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「若い子が人間失格を好きなんて、珍しいな」
「そうかな。それ、明るい話だから好きなんだ。というか、若い子がっていうのは偏見だよ」
人間失格が明るい話。その言葉で、私はこの檸檬少女に興味を持った。
「明るいか、人間失格は」
「うん、だって……、それ最後まで読んだ?」
私は首肯した。なんど読み返したかわからない。
彼女は両の手を指先で繋いで大きく、紅い空に向かって背伸びすると、口を開いた。
「人間失格だと自覚した主人公のことを、《神様みたいないい子》って表現するひとが出てくるでしょう」
「ああ、いちばん最後の」
「あれって単に主観や客観のことを言っているんじゃないんだよ」
「……と、いうと?」
「ほんとうに人間失格だったのは、周りのひとのほうなの。まっすぐで強くって自分の居場所がある、普通と言われているひとたちが、実は全員、人間失格なわけ。主人公のあの弱さが人間そのものなんだよ。だから肯定感のある明るい話だと、わたしはそう思うな」
言い終わると彼女のまんまるな黒目が井戸を覗き込むように私を見た。そしてそのとき――、仄かににおいが伴った。翡翠色の潮風と一緒にふわりと漂ってくるそのにおいは、いやに化学的だった。化学、というか、火薬? いやこれは。
「爆弾のにおい?」
檸檬少女から爆弾のにおい。私はハッとした。色とにおいの共感覚はそれぞれ独立している。だから、この連想ゲームのような類似は、初めてだった。
そしてそれは私だけではなかった。彼女は豆腐のような白く滑らかな指先で小さな口を覆った。そして驚きの色――これは何色だろうか――を帯びながら言った。
「おじさん、わたしが爆弾だって、わかるの?」
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