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「これが海」
塩に香りと目の前に広がる景色に、黒髪の少年アキは感嘆の声をあげた。
雲一つない青空の下、太陽に照らされた白い砂浜に、透き通るような綺麗な青い海が広がっているのだ。
今のアキの姿は海に入るための白と黒を基調としたサーフ型の水着を着用し、熱された砂で足を火傷しないようにビーチサンダルを履いている。
「どう? 初めての海は?」
そう言いながらアキの隣に立ったのは、狐色の狐耳と尻尾を特徴とし、同じ色の長い髪を持つ女性、セツナだ。
普段の赤を基調とした和服姿ではなく、アキと同じ水着姿で、腰に白色を基調としたロングタイプのパレオを身に着けた上品な印象を受ける姿となっている。
水着姿になると、より大きな胸が強調され安易に顔を向けられない。
「まあ、なんていうか、凄い」
「ならよかった」
安堵の言葉を口にしながら、海に目が釘付けになっているアキの姿を見て、微笑むセツナ。
アキは親に捨てられ、盗みを働きながら暮らしていたため、セツナが拾わなければこういった経験は出来なかっただろう。
それを考えれば、やはり連れてきて正解だった。
と、後ろから、存在感がある人物がやって来る。
「海はいつ見ても綺麗ですね~」
綺麗な緑色の髪を二つに結った女性。
セツナのメイド兼、アキの世話役として働いているエルフのメルだ。
細身でありながら、三人分の荷物を何事もないように持っているため、周りから少なからず注目を集めていた。
メルも勿論水着姿で、青がメインの前から見ればワンピース。
後ろから見れば水着という少し変わった水着を着用してた。
「やっぱり私も持つわよ。そんな恰好じゃ女の子らしさが台無しよ」
「私はメイドですのでこれくらい平気です!」
そう言いながら、腕を上げて力強さをアピールするメルに、セツナとアキは思わず苦笑いを浮かべてしまう。
平気ならいいのだが、一人の女の子としてどうなのだろうか。
メルはメイド仕事を誇りに思っているらしく、働くことに対して苦を感じたことはないそうだ。
「それならそれでいいわ。さあ、楽しむわよ」
「それはいいけど…凄い視線を感じるんだけど」
そう言いつつアキは後ろを見ると、大勢の人が群がっているのが分かる。
海を楽しみに来ているはずの人たちが、わざわざ集まってしまっている理由はただ一つ。
「セツナ様は相変わらず人気者ですね」
荷物を抱えたままニコニコしているメルの言葉に、セツナは腰に手を当てたままため息をつく。
「プライベートの時ぐらい放っておいてほしいわね」
そう。
皆が群がっている理由はセツナをお目にかかれるからだ。
すべての種族が巻き込まれた、二百年前の世界大戦。
その戦いを終戦へ導いた英雄。
それがセツナなのだ。
その活躍により、彼女は世界一有名な狐となってしまい、外に出れば人だかりをつくってしまう。
二百年が経過した今も変わらずの人気を誇っていることに、セツナ自身うんざりしているようだった。
しかし、彼女が人気を誇る理由は歴史以外に、その奇麗な容姿が関係しているのかもしれない。
セツナの実年齢は二七一歳。
その年齢に似合わないほどの活力にあふれたピチピチスベスベの肌。
しわやシミが一切なく、二十歳と言われても信じてしまいそうなほどだ。
群がっている人達を見てみると、男性よりも女性の方が明らかに多いのが分かる。
皆、セツナの美貌の秘密が気になるのだろう。
アキは疑問がわく。
「あんた金持ちなんだろ? プライベートビーチとかないの?」
「あるわよ」
あっさり答えてくるセツナに疑問が浮かぶ。
こうなってしまうのは容易に想像ができたはずだ。
なぜわざわざ多くの人が利用できる一般のビーチに来たのだろうか。
「若い頃から金持ちの生活なんてしてたら、バカみたいな性格になっちゃうのよ」
アキの疑問を分かっているかのように、セツナは海を見ながら話し始める。
「高いところから見下ろすんじゃなく、皆と同じ景色を見て育ってほしい。アキは低いところにいたから家族になった以上、不自由のない暮らしをさせてあげたいとは思ってるの。
でも、いろんな人たちの楽しむ姿を見て感じてまともな考えを持ってほしいのよ。私は」
「なるほど」
「やっぱりセツナ様は最高のご主人さまです」
セツナの話を聞いていたメルが何故か涙ぐんでいるが、いつも少しのことで感動して泣くので放っておく。
「だからわざわざここに連れてきたのだけど…」
「どもこれじゃな~」
後ろを見ればまだ人だかり、いや先ほどよりも増えている気がする。
セツナがいることによって普通が崩壊してしまう。
「まあせっかく来たんだから、気にせず遊びなさい」
「注目されてるのはあんただけだしな」
気を取り直すようにアキたちは場所を探し、メルが持っていたパラソルを設置。
荷物を置き海に行こうとしたアキだったが、セツナがビーチチェアーを設置してくつろぎ始めてしまう。
「行かないの?」
「二百年も生きてると、心が年老いてきてはしゃげなくなっちゃうのよね」
ビーチチェアーに体を預けながらそんなことを口にするセツナ。
確かに見た目が若くても、二百年以上も生きると流石に心だけは若くいられなくなってしまうのだろう。
子供の頃、楽しみにしていたことが大人に成長していくにつれて、何とも思わなくなっていく。
それが大人になっていくということなのだろうと、アキはなんとなく理解した。
「こういう気持ちのいい場所でくつろぐのが今の私の楽しみ方なの」
「ふ~ん」
それが本当に楽しいのか、それは今のアキには理解できない。
「私はここにいるから、楽しんできなさい」
「年取ったあんたの分も楽しんでくるよ」
「一言余計よ」
「楽しんできてください!」
皮肉を言われてもたいして気にした風もなく、サングラスをかけるセツナと飲み物を用意しているメルを後にしてアキは海に向かう。
沢山の人が利用しているにもかかわらず、汚れを知らない綺麗な海が穏やかな波を立てている。
アキにとっては初めての海で好奇心が駆り立てられ、足を海に着けてみると、心地のいい冷たさが包み込む。
「気持ちいい」
かみしめるように数秒間海の冷たさを感じ、波に抗うように奥へと進んでいく。
胸まで疲れるぐらいの深さまで行くと、アキは口いっぱいに空気を吸い込み、勢いよく潜る。
潜ったアキは目を開くと、目が染みてしまい思わず海から顔を出す。
「染みる~、あとしょっぱ」
目を擦りながら、口の中に入った海水の味のダブルパンチに驚きを露わにする。
海水は塩水だと聞いていたが本当かどうか疑っていたアキは、事実を知り楽しくなってもう一度海に潜っていく。
目が染みてしまうという危機感に襲われながらも思い切って目をもう一度開けてみると、目の前には素晴らしい景色が広がっていた。
重力のない透明な世界に綺麗なサンゴたちにそこを隠れ家とする小魚たちが優雅に泳ぎ回っているのだ。
海中の奥を見てみると、果てのない世界に見えて不思議な感覚に陥ってしまう。
そのまま夢中になったアキは、全身が使ってしまうほど深い場所まで行ってしまうが、楽しくて何度も肺の空気を入れ替えるため浮上しては潜っていく。
慣れない体験は好奇心を駆り立てる。
この世界には人魚は実在し、珍しい種族のため、なかなかお目にかかれないのだが、アキは人魚になった気分で楽しんだ。
ビーチパラソルによってできた日陰の下、ビーチチェアーにくつろいでいるセツナと隣に控えているメル。
「貴方も遊びに行っていいのよ」
「私はメイドですので、セツナ様のお世話を」
せっかくのバカンスだと言うのに、どうもセツナのもとで働く人達は働きたがる傾向があるようだ。
「そんなんじゃ人生楽しめないわよ?」
「セツナ様の言葉には説得力がありますね」
二百年以上も生きている者の言葉には重みがある。
色んなものを見て感じて経験してきた人だからこそ言える言葉。
五十年は生きているメル自身、自分の人生が薄っぺらく感じてしまうほどだ。
「そう思うんだったら楽しんで来なさい」
「そうですね。アキ様の様子を確認するついでに少しだけ」
「迷子になってないともかぎらないしお願いす───」
最後まで言いかけたところでセツナは言葉を止め、自慢の狐の耳をピクピクと動かしながら、海の方向をじっと見つめている。
その様子にメルは首を傾げ、セツナにならうように海に視線をうつす。
見えるのは、綺麗な海で遊ぶ人達。
いったい何を気にしているのだろうか。
「どうなさいましたか? セツナ様」
「少し厄介なのが来たわね」
「?」
呟くように言うセツナの言葉の意味が分からず、海を見ながら首を傾げる。
少し満足したアキは、1度休憩するために海から上がろうとした時だった。
なんとなく気配を感じた。
気配を感じたのは浜辺ではなく、海の方だ。
何かいるのが、海が綺麗であるがゆえにわかりやすい。
大きな黒い物体が縫うように蠢いているのが、アキは捉える。
泳いで逃げ出したいが、むやみに暴れて襲われるのは避けたいところ。
息を殺すように静かにいると、黒く大きな物体はアキがいる場所よりも浜に近く多くの人達がいる方へと向かって行った。
「あれ不味くないか?」
嫌な予感を口にしつつ、アキは怪物の後を追うように泳いで向かう。
海はだんだんと盛り上がっていき、凄まじい水しぶきを上げ、物体の正体が露わになる。
その姿は大きく長いフォルムをしていて竜のように見えるが、竜のようなごつごつとした鱗はなく、太陽の光に照らされつるつるしていることがわかり、鋭い歯をむき出しにしていて襲われたらひとたまりもないだろう。
その巨大な姿の怪物を目の当たりにし、海で楽しく遊んでいた人たちは叫び声を上げながら、大急ぎで浜辺に上がっていく。
「こんな怪物どうしたらいいんだよ」
アキは目を見開き怪物を見つめる。
魔力を使えば太刀打ちできるかもしれないが、アキはまだ魔力をうまく使いこなせないため、怪物をどうこう出来る力を持ち合わせてはいなかった。
アキも何もできずに逃げることしかできないだろうが、幸い怪物の真後ろにいるため気づかれておらず襲われる心配は今のところない。
どうしたらいいのか頭で考えていると、突然、怪物が青い炎に包まれる。
「がぎゃあああああ」
怪物は大きな鳴き声を発し左右にぐねぐねと体を動かし苦しんでいる。
どうして炎が突然怪物を包み込んだのか分からなかったが、青い炎にアキは見覚えがあった。
*
「セツナ様! 怪物が!」
メルは海の方に向かって指をさしながら大声を上げた。
「そうね」
「もしかして気づいていたのですか!?」
取り乱すメルに対していたって冷静なセツナ。
そんなセツナの様子に先ほど海を見て呟いていた意味を理解する。
人々は血相をかえて逃げ出している姿をみて、セツナはビーチチェアーから立ち上がると、皆とは逆に怪物に向かって歩き出す。
「セツナ様!」
「あんたはそこにいなさい」
メルを止め、一人慌てることなく優雅に歩いていく。
「まったく」
周りの様子にため息を思わずついてしまうセツナ。
魔力を使えば怪物の一匹や二匹倒せるはずなのだ。
魔力はすべての人たちが使えるもので、扱い方も分かっているはず。
しかし、皆慌てて冷静を失い対処できず逃げまどっている。
いったいなんのために魔力という素晴らしい力があるのだろうか。
「せっかくのバカンスなのだから、さっさと終わらせるわよ」
セツナは怪物の前に立つと集中し魔力を発現させる。
魔力を体の中にとどめ身体強化にまわすと、狐色だった耳と尻尾、髪は白色に変化。
そして、鎧のように青い炎を体の周りに纏わせる。
セツナは炎を得意とし、常人よりも強い力を持っているため、赤い炎ではなく青い。
そして、セツナは右手の形を銃のようにして怪物に向けると人差し指の先端に蝋燭の火ほどの大きさの炎を作り出すと、怪物に向かって放つ。
怪物に直撃した炎は一瞬にして、怪物全体に燃え広がり焼き尽くす。
怪物の周囲の海はあまりの熱さに蒸発してしまう。
怪物は波と水しぶきを上げながら、あっけなく倒れてしまった。
「まあこんなものね」
魔力を解き、耳や尻尾に髪の色が元の狐色に戻る。
そのあまりの早い決着に怪物が弱すぎて見えてしまうが、そんなことはなくセツナが強すぎてしまったのだ。
「やっぱりあんたの炎だったんだ」
声がする方向を見てみるとアキが海から上がってきていた。
「ずっと海にいたの? アキ」
「怪物の後ろにいたんだよ」
頭を振って髪の毛に付いた海水を飛ばしながら浜に上がると、セツナはアキに近づき抱き寄せる。
「怪我はないの? 私の炎で火傷してない?」
「恥ずかしいからやめろ!」
セツナを引きはがしたアキはまた抱き着かれないように少し距離をとる。
「親なんだから子を心配するのは当たり前でしょ」
「親でも抱き着いてなんかこね~よ!」
そう言いながら両腕を前に出して近づいてくるセツナに後ずさりしていく。
「それはそうと、この怪物は何だったんだ?」
セツナの気を反らそうと話題を変える。
「これは海によくいる海竜と呼ばれているものよ」
「竜にしては鱗がないぞ」
「正式には竜ではなく蛇の仲間で怪物並みの大きな体から竜のように見えるからそう言われているだけ」
「そうなのか。てか近い」
話が終わったころには離れていた距離がぴったりとくっ付いている。
「いいじゃない」
「うざい」
たまにこうしてスキンシップを取ろうとしてくるため、アキはセツナのこういうところにうんざりしていた。
「お二人ともご無事ですか~!」
メルが手を振りながらセツナ達の下へ駆け寄ってくる。
「問題ないわ」
「セツナ様は本当にお強いですね!」
「二百年生きてもまだまだ現役よ」
騒動が収まったことで、避難していた海水浴客が続々と戻ってくる。
セツナの活躍はすぐに広まり、さらに人気が高まるのだがセツナ本人、また面倒なことになったとうんざりするのだった。
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