夕景ビートロック4(7月18日 金曜日)

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夕景ビートロック4(7月18日 金曜日)

「おまえからは連絡してくるなって言っただろ!」  俺は、校舎裏で思わず大声を出していた。電話の相手は例のあいつら。咲耶たちを退部させるための協力者だ。六条は、あっさり退部させることができたが、咲耶のほうは一向に進まない。一カ月以上が経つというのに進展がないことへの焦りからか、俺の声は自然と大きくなってしまっていた。相変わらず、咲耶に対する嫌がらせは続いている。だが、他に行き場所のない咲耶は、それでも踏ん張っているようだ。例の新入部員、東上の存在も大きいのだろう。茶道部の救世主だと言っていたしな。だが、それでは駄目だ。もうあまり時間は残されていない。俺は、電話の相手が何か言うよりも先に、咲耶の件について問いただそうとした。だが……。 『あ、荒人くん……』  明らかに様子がおかしい。スマホの向こうから聞こえてくるのは苦しそうなうめき声。何だ? 俺が戸惑っているとスマホから聞き覚えのない声がした。 『君がこいつらのボス? はしゃぐのは構わないけどさ、もうそろそろやめといたほうがいいんじゃない。それとも次は君が相手してくれるのかな? 別にあたしはそれでもいいんだけどさ……潰しちゃうよ。きゃはは』 「誰だおまえ!」  声の主は、俺の問いには答えず、甲高い笑い声を残してスマホを切った。何だ? いったい何が起こってる? 俺は、スマホをズボンの後ろポケットに突っ込むと、バイク駐輪場に急いだ。今日は終業式だったが、俺にとってはどうでもいいイベントだ。それよりも今、何が起こっているのかを確かめるほうが先決だった。駐輪場に着くと、俺はバイクにまたがり、嫌な予感を払拭させるかのように勢いよくエンジンを掛けた。  あいつらがいつもたまり場にしている港の倉庫に着くと、そこは、俺の願いもむなしくひどい有様だった。まるで何か大きな嵐でも通り過ぎた後のような光景。この倉庫は、普段は使われていないので、埃は積もっていてもそこそこきれいに片付けられていた。だが、これはどうだ。パレットは散乱し、そこかしこに人が倒れている。少なくとも、俺はこんな光景は一度も見たことがない。 「う……」  俺は、近くでうめいている男に駆け寄った。 「おい、何があった?」 「女が……」  男は、それだけを言うと気を失った。他のやつらもみんな意識がない。今は、話を聞くよりも治療が先だ。うちに連れていくしかないが、こんな大人数を運ぶとなると、俺一人では無理だ。俺は、迷わず親父に電話した。親父には、昔からこの手の治療は数えきれないくらいしてもらっている。ここからこいつらを運び出すために車も必要になる。全てはこいつらの治療を済ませてからだ。  それから約三十分後に親父は現れ、俺たちは、協力して何とかこいつらを親父の乗ってきたワゴンに乗せた。全部で七人。うち二人は女だったが同じようにやられていた。これをやったやつらは男女平等主義者らしい。ちょうどこいつらを運んでいるときに、急に雨が降り始めた。親父が来てくれて本当に助かった。  中学の頃からつるんでいるやつらは今でも何人かいるが、中でもこいつらは、学校にも行かず、仕事にも就いていない、毎日ぶらぶらしている屑みたいなやつらだった。ひと口に不良と言ってもピンキリだ。高校に行ってるやつらは、まだそれほどの悪人じゃない。本当に悪いやつらは高校になんて行かない。いや、行けない。人とうまくやっていけないし、そもそも入学できない。する気もない。気が向いたときに気が向いたことをする。遊びじゃ許されないようなことだってやる。学校組とは善悪の線引きが違う。そんなやつらが揃いも揃ってこんなにやられるなんて。あのとき、俺に警告してきたのは甲高い声で笑う女だった。一体どこの誰なんだ? 「しかし今回は派手にやられたな」  全員の処置を終えたらしい親父は、大きく伸びをしながら勝手口から出てきた。 「どうだった?」 「そうだな。いつものけんかってわけじゃなさそうだ。外傷がほとんどないからな。急所をピンポイントで的確に攻撃されている。恐らく相手は武道の経験者だな。でもまあ致命傷ってわけじゃないから、しばらくおとなしくしてりゃ治るだろ。骨折している二人は少し時間がかかるだろうがな」  親父は、白衣のポケットからタバコを取り出すと遠慮なく吸い始めた。一度禁煙していたらしいが、医院が駄目になったときにまた吸い始めた。もともとヘビースモーカーだったらしい。母親と付き合うために出された条件が禁煙だったと聞いている。患者には禁煙を勧めるくせにまるで説得力がない。だが止めていたタバコを吸いたくなる気持ちも分からなくもない。親父を禁煙させた母親はもういないし、何よりそのくらいの楽しみがなければ、毎日生きている実感を得られないのだろう。親父の頭にも白いものが増えた。この人は過ぎ去った年月に何を対価として支払ったのか。 「いつも悪いと思ってる」 「はっ! 何を今さら。悪ガキどもを診てやるのなんてとっくの昔に慣れちまってるよ。それよりも荒人、おまえ卒業したらどうするんだ? いつまでもこんなの続けられないって分かってるんだろ?」 「ああ……分かってる」 「金のことなら心配しなくていいぞ。たくさんはないがどうとでもできる。ははは」 「いや、そんなんじゃないから」  親父にしてみれば、金のことで子どもに心配かけたくないという気持ちがあるのだろう。俺の家は、一度金で家族がバラバラになっている。もちろん、それは親父だけのせいじゃない。でも、その事実は親父の心の底にずっと取れない針として刺さり続けている。今も親父に痛みを与え続けている。それは、町医者がなくなると高齢者が困るからと言って支援してくれる人が現れた今となっても変わらない。世の中はきれいごとじゃないから、金がないとできないことはたくさんある。俺も親父もそのことは痛いほど知っている。だから、親父はまとまった金が要るとなれば、何度だって迷わずあの人たちに頭を下げに行くだろう。あの日と同じように。だが、俺はもう二度と親父が誰かに頭を下げるところなんて見たくない。大丈夫、俺は俺でどうにかやっていくさ。  院内に戻ると、首から包帯を巻いた左腕を吊り下げている金髪の男が、退屈そうに待合室のいすに座っていた。顔は知っているが話したことはない。確か一つ下のやつだ。男は俺を見ると小さく頭を下げた。 「どもっす」 「おお。大丈夫か?」 「はい、何ともなくはないですけど大丈夫っす」 「あそこで何があった?」  俺は単刀直入に訊いた。 「はい、俺ら今日、神東の茶道部の女を呼び出してたんす。倉庫に来いって。女が来るまで暇なんで、いつもどおりだべってたんすよ。そしたら、いきなり赤いバイクがやってきて、誰だって言ってるうちに……」  こいつら、咲耶を呼び出してたのか。そんな呼び出しに素直に応じるわけないだろ。でも、するとあの女は咲耶が呼び出されたことを知っていたのか? それで咲耶の代わりに? つまり、咲耶があの女を港に? いや、咲耶とは限らない。咲耶が呼び出されたことは茶道部の人間、少なくとも東上は知っていただろう。東上がよこしたのかもしれない。あるいは東上の知り合い。俺にこいつらがいるようにパリピにはパリピのネットワークがあるだろうからな。 「それで相手は何人だった?」 「それが……」  金髪は言いにくそうに口ごもった。 「どうした?」 「はい、実は……一人なんす」 「はあっ?」  一人ってどういうことだ? あの女一人にこいつら全員なすすべもなくやられたっていうのか? こう言っちゃなんだが、こいつらは目的のためなら平気で凶器だって使うようなやつらだ。そんなやつらがたった一人の女にやられたっていうのか? 「あの女、超強かったんす。俺らも女ってんで油断してるところはあったんすけど」  油断て……そんな次元の話じゃないだろ。 「どんなやつだったんだ?」 「何かひらひらのメイド服着てて変なやつだなって思ったんすよ。一人だし。でも、まさかいきなり殴りかかってくるなんて思わないじゃないすか。あっという間に二人やられて、ボスに連絡しろって言いだしたんす。俺らはふざけんなって感じで反撃したんすけど、結局ボコられて……」  それで俺に電話を掛けてきたってわけか。状況は理解したがにわかには信じられない。 「顔は見たんだろ?」 「それがずっとメットかぶってたから分かんないんす」  何だそれ。フルフェイスのメイド服? そんなやついないぞ。マンガにしか出てこないやつだ。だが、俺の猜疑心を吹き飛ばすかのように、あの女の甲高い笑い声が頭の中に響いた。俺は、正直、あの時背筋に冷たいものを感じた。自慢じゃないが俺もそれなりに場数は踏んでいる。だが、そんな俺にすら、あの女の甲高い笑い声は普通じゃない何かを感じさせた。そう、俺は恐怖を覚えたのだ。  だが妙だ。あの女は、あの時、確かに『もうそろそろ、やめといたほうがいいんじゃないかな』と言った。それは、つまり咲耶が脅迫されているのを知っているということだ。知っていて、あえて今まで見過ごしていたような口ぶりにも聞こえる。もしそうなら、咲耶や東上がよこしたわけではないということになる。何か不自然だ。  俺は、しばらく考えてみたが、その謎を解くような答えは浮かばなかった。分からないことを分かるまで考え続けられるほどの時間は俺には残されていない。今、確かなのは、東上が茶道部にやってきてから全てがおかしくなったということだけだ。幼なじみだと言っていたから咲耶の心の支えになっていることは間違いないだろう。だが、それだけではない気がする。この段階になって、今さらながら俺は気付かされたことがある。そう、俺は東上という女についてあまりにも知らなさ過ぎたのだ。
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