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少女は、堤防の先端に佇みながら、翡翠色の潮風に長い黒髪がなびくのが鬱陶しいというように、乱暴に手で押さえつけていた。セーラー服は白である。だが、真っ白ではない。どこか濁った白。そしてそれを着る少女は、檸檬色だった。夏の黄色と似ているが、少し違う。黄色よりも暗い、薄い灰がかったような檸檬の色。私は心の中で彼女のことを檸檬少女と呼ぶことに決めた。
堤防の横幅は五メートルくらいあるから、檸檬少女と横並びになるのは容易だ。だから私はそうしようとした。もし彼女が私を不審に思えばこの場から去るだろう。そうなる可能性は高いと思えた。
私は檸檬少女の左に身を置いて、しかし、私の妄想通りに事は運ばなかった。彼女は左を――つまり私の方をみて、言った。
「ねえおじさん、それ、なに読んでたの」
見られていたこと、話しかけられたこと、私は二重に驚いて、声を上擦らせた。
「えっと……太宰……ってわかるか?」
「もちろん。人間失格?」
「読んだこと、あるのか」
「うん、わたし、それ好きなの」
檸檬少女が白い八重歯を出してはにかむ。太宰を好きな檸檬少女とはなんとも言えない気持ちになるが、梶井基次郎も好きか、とまで訊く気にはなれなかった。
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