夕景ビートロック6(8月6日 水曜日)

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夕景ビートロック6(8月6日 水曜日)

 八月に入り、暑さも本格的になってきた頃、俺たち茶道部は、暑気払いの意味も込めて海に来ていた。毎年恒例のバーベキューだ。このイベントは、例年催される茶会に備えて、より絆を深めるために行われている。去年も今ごろの時期だった。当時から、咲耶は今と変わらずマイペースで、本城は毒舌だった。  真夏の海は、週末でもないのに多くの人でごった返していた。平日でこの人出なら、休日は芋を洗うような賑わいだろう。俺たちは、海から少し離れた場所にバーベキューコンロを構えて陣取っていたが、海に近い場所では、子ども連れの家族や大学生、俺たちと同じ夏休み中の高校生なんかが夏を満喫していた。降り注ぐ陽射しは容赦なかったが、それでも彼らのエネルギーは、それ以上に煮えたぎっているような気がした。  咲耶は、まさに灼熱という言葉がぴったりなこの状況の中、額に汗を流しながら肉を焼いている。こんな時でも部長の責任を果たさなくてはと思っているに違いない。言っておくが肉を焼くのは部長の責任なんかじゃないぜ。本城は、日に焼けるのが嫌なのだろう。木陰に陣取って出てこない。焼けた肉を次々と三枝が本城の元へ運んでいる。一番テンションが高いのは東上だった。パリピの本領発揮というところか。東上は、オレンジ色のビキニをまとった豊かな胸を惜しげもなく披露していた。完璧に真夏のパリピだ。そんな魅力的な格好をしていたら、俺はともかく木花が目のやり場に困るだろ。せめて上にTシャツでも着ろ。  この前「離れ」で軽く木花を問い詰めたが、あの様子だと、あの日、木花が倉庫にいたのは間違いない。もっと問い詰めることもできたが、恐らく、木花はあれ以上何も話さなかっただろう。臆病なのに妙に頑固なところがある。それに前にも言っただろ。俺は、木花のことが嫌いじゃないって。どうせ本丸は東上の方だろうし。俺は、今日、どこかで東上に直接話を聞いてみるつもりだ。もうそれしか残されていない。 「西先輩、お肉焼けましたよ」 「おお、サンキュ。焼くばっかじゃなくて、おまえも少し食べたらどうだ?」 「私は大丈夫です。後でしっかり食べますから」 「じゃあ私がもーらい!」  そう言って、東上が横から肉をかっさらっていった。「うまっ」と満面のスマイル。そりゃ美味いだろう。東上は、さっきから少し食べすぎなんじゃないか。こんなに大食いだとは思わなかった。だが、カラオケのときも大量に注文したフードを一人最後まで残って食べていたような気がする。一体この細い体のどこに入るんだ? 「西先輩、そのサングラス格好いいですね。ていうか視線隠して私のわがままボディを見たりしてます?」 「見てねーよ」 「それは残念」  何が残念だよ。咲耶が困惑してるじゃないか。幼なじみの咲耶ですらそうなのだから、それ以外の東上をあまりよく知らない人間は、否応なくその人を食ったようなペースに巻き込まれていく。木花がいい例だ。こんなんで佐々木と馬が合うはずがない。 「でも、鈴ちゃんが言うとおり、そのサングラスは格好いいと思います」  咲耶は、一瞬だけ俺をチラ見して、その後すぐに恥ずかしそうに視線をそらした。お世辞ではないと思う。でも、だからこそ俺は、それに何て答えていいのか分からなかった。木花は、この前俺と話したことを東上に言っただろう。東上は、それを咲耶に話していないのだろうか? 咲耶は、以前と変わらない様子で俺に接してくれている。俺は、咲耶を追い出そうとしているのに。 「葵ちゃんが言うと何かマジっぽくてちょっと引くわー」 「ちょっと鈴ちゃん、やめてよー」  俺は、慌てながらトングを振り回す咲耶を見ていた。子どもみたいなやつだな。倉庫の一件以降、俺の仲間は身動きが取れていない。しばらく穏やかな日々が続いたからか、咲耶の顔は、以前よりも少し和らいでいるように見えた。その顔を見てどこかほっとしている自分がいる。 「ちょっと何の騒ぎかしら?」  背後から声がしたのでそちらに目をやると、真っ白な日傘を差した本城が立っていた。傘を持つその手まで白い手袋で覆われている。日焼け対策は万全らしい。その格好は、まるでどこかのご令嬢のようだ。後ろに控えている三枝が召使のように見えてくる。 「ああ、本城さん。ごめんなさい。うるさかった?」 「いいえ、それはいいのだけれど、何かドリンクがないかと思って」  木陰でおとなしくしていても喉は乾くらしい。ドリンクを自分で取りに来るのなら、そもそも三枝に肉を運ばせたりするなと思う。なあ、三枝。ん? 今一瞬、三枝が怖い顔をしていたように見えたが気のせいか? いつもは無表情なのに。 「葵ちゃん、私、ちょっと海行ってくるよ」 「うん、私も後で行く」  言うや否や、東上は、後ろ手に手を振りながら、真っ白な砂の上を海の方に向かって歩いていった。ウェッジソールサンダルがいい音をさせている。花魁かよ。見ているだけで俺の足首の方がどうにかなりそうだ。だが、このタイミングだな。俺は、そう思い「俺も便乗する」と咲耶たちに告げると、東上の後を追った。視界の隅で木花が不安そうに俺を見ているのが分かった。  トップスがビキニでボトムはデニムのショーパンといったいでたちの東上は、歩いていく先々でビーチの視線をさらっていた。はたから見たら、そんな東上の後を追っている俺が変質者かストーカーに見えてもおかしくない。咲耶なら絶対こんな格好はしないだろう。確か去年も水着にすらなってなかったはずだ。  東上は、海へ行くと宣言したとおり、確かに一度波打ち際までは行ったが、そこから海へ入るわけでもなく、ただ、ひたすら海を右手に歩き続けた。どこへ行くつもりだろう。やがて辺りの風景は、人の姿もまばらな寂しい海辺へと変わっていった。明らかに海水浴場からは外れていた。こんなところに何の用が? 「こんな人気のないところまで付いてきて、私に告白でもするつもりですか?」  東上は、振り返りながら満面の笑みを俺に向けた。そこで俺は、初めて今俺に起こっている事態を把握した。ああ、そうか。俺は東上におびき出されたのか。 「おや? 私のキュートなヒップをもっと眺めていたかったですか?」  東上は、黙り込んだ俺の代わりに言葉を継いだ。それがこの沈黙を埋めるために気を遣ったものではないことは分かっていた。急速に俺の中に緊張感が走る。だが、遅かれ早かれいつかはこういうことになっていたはずだ。少しイニシアチブを取り損ねただけだ。それ以外は何も問題はない。俺は、冷静を装って、目の前で満面のスマイルを俺に向けている魅力的な少女に話し掛けた。 「少し訊きたいことがある」 「それに答える義務が私にありますか?」 「赤いバイクに乗ったメイド服の女について何か知らないか?」  俺は、あえて東上の言葉を無視した。相手のペースに巻き込まれてはいけない。最初に自分が取り損ねたイニシアチブを多少強引にでも取り戻さなければならない。後手に回るとろくなことにならないのは、俺の今までの経験則だ。 「同じことをルミオにも訊いたんですよね?」  俺は、一瞬、東上が誰のことを言っているのか分からなかった。だがすぐに思い出した。確か東上は、木花のことをそんな風に呼んでいた。 「知らないと言っていた」 「あいつ、それで私をかばったつもりなのかな? ルミオのくせに生意気な。でもいいやつなんですよ、あいつ」 「知ってるのか?」  俺は、再度東上の話を無視した。 「正直に話しますけど、私はね、西先輩。もうとっくにムカついてるんですよ。葵ちゃんが……いや、もうそんな話はどうでもいいですよね」  俺には東上が何のことを言っているのかよく分からなかった。だが、どうやら素直にメイド服の女との関係に付いて話してはくれないらしい。これから先のことを考えると、メイド服の女どうこうより、この目の前の女、東上鈴花が俺の障壁になる。だから、俺は力づくででも、その障壁を取り除かなければならない。自慢じゃないが荒事には慣れている。今までは面倒なことを避けるため全てあいつらに任せていたが、もう、そうも言っていられない。皮肉なことに、俺は、メイド服の女と同じで男女差別はしない主義だ。悪く思うなよ。 「先に言っておきますけど、私は武道の心得がありますから」  東上の言葉には、もう反応しないと決めた。いくら東上に武道の心得があって不良どもを投げ飛ばすくらいの実力者だったとしても、ここは足場の悪い砂の上で、東上は動きにくいウェッジソールサンダルを履いている。俺に分があるのは明らかだった。  一呼吸置いた後、俺は、むき出しの東上の腹目がけて渾身の正拳突きを繰り出した。俺の拳を受けた東上は、そのまま砂浜に崩れ落ちる、はずだった。だが、なぜか次の瞬間、俺の体が背中から砂浜に打ち付けられていた。一瞬、息ができなくなる。眩しい太陽の陽射しを見上げながら、俺は何が起きたのか考えた。次にどう動くべきか必死に考えを巡らせようとした。だが、俺は、その答えにたどり着く前に考えることを放棄してしまった。マンガでしか読んだことがなかったが、本当にそんな気持ちになることがあるんだな。あまりにも実力差のある敵と出逢ったとき、もう何もかもどうでもよくなるという例のアレだ。東上は、そんな俺の心の中を見透かしたかのように微笑んだ。 「まだ続けます?」 「……いや」 「それは良かった」 「なあ東上、おまえは一体何者なんだ?」 「ん? んー、私はバスケ部をクビになった葵ちゃんの幼なじみ。ただのパリピのスージーですよ」  頭上では、相変わらず満面のスマイルの東上が俺のことを見下ろしていた。  俺は、みんなのところには戻らず、そのまま一人海を離れた。「みんなにうまく言っておいてくれ」と頼んだら、東上は快く承諾してくれた。もしも違う出逢い方をしていたら、存外東上とは仲良くなれたかもしれない。  派手に投げられたはずだが、不思議と体に痛みはなかった。東上の投げ方がうまかったのか、俺の体が頑丈だったのか。帰りの電車に揺られながら、ぼんやりとこれからどうすればいいのかを考えていた。真夏の楽園から一駅ずつ遠ざかっていく俺を、真っ赤な夕陽が追いかけてくる。俺は、いつも夕陽に追いかけられているな。いつか逃げ切ることができるだろうか。  自宅に戻ると、食事も取らずベッドに倒れ込んだ。緊張が解けると、予想外に体は重くなった。今までこんな重いものを背負って生きてきたということか。ああ、今日は本当に疲れた。このまま泥のように眠りたい。そして、明日の朝目覚めると、何もかも解決してくれていたらいいのに。なんて、まるで俺らしくもないことを考える。  少し意識が遠のきかけたとき、ドアをノックする音が聞こえた。親父だろうか? 無理やり重い体を起こしてドアを開けると、そこには予想もしなかった人間が立っていた。 「こんばんは、西先輩。東上さんから先に帰ったと聞いたので、体の調子でも悪くなったのかと思って、心配で様子を見に来ました」  そこに立っていたのは本城だった。どうやら海からの帰りにそのまま直接俺の所に寄ってくれたみたいだ。こいつにそんな優しい一面があったとは。 「大丈夫だ。心配ない」  東上がみんなにどういう風に説明しているか分からないので、当たり障りのない言葉を選んで返す。 「皆さん、とても心配していましたよ。特に咲耶さんなんか大変な慌てようでした」 「そうか。悪いことをしたな」 「ええ、まったくもって」  本城は、そう言うと、俺が勧めるのも待たずに部屋の中に入ってきた。何の迷いもなく今まで俺が眠っていたベッドに腰掛ける。 「あの咲耶さんの慌てようは部長としてなのかしら? それとも、それ以外に何かあるのかしら? ねえ、どう思います?」  本城は、部屋のあちこちを見回しながら、決して俺の方には視線を向けずに会話を進めていった。 「そんなことは……俺には分からない」 「……まあいいでしょう。それで西先輩はこれからどうするおつもりですか?」 「どうするって?」  そこで初めて本城は俺を見た。ベッドの上で、細くて長い魅惑的な脚を組み替える。 「これからどうするつもりなのかと訊いているのよ。私が、おまえに」  口答えを許さない女王の目だった。そう、俺から全ての選ぶ権利を奪ったのは、俺に茶道部から咲耶を退部させるように命令したのは、今、目の前で上目遣いに俺を見ている茶道部副部長、本城和奏だったのだ。
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