかし、甘く囁いて機嫌を取る日々に、少し疲れていた。そんな中で、エミーリヤの存在を思い出して屋敷に迎えることにした。  ひさしぶりに見たエミーリヤは可愛い小鳥に成長していた。僕の言葉を素直に聞き、メレフに文字の読み書きを教える。火の精霊を従わせることにも役立ち、その上、財産を差し出してくれた。  スヴェトラーナが嫉妬する姿を初めて見ることもでき、これまで出会った人間の中で、一番便利に役立ってくれた。  宴の後、拘束された僕たちは王城へと移された。  ヴェーラ夫人についてはすべて調べられており、愛人や協力者と共に劇場近くの処刑場で絞首刑にされたと聞いている。  この六年、イグナート王子は婚姻を断り続けながらヴェーラ夫人が率いる犯罪組織を調べ続けていた。僕とスヴェトラーナの行動もすべて筒抜けだった。監視されているのだから仕方ない。  王城に到着すると、宴の存在が知られるまではスヴェトラーナを溺愛していたという王は面会することもなく、王の命令書だけが手渡された。僕たちは罪人として牢に繋がれ、スヴェトラーナは被害者全員への謝罪状を書き、僕は魔法薬の研究を行うように命じられた。  スヴェトラーナが罪人として髪を切られる際には酷く暴れた。ついには僕が抱きしめながら髪を切られることになった。長く美しい髪が切られるのは残念なことだけれど、それでスヴェトラーナの美しさが失われることはない。  その後、王城の一室と地下牢を二人で往復する日々が続いていた。スヴェトラーナは退屈だと嘆くけれど、僕は一緒にいられるだけで嬉しいと思っていた。  ある日地下牢へと戻る途中、突然スヴェトラーナが老婆のような姿に変化した。それを見ていた周囲の者たちは、王女にはこれまで殺した者たちの呪いが掛かっていると恐れた。  地下牢の中、老婆の姿で叫ぶ王女に王城のすべての者たちが恐怖した。僕は若返りの魔法薬を屋敷から取り寄せることを許され、スヴェトラーナは一時の美しさを取り戻した。  魔法薬は毎日消費されていくけれど、王城には火の精霊がいないので、僕は魔法薬を作ることができずにいた。急激に老化が進んだのは、魔法薬の副作用でしかありえない。命に係わるかもしれないと止めてはみるが、スヴェトラーナに懇願されれば渡すしかない。  魔法薬が残り少なくなった時、僕たちは屋敷に戻されることになった。幸せな結婚をしたはずの王女が呪いに掛かったという噂が出始めたからだという。  王家は平民から公爵になった僕と王女との結婚を、美しいお伽話のままで終わらせておきたいらしい。  僕たちが戻った屋敷から逃げ出すエミーリヤを見て、僕は残念に思っていた。便利な可愛い小鳥が逃げてしまう。そうは思っても、僕の願いは叶っているから、どうでも良い。  ……もしもエミーリヤと結婚していたら。  一瞬浮かんだ光景は、温かい家族の団らんだった。町の小さな家でエミーリヤとメレフとたくさんの子供たちに囲まれる。きっと騒がしくても、常に笑顔で過ごせる家だろう。エミーリヤが作る温かい料理を家族で囲む。そんな想像が心の中を駆け抜けていった。 「……今更だ」  窓の下、可愛い小鳥(エミーリヤ)大きな鳥(エフィム)に連れ去られていく。そうだ。僕はエミーリヤとは違う種類の人間だ。   僕の選択は間違ってはいない。僕はスヴェトラーナを手に入れるためだけに生きてきた。 「わたくしを殺して頂戴!」  手で顔を覆い、百歳を超える老婆のような姿でスヴェトラーナが叫ぶ。  若返りの薬も僕は最初から疑っていた。僕は止めたけれど副作用があってもいいから、どうしても飲みたいとスヴェトラーナは何度もねだり、僕は作るしかなかった。  部屋に置いてあった家具はすべて取り除かれ、床に敷物とクッションが置かれているだけだから、僕でも抱きしめて押さえ込むことができる。 「ダメだよ、ラーナ。君がどんな姿になっても、僕は君を愛してる」 「……この姿でも抱けるというの!? この醜い顔でも!」  手で顔を隠していたスヴェトラーナが顔を上げた。顔の美醜じゃない。僕はスヴェトラーナを愛している。 「もちろん。寝室へ行こうか」 「……ダヴィット……薬が効くまで待って……」  大人しくなったスヴェトラーナが、顔を赤らめる。先程服用した若返りの魔法薬が効き始めるまで、まだ時間がある。 「待てないよ。先に浴室へ行こうか。今日も僕が洗ってあげる」  恥じ入るスヴェトラーナを抱き上げて、浴室へと僕は向かう。  僕は、ようやくスヴェトラーナを手に入れた。  美しいスヴェトラーナは、僕が止めても独りであちこちに出掛けてしまう。僕はずっと落ち着かない気持ちで待っていた。誰かがスヴェトラーナに手を出してしまうのではないか、スヴェトラーナが誰かに恋してしまうのではないかと、常に疑っていた。  もうスヴェトラーナは外に出掛けることはできない。この屋敷の中で僕だけを見て、僕だけを求めるしかない。  僕の願いはこれ以上ない形で叶った。あとは不老不死の魔法薬を研究しているふりを続けるだけだ。もちろん、スヴェトラーナと一緒に処刑されるのなら、それでも構わない。 「愛してるよ。僕のスヴェトラーナ」 「…………………………愛しているわ……ダヴィット」  震える青い瞳は美しい。  僕は、銀の精霊を手に入れた。
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