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「うっ・・・ああっ、つーっ・・・。ねえ・・・」
男は固く目を閉じ、眉間に皺を寄せ、唇を「イー」の形に引っ張っては極限状態に達しそうになるのを懸命に堪えている。
「あっ・・・ああっ!ねえ、シノちゃん、シノチャン!もう、オレだめ・・・イキそう・・・」
― ダメでいいよ。ホンッと長いんだもん、今日は特に長いよ。
「シノちゃんは?シノも?ねえ、触りながらしてくれてる?シノもヨクなってる?」
「ん、触ってる。触ってるよ、すっごくなっちゃってるの、アタシの。もう、大っきくて、コリコリ・・・オツユでビショビショなの・・・」
― 陳腐なセリフ。
こんなセリフ、一体どこで覚えてきたんだろう。
多分・・・何年も乗り続けている通勤電車の中で?だと思う。目の前十センチで繰り広げられるスポーツ紙の性描写はだいたいいつもこんな感じだ。
「ホント?ホント?シノ、イケそう?」
― 人のことはいいから早くイッっちゃってよ。もう、手も首もアゴもいい加減疲れたよ。
あとひと頑張りだ。
「ねえ、聞こえる?聞こえる?シノのやらしい音。ねっ?ねえ、シノ、もう我慢できない・・・。」
陳腐でもいいのだ。男たちは好きなのだから、こういうセリフが。
「いいよ、シノ。我慢しなくっていいよ。あっ!オレ、オレ・・・」
「アタシも、アタシもおぉっ!アタシ、アタシ、ああっ、イクっ!イクっ!」
― もう今日はこれで帰りたいなあ・・・。そうもいかないよなあ、あと二本は稼がないと。そうだ、来月車検じゃない!?涼香の授業料も上がるって聞いたし。あ~あ、キビしいなあ・・・。
手と口は留めを刺しにかかりながらも、頭の中ではまったく違う事を考えている。
ふと、私は宇響のことを思いだす。
宇響はセックスの時に私を抱かなかった。キスをしなかった。服を脱ぐ事もなく、脱がせる事もなく、私をあの美しい指で何度もイカせると最後に挿入し、すぐに果てた。
彼も今の私と同じ気持ちでセックスしていたのだろうか。
ほどなく男は昇り詰めた。私もそれに合わせて絶叫する。
頃合いを見計らったかのように携帯電話が鳴った。
「紫乃です。お疲れ様です。」
「おつかれさまで~す。お時間十分前です。よろしくおねがいします。」
「はい、わかりました。」
素っ裸で事務所からの電話を受けて歩く私の姿を、ベッドから眺めていた男が言った。
「シノちゃんってさ、立ち姿がいいよね。オッパイもすごく綺麗だし。」
「そ?ありがとう。」
「ホントだよ。歩き方がとっても綺麗。姿勢がいいんだな。」
私はにっこり笑う。
「だからなのかなあ・・・。ホンッと、若いよね。ゼッタイ四十四には見えないよ。」
― そう?ありがとう。ホントは四十六なんだけどね。
男が指摘した二点。姿勢がいいこと、そして若いこと。
それはどちらも宇響が私に残してくれた、たった二つのものだ。
「シノちゃんさ、なんでこんなことしてるの?」
「ええっ?」
「だってさー、子ども、いるんだよね。」
「ウン、いるよ。二人ね。」
「やっぱ、お金?だよね。でもシノちゃんは主婦の小遣い稼ぎってタイプじゃないしなぁ。」
「いいの。そういうことは。」
「シノちゃん、名前何て言うの?本当は『紫乃』じゃないんでしょ?」
「んふふ。ひみつ。」
「ええ~っ、いいじゃん、名前ぐらい。」
「いや~よ。ヒ、ミ、ツ。そのために源氏名があるんだもん。私は紫乃なの。それでいいじゃない?」
男たちはみんな知りたがる。私の本名、どこに住んでいるのか、ダンナはいるのか、彼氏はいるのか、子どもはいるのか、ほかにも仕事をしているのか。
そして必ず訊ねる。「何でこんなことをしているのか」。
私は天井に映る自分の裸身を見つめながら答える。心の中で。
「それはね―」
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