巡る季節、決心

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 待ち合わせ時間は皆さんが巡察や稽古に出かけたあと、待ち合わせ場所は、前川邸を少し行ったところだ。場所を指定されると、まるで本物のデートのようだと思った。と言うか、本物のデートなのだけれど、一緒に屯所を出るよりも、ドキドキが二倍に感じる。 「沖田さん」  指定された場所で先に待っていた私は、彼の姿を見つけるなり、手を振り名前を呼んだ。  濃い紺色の着物の袖に、両手を入れて組んでいるだけで、相変わらず絵になっている。  自分だけに向けられる笑顔に、胸が心地良く締め付けられ、思わず胸元を押さえた。 「行こうか」  そう言われ、並んで歩き始める。  真っ直ぐなこの通りからは、ずっと遠くの空まで見渡せる。このまま、空の端まで歩いて行けそうだ。  少し前を歩く沖田さんの後頭部あたりを見ながら、歩調を合わせてくれる優しさに嬉しくなる。 「あの、どこに向かってるんですか?」 「ん──」  半分だけ顔を振り向かせた。 「久しぶりに君と日向ぼっこでもしようかと思ってさ」  言われて「ああ」となる。去年の春、私がまだこちらに来たばかりの頃、そして、私たちがまだ恋人同士でもなかった時、私が気まぐれに言った一言で、沖田さんと日向ぼっこをした。  あの時と同じ場所に、先日こっそりと一人で寄り道をした事は、なんとなく言わないでおいた。  鴨川は、今日も変わらずに穏やかに流れている。対岸の垂れ柳も、その姿を変える事ない。 「まさかもう一度君と来るなんて、思ってもなかったよ」  あぐらを組み、頭を大きく後ろに反らせると、まぶしそうに空を見上げた。 「でも今度は、全然違う」 「何が違うんですか?」  そのままの体勢で、目だけでこちらを向いた。 「僕の気持ち」  心臓が、大きく跳ねた。 「ねぇ、膝枕してよ」  答えるより早く、私の方に倒れかかってきた。そして、あの日と同じ格好になると、足を放り出した。その反動で、片方のぞうりが指の先に引っ掛かって止まった。そんな事を気にする事もなく、ゆっくりと一呼吸するなりまぶたをそっと閉じた。  今目の前にいるのは、新選組の沖田総司ではなく、壬生寺で子供たちと遊んでいる時の沖田総司だ。  刀を外し、肩書きを下ろした途端、まるで人が違う。もちろん比べるものではないけれど、どちらの沖田さんもとても魅力的だ。ただ、刀を握った瞬間に見せる、人が変わるほどの殺気を放つ姿は、どれだけ彼の事が好きだとしても、怖いと思ってしまう。  髪の毛をすくようにして頭を撫でていると、あの時と同じように、私の手の上に自分のそれを重ねてきた。 「僕、今ものすごく幸せだよ」  まぶたは閉じたままで言った。 「新選組を否定するわけじゃないけど、君とこうしてるとさ、色んな事から解放される気がするんだ。世間の声とか、しがらみとか、何て言うか、目には見えない色んな事を、一時的だけど、考えなくてすむから」  小指と薬指の間辺りを、彼の中指が変則的に動いている。 「大事だと思いますよ、こういう時間。息抜きと言うか、一歩引いて自分たちの事を見たり、反対に何も考えずに過ごしたりする事って、必要だと思います」  そう言うと、唇の両端をゆっくりと上げた。 「それに、沖田さんとこんなにも穏やかな時間が過ごせて、私も幸せです」  川の真ん中に立っていた鳥が、羽を広げて飛び立った。羽音が耳に心地良い。  今見えている景色が、聞こえてくる音が、全てが穏やかそのものだった。 「……僕は、君が好きだよ」  突然のそれに思わず「えっ」となる。 「僕は君が好きだから」 「……沖田、さん?」  ずっと瞑っていた目を開き、 「僕の気持ち、言葉にしただけ」  私の手をぎゅっと握りしめた。 「色々、不安な思いばかりさせてごめん」  その一言は、サヨさんの事を言っているのだとすぐに分かった。全てをなかった事にできるほど大人ではないけれど、今の一言は、私の中の不安を少なからず拭ってくれた。  分かっている、信じている。  自分に言い聞かせていただけで、何も解決はしていなかった。今さらながら、その事実を知らされた気がした。 「……もう、大丈夫ですよ」  それ以上でも、それ以下でもなく、本当に言葉通りだと思った。  彼は、微笑んだままで再びまぶたを閉じた。  沖田さんは、本気だ。本気で私と向き合ってくれている。それなのに私は、サヨさんに対する負い目や遠慮から、そうはできていなかったのかもしれない。だから、もしかすると私よりも沖田さんの方が不安で、私の気持ちを確認するように好きだと言葉にしたのかもしれない。  長いまつげをうらやましく思いながら見ていたけれど、いつの間にか、私の視線の先は彼の口元にあった。  その薄い唇に、何度も、何度も。  次の瞬間、はっとなり、思い切り視線をそらした。 「……どうしたの?」  そう聞かれ、見られていたのではと落ち着かなくなる。 「いえ、別に……」  心臓が、ばくばくとうるさい。 「君って相変わらず遠慮がないよね」 「どういう事、ですか?」 「見つめられすぎて落ち着かないんだけど」  目を見開くと同時に、すうっと息を吸い込んだ。それを、ゆっくりと吐き出す。  そっと伸びてきた手が、そろそろと頬に触れる。  私はこの人が好きで、好きで、どうしようもなく好きで、今まで本気で向き合えなかった自分に少しだけ後悔をした。  すると、自分の中の雲っていた部分が、何の前触れもなく、遠くまで見渡せるほどに澄みきった。  今、強く思う。帰りたくない。ここにいたい。沖田さんのそばに、ずっといたい。
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