檸檬少女、或いは人間失格

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 九月一日の砂浜は、夏の残滓で溢れている。  それはたとえば、人間さまが置き土産にした空き缶や花火の残骸。そうなることが運命であるかのように、ただ転がっている海月や蟹の死骸。そしてそれらにたかる無数の蛆虫。風鈴ではなくハエの羽音が、夏の音色だ。  平日であるきょうこの日。昨年までと同様に有給をとった私は、とある義務感に依って国道のアスファルトの上から眼前に広がるその悪趣味な景色と、鈍色の海を眺めていた。鈍色、というのは決して比喩ではない。私にとっては海は絶対的に鈍色なのだ。  ――共感覚、という。  私はモノに対して特定の色を感じる。夏は黄色、海は鈍色、といったように、色彩がそこにあるようにまざまざと視える。もし私が宇宙飛行士だったならば、地球は鈍色だった、という名言を残しただろう。さらに厄介なのは《におい》を感じとる場合もあり、しかしどのようなときににおうのか、私にもよくわかっていない。ただ、それには前兆があって、においを感じるまえに鼻がひくひくというか、むずむずするのだ。そして、今朝目覚まし時計を止めてからずっと、鼻にそのような違和感があった。  なにかにおいが立ち込めてくる気配が、この砂浜からもひしひしと感じられた。
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