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  声が、先程よりも低い。 「私は……」  私の言葉を遮って、話を続けた。 「ここは僕たちが稽古でよく使う場所です。そこに、この辺の人間じゃないあなたが、そんな格好でいれば疑われても当然ですよ」 「疑うって、私何も悪い事なんてしてません」 「そんなの、誰にも分からないじゃないですか」  言い返すつもりが、確かにそうだと思ってしまった。  言われている言葉は理解できるのに、意味が全く理解できなかった。 「あの、一つ聞いてもいいですか?」  恐る恐る口を開いた。 「今度は何ですか?」  ぶっきらぼうな口調だった。 「ここは、どこですか? 見る限り、お寺、ですよね?」  その人は、目だけでそうだと答えた。 「どこのお寺なんですか?」 「壬生寺(みぶでら)だけど」  開いた口が塞がらなかった。  まさか、そんなはずがない。けれど、目の前のその人が、嘘を言っているようには到底思えなかった。 「……その、壬生寺って事は、まさかここ、京都じゃないですよね?」  苦笑いしそうになるのをどうにか堪える。 「その、まさかだけど」  その答えに絶句した。  たぶん今まで、これ程の衝撃を受けた事はない。バンクーバーから羽田に向かう途中、どうすれば京都に来る事ができるのだろう。そもそも、京都に空港はないはずだ。 「……ごめんなさい。私、頭が混乱してて」  冷静になったかと思えば、再び訳が分からなくなる。おでこに手を添え、分からないなりに頭を働かせる。  しばらくして、ようやくこの状況から抜け出せるであろう考えが閃いた。と言うか、最初からこうしていれば良かったと安心すらした。  クラッチバッグの中を探り、スマホを取り出した。けれど、画面の上には圏外の文字があった。 「嘘、圏外……」 「あの、それは何ですか?」  を差しているのがスマホだと分かるのに、ゆっくり一呼吸分は時間がかかった。 「何って、これの事ですか?」  言いながら、スマホを持つ手を上げた。 「あなた、やはりどこかの間者ですか?」  その人の表情が、瞬時に豹変した。  私からさっと離れたかと思うと、こちらを真っ直ぐに見据え、片足を引いて刀柄(つか)に手を添えている。この状況を夢だと思いたくなる程、目の前で起きている事が現実すぎる。  次の瞬間、音もなく切先(きっさき)が私に向けられた。それを、初めて見たにも関わらず、疑う事なく本物だと確信した。 ──この人、本気だ……  そう思わせる空気が、身体中から感じられた。  恐怖よりも、混乱の方がはるかに大きい。  目の前に突き付けられた刀に、太陽の光が反射した。それに目が眩んだのか、それとも思考回路が停止したのか。記憶が、そこで再び途切れてしまった。  まぶた越しに光を感じる。徐々に意識が戻ってくる。そして、ゆっくりとまぶたを開けた。  目の前に見える天井が、自分の部屋のものではない事に気付くと、ものすごい勢いで上半身を起こした。  掛け布団を握り締めたまま、首だけを動かして部屋の中を見回す。 「ここ、どこ……」  思わず独り言が出た。  見た事のない部屋に、どうして自分が寝ているのか全く検討がつかなかった。  立ち上がり、息を潜めながら襖に手を掛ける。  部屋の外に出ると、すでに日は高く昇っていた。  廊下から周りを見渡すけれど、どこにも人の気配はなく、とりあえずこの家に住んでいる人を探そうと、ゆっくりと廊下を進んで行く。すると、突然後ろから声をかけられた。 「ねぇ、どこに行くの?」  驚いて振り返る。と同時に、夢ではない現実に体が硬まった。  私のすぐ後ろで立っているのは、壬生寺で会ったその人だったからだ。 「……どこって、あの、ここはどこですか? それに私、どうしてそこの部屋で眠っていたんですか?」 「とりあえず、付いてきてもらえますか?」  私の質問には答えず、さらには私には選択肢のないような口調に、不本意ながらも頷いた。  一応は、警戒しながらその人の後ろを歩いて行くけれど、そんな私にはお構い無しと言うようだった。  すぐ近くの部屋に通されると、部屋の中には数人の男性があぐらを組んで座っていた。  威圧感が、半端ではない。と思ったのもつかの間で、上座の中央に座っている男性が、ほんの少しだけ口角を上げた。 「そこに座りなさい」  思ったよりも口調が優しい。だからではないけれど、素直にその場に腰を下ろした。 「君はいったい何者なんだね?」  いきなりのこの質問は、非常に困る。 「あの、何者とは、どういう意味ですか?」  恐る恐る聞き返す。 「お前、言葉の意味も分かんねぇのか!」  質問してきた男性の、右隣に座っている男性が、多少声を荒げながら私を睨んでいる。  顔が、怖すぎて声が出ない。ただ、見覚えのある顔だと思った。 「……あ、あの。私は、ただの大学生です」  なんとなく、この人たちにはその答えが不正解な気がしたけれど、私には、それ以上自分を説明できるものが何もなかった。 「だいがくせい?」  壬生寺で会ったその人が、私の言った事を丁寧にも繰り返した。 「はい、そうです。あの、どうして私はここにいるんでしょうか?」  その質問に、その場にいた全員が不思議そうな顔をした。 「いやいや、それはこちらが聞きたいんだよ」  再び、上座の中央の男性が答える。 「君、壬生寺で倒れていたそうじゃないか」 「はい、そうなんですけど。自分でも、どうしてあそこにいたのか分からないんです。気付いたらあそこにいて、そしてまた、気付いたらここにいました」
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