巡る季節、決心

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 お風呂から上がり、人の気配を全く感じられない廊下を足音を立てないようにして部屋へ戻る。  襖を自分が通れる分だけ開け、体を横にして滑るように部屋の中に入る。ちらりと沖田さんに目を向けると、眠っているようだった。  持っていた着物を部屋の隅に置き、部屋を出る前に敷いておいた布団の中にさっと体を入れた。次の瞬間、布団の擦れる音と共に、沖田さんが寝返りをうつのが分かった。思わず身を固くするも、またすぐに静かになった。ほっとして目を閉じると、再び布団の擦れる音がした。起こさないように、息をひそめる。  しばらくして、私の布団がめくられるのが分かった。その手が誰のものか分かっていても、思わずビクッとしてしまった。その手は、何も言わずに私をぎゅっと抱きしめた。 「……山南さんのとこ、行ってたの?」  寝起きのような声だ。 「すみません、起こしてしまいましたよね?」 「ううん。眠れなかったから」 「それじゃあ余計に──」  言いかけると、「君が戻ってこないから」、寝起きの声は、甘えたようなそれに変わっていた。 「なかなか戻ってこないから、眠れなかった」  重ねてそう言うと、抱きしめる腕に力をこめた。 「すみません……」  私が謝ると、左手が寝間着の合わせからするりと入り込んできた。  出そうになる声を、咄嗟に飲み込んだ。  身をかがめ、その手を遠ざけようとするけれど、簡単にはそうはさせてはくれない。  乱暴とは違うけれど、その手は私を捕らえて離そうとはしなかった。 「……沖田さん」  ひそひそと名前を呼ぶ。  返事がない。 「沖田、さん?」 「……気にしないで」 「いや、あの、気になりますから」 「じゃあ──」  肩を掴まれ反転させられた。 「僕の事、もっと気にしてよ」  そこでようやく気が付いた。彼の行動が嫉妬からのそれだという事に。  言わない代わりに、彼の背中に腕を回す。  気付かれないように、唇だけで笑った。 「ねぇ──」  私の顔を覗きこむようにして言った。 「今笑ったでしょ?」  首を横に振る。 「君の下手くそな嘘なんてすぐに分かるんだから」  言われて言葉に詰まってしまった。 「ま、別にいいんだけど」  今度はいじけたような口調だった。まるで子供のそれみたいだとは、口が裂けても決して言えないけれど、それくらい表情がころころと変わるものだから、次第に可笑しくなってきた。 「怒ってるんですか?」 「別に……」 「怒ってますよね?」 「別に……」  はっきりしない沖田さんに、心の中でため息をつく。しばらく放っておこうと、彼の胸に顔を寄せて目を閉じた。途端、色んな事がどうでもよく思えるくらい、彼の温もりに心が癒される。  沖田さんはまだ意地を張っているのかずっと黙ったままでいる。だからと言って、怒っているのとは違う事くらいすぐに分かる。そもそも、怒っているならこんなにも優しく抱きしめてくれるはずかない。  誰も傷付く事のない、小さな嫉妬は、ものすこぐ良い意味で幸せをくれる。むしろ、これくらいの方が心地良いとさえ感じる事もある。  目を閉じているにも関わらず、緩やかにまぶたが下がってくるような不思議な感覚に、次第に意識が遠のいていく。  しばらくして名前を呼ばれた。目を開けるけれど、たぶんこれは、夢の中だ。誰かが私を呼んでいる。声は聞こえるのに、姿が見えない。男性なのか、女性なのか。声の正体を探すけれど、どこにも見当たらない。それなのに、姿は見えないけれど、安心感のある声に、嫌な感じはひとつもなかった。  いつの間にか、沖田さんの胸の中で眠っていた。 「くれは、お前も一杯どうだ?」  人差し指と親指でお猪口を作り、それを傾けたながら原田さんが言った。今日は久しぶりに幹部の方たちが揃っている。夕食後、誰が言い出したわけでもなく、そのままお酒を飲み始めた。 「いえ、今日は遠慮しておきます。その代わり、お酌させてもらいますね」  徳利を持ち、すぐさま原田さんの隣に腰を下ろし、どうぞと言いながら徳利を傾けた。 「原田さんには相変わらず恋文がたくさん届くらしいですね」 「平助か?」 「永倉さんです」  原田さんは、お猪口に口をつけるなり、口の中でふふっと笑った。 「あいつは顔を合わすたびにそればっかり言ってるよ」 「でも、否定しないって事は事実なんですね?」 「まぁ、遠からずってとこかな」 「答えまで男前ですね。それ、永倉さんが聞いたら色々と言われますよ」  笑みを含みながら、後半はひそひそと言った。 「お前はそういう浮いた話はねえのか?」 「わ、私は別に……」  あからさまに動揺してしまった私を見て、ふっと笑うなりこちらに少し体を傾けた。「嘘が下手くそな奴だな」、そう言っただけで、それ以上深くは聞いてこなかった。 「あ、あの、やっぱり私も一杯頂いてもよろしいですか?」  いいともだめだとも言わない代わりに、私から徳利を取ると、今度はお猪口を握らせてくれた。  私の顔に何か付いているのかと聞きたくなるほどに顔を覗かれ、意味深な間のあと、すっと目を細めた。それだけで、言いたい事が伝わってくるようだった。 「お前も、女だったんだな」 「え? ど、どういう意味ですか?」 「でも、妹が知らない男に取られちまうっていうのは、あんまりいい気分はしないもんだな」  鼻から大きく息を吐くと、しみじみといった感じでゆっくりとお酒を飲み干した。 「ま、俺はお前の味方だからよ」  徳利を軽く上げ、促されるままにお猪口を差し出す。 「原田さんはやっぱり、特定の人は作らないんですか?」 「ん、まぁ、今はな」  以前と違い、答えが曖昧だった。少なからず、いずれは誰かと、そんなふうにも取れた。  原田さんは確か、山南さんが亡くなった年に結婚している。新撰組一短気で男勝りな彼は、同じくらい誠実で情に厚い。だからきっと、奥さんの事をものすごく大切にしていたに違いない。  原田さんが選んだその人に、会ってみたいと思った。
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