星空メランコリヰ1(4月23日 水曜日)

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星空メランコリヰ1(4月23日 水曜日)

 星を観ていた。  夕方には空全体に薄く雲がかかっていたけれど、夜半過ぎには一片の雲もなくなり、今の時間は絶好の観測条件となっている。ていうか、もう明け方も近いので山頂付近にあるこの公園は少し寒い。四月早朝の気温をなめてはいけない。油断すると、すぐに風邪がひけるくらいの気温だ。これは確かな情報。ソースは私。過去に苦い経験あり。  なのに、防寒ジャンパーまで着込んで、どうして私がここに来ているかというと、もちろん星を観るためだ。今日は、こと座流星群が観られるのだ。あ、言っておくけれど、星は天体望遠鏡ではなく肉眼観測する派だ。一応、念のために天体望遠鏡も持ってきてはいる。勘のいい人ならもう気付いたかもしれないが、私はかなりの星オタだ。そう、世間から鉄オタとかアニオタとか呼ばれているあのオタだ。その呼ばれ方に異論はない。それで嫌な思いをしたこともないし。ただ、若い娘がしょっちゅう夜中に一人で外出することに母はいい顔をしていない。  実は、私の家はごく普通の一般家庭とは少し違っていて、代々茶道の家元を輩出している家柄だ。正式には茶道菫花流(きんかりゅう)院という。菫花流は、かなり歴史ある茶道流派なのだが、いつの頃だったか、兄弟間で争いが起こり三つに分家してしまったのだとか。それぞれが菫花流を名乗っていて紛らわしいからか、うちは『院』と称している。源平の御代なら悪玉だ。もちろん、これはあくまでも個人の見解。  今現在の家元は私の母親だ。本名は櫛名田(くしなだ)春歌(はるか)と言うのだけれど、茶道の折には櫛名田(くしなだ)春鴎(しゅんおう)と号している。母の次は、私がこの春鴎になるらしい。知らんけど。  まあまあ特殊な環境の中で育ってきた私には、それなりに茶道の知識がある。それは後継者としては当然の知識だ。だが、私は、櫛名田家に生まれたというだけで後継者に選ばれただけなのだ。そこに私の意思はない。こんなのは今どきおかしくないだろうか。そう思った私は、中学のときに「そんなん知らんし」と反抗し、自分の好きなことに注力、まい進することにした。その一つが天体観測だ。  高校入学後も、母が在籍していたという歴史ある茶道部になどは入部せず、図書委員会に参加させてもらっている。第一希望の天体部が、かなり前に廃部になったということなので致し方ない。しかし、こう見えて私は、なかなかの本の虫でもあったので、放課後という学生が自堕落に過ごしがちな時間を、読書によって有益に使わせてもらっている。実際のところ、図書室に本を借りに来る生徒なんてほとんどいない。みんな、その日の復讐やら明日の予習やらをやっているのだ。私はしない。私は、授業中で全て終わらせてしまう派だ。そのほうが効率いいに決まっている。  友達は、「そんなこと言いながら実はこっそり家で勉強してるんでしょ」と言うのだけれど、誰がそんな面倒くさい嘘を吐くか。確かに成績はトップで、入学式でも代表あいさつを務めたからか、私にクソ真面目なガリ勉少女のイメージを持っている生徒は多いみたいだ。眼鏡女子という外見も、その印象を強めるのにひと役買っているのだろう。自分で言うのもなんだけれど、こう見えて私は、結構破天荒なんだけどな。  最近では、そんな私に匙を投げたのか、母は、お手伝いのナナさんと良からぬ相談をしている。茶道を嗜むイケメン男子を婿養子として迎え入れ、次期家元に据えようというのだ。またもや私の意思は無視されているのだった。これには櫛名田家最後の良心である私もびっくり。横暴だ! 陰謀だ! などと軽く韻を踏みながら猛烈に抗議した。すると、二人は声をそろえてこう言った。 「本人の前で話しているのだから、これは陰謀などではない。文句があるのなら代替案を申し出よ。ていうか後継げ」私、沈黙。  しかし、そんな簡単にイケメン男子が捕まるのなら、世の女子たちは苦労しないのである。ちなみに私には守り神がいるので、近い将来、その守り神が超絶イケメン男子と引き合わせてくれるはずだ。私の守り神とは、いつもお財布に入れて持ち歩いている、これこれ、この写真の女性である。  この白黒写真の女性は、母の話では私の祖母の叔母らしい。私は、一度もお会いしたことがない。既に鬼籍に入られているそうだ。言われてみれば、どことなく亡くなった祖母に似ている気もする。何せ美人なのである。白黒だから美人度二割増しだ。私の卒業写真はぜひ白黒でお願いしたい。  失礼、話が脱線した。どうして私がこの写真を守り神にしているかというと、それは、この写真と私との出会いに理由がある。祖母が亡くなってしばらくした後、私と母は一緒に祖母の遺品整理を行っていた。祖母は、母には厳しかったが私には優しい人だった。孫に甘くなるというのは本当らしい。もちろん祖母は母の前の春鴎である。さすがに茶道のお稽古のときは厳しかったけれど、それでも私には、「長い人生、何も茶道だけに縛られることはない」と寛容だった。  その祖母が愛用していた文机の引き出しの奥に、この写真は入れられていた。まるで置き忘れられたかのように。あるいは意外とやんちゃだった祖母が、誰かに見つけてもらうために故意に残したか。その女性は、まっすぐで艶々とした漆黒の長い髪、整った眉、意志の強さを感じさせる切れ長の目、長いまつげ、筋の通った鼻梁、小動物のような小さな口元、細い首、どこのパーツをとっても美しかったが、全体のバランスが何より良かった。こんなに美しい女性がこの世にいるのか。  母は、「たぶんお母様の叔母様ね」と言った。母にもその女性と会った記憶がなかったのだ。もしかしたら、祭事にはいたのかもしれないけれど、今ひとつはっきりしない。確かに祖母の叔母ということは、かなり昔の話になる。私が会ったことがないのも当然だ。それでも母がその女性のことを、最終的に祖母の叔母だと言ったのには理由がある。祖母の叔母は、確かに美人で印象的な人物ではあったが、何と菫花流を追放されたといういわくつきの人物でもあったのである。何をすれば追放などということになるのだろう。想像もつかない。  しかし、私は、その女性のことがすごく気に入った。その女性は、気の遠くなるような長い間、祖母の文机の引き出しの奥底で私を待ち続けていた。なぜだかそんな気がした。私は、母に承諾を得て、その写真を自分のものとした。その日以降、彼女は守り神として、お財布の中からいつも私を見守ってくれている。いまだにイケメン男子との出会いはセッティングしてくれていないけれど。  そうそう、イケメンではないが私には幼なじみがいる。幼なじみのいる人間は結構いるかもしれないけれど、高校生になるまでずっと仲良しなのはちょっと珍しいかもしれない。ましてや相手が異性ともなると。だいたい途中で相手に彼女ができて疎遠になったり、自分に彼氏ができて疎遠になったり、広い世界を知ったので疎遠になったりと、理由は様々だが時間の経過とともに疎遠になりがちである。彼も昔はアヤちゃんなんて呼んでくれていたのに、今では櫛名田と苗字を呼び捨てである。いつ私が君に呼び捨てを許したよ。まあ、面と向かって許可を取りに来られたら、たぶん許すとは思うけれど。  その彼、名前を胡桃(くるみ)くんと言う。何と彼は私と同じ高校、同じクラスなのだ。何この奇跡的な確率。そんなでもないか。だが、驚くべきことに彼は、私が回避したあの歴史ある茶道部に入部したのだった。今まで茶道なんかやったこともなかったのに。おおかた美人の先輩目当てといったよこしまな理由だろう。何と不純な! 声を大にして彼に茶道の何たるかを説いてあげたい、ところだが、ようやく茶道に目覚めたかと母に勘違いされる恐れがあるので実際にそんなことはしない。  果たして胡桃くんは茶道部でうまくやっているのだろうか? 気になるかって? そりゃあ小中と一緒だった気弱な幼なじみの少年が、きれいなお姉さんたちに翻弄される姿はできれば覗き見したい。叶うなら録画して後世まで残し、語り継ぎたい。あ、申し訳ない。ついつい本音が。でも、正直うまくやれているのかは気にはなる。本当に彼は残念なくらい不器用な人間だったので。特に人付き合いという意味において。しかも、その茶道部、今ちょっとばかし校内で注目の的なのだ。悪い方の意味で。  歴史ある神東高校茶道部といえば、それなりに有名で、部長ともなると、なかなかのステイタスらしい。なので、部長になりたい人は結構多い。同学年に高名な茶道家元のご子息ご令嬢でもいない限り、みんな一様に部長に就くことを夢に見る。過去には刃傷沙汰が起きたこともあったとかなかったとか。  こんな前置きをしておいてなんだけれど、何も今現在茶道部で流血事件が起きているというわけではない。その可能性が全くないとも言い切れないけれど。入学してから知ったのだが、我が校には無記名掲示板というものがあるらしい。入学式を終え、疲れ果てて帰宅した私は、鞄の中に一枚のチラシを見つけた。入学式直後の熱烈な部活動勧誘を受けた際に、何気なくもらって鞄に入れていたのだろう。そのチラシには、ただ単にアドレスが一つ表記されているだけだった。興味半分でそのサイトにアクセスすると、そこには、たくさんの我が校の情報が無記名形式で書き込まれていた。  無記名なので、それらの情報の信憑性は疑わしい。「野球部のピッチャーは、事故で亡くなった弟エースの代わりに投げている」とか「サッカー部の前キャプテンは、十一人抜きした直後に亡くなった」とか「吹奏楽部の若手顧問とサックスパートリーダーは、道ならぬ恋に燃え上がっている」とか実にうさんくさい。そんな掲示板がオフィシャルであるはずがないので、恐らく、他の部のチラシに紛れ込ませていたのだろう。  だが、私は、その中にあった茶道部の欄に目が留まった。入部する気もないのにそこに目が留まるのは、櫛名田家の血のなせる業か。開いてみると、そこには、ネタ的にも全然面白くない書き込みばかりが並んでいたのだけれど、なぜか、その中にさらにアドレスを書き込んでいる者がいた。後から思えば、恐らく、そのときの私は通常の精神状態でなかったのだと思う。普段ならアクセスするはずのないそのサイトにアクセスしてしまったのだから。 『ヴァイオレットにようこそ』  サイトトップにウェルカムメッセージが表示される。まだ何のサイトなのかは分からない。少し画面をスクロールさせてみる。すると、それまで見ていたサイトと同じような書き込みサイトであることが分かった。ただ、書き込みは、よりいっそう過激なものばかりだったけれど。 『六条(ろくじょう)深桜(みお)の本性を暴け!』  まず目に入ってきたのはその言葉だった。もちろん無記名なので、どこの誰が書き込んだのかは分からない。その書き込みに対して、多くの人間が『了解!』とか『任せて!』とか返事を書き込んでいた。もちろん無記名で。  何だ? このいじめ計画掲示板みたいなのは。見ていて気分が良いものではない。ところがこの手の書き込みに無上の喜びを感じ、事実無根の燃料を投下する下衆な人間はやはり一定数いるのだ。残念なことに。 「六条深桜って、北家の?」  背後から画面を覗き込んできたのはナナさんだった。今までにも何度かそういうことがあったので驚いたりはしなかった。だからといって、人のスマホを勝手に覗き込むのは止めてもらいたい。 「そうみたいですね」 「ひどい書かれようだね」 「ええ……」  私が黙り込んだのをどういう風に捉えたのか、ナナさんは楽しそうに私に提案してきた。 「じゃあ、ひとつやりますか」 「やりますかって何を?」 「正義の味方」  ナナさんは、私の沈黙を怒りと捉えたらしい。長い付き合いなので、さすがに私の性格をよく知っている。正義の味方をやろうなんて言うとは思っていなかったけれど。  無記名掲示板内のサイト『ヴァイオレット』は、次第に生徒たちの知るところとなり、何者かに茶道部が狙われているといううわさは、瞬く間に校内中を駆け巡っていった。『ヴァイオレット』の過去ログを見てみたら、前にも標的にされた生徒がいたみたいだった。  私は、厄介ごとに巻き込まれるかもしれないという抵抗感よりも、圧倒的に曲がったことが許せない正義感が勝つタイプの女だ。そう、近くにいたら実に面倒くさい女なのだ。だって仕方ないじゃないか。許せないものは許せないのだから。というわけで、私は、ナナさんと二人で、この『ヴァイオレット』とかいうサイトの黒幕をお天道様の下へ引きずり出し、悔い改めさせてやろうと誓ったのだ。  さて、こと座流星群も観たし、そろそろ帰って熱いシャワーを浴びないとマジで風邪をひいてしまいそう。学校へ行く準備もしないと。授業は今日も普通にあるのだから。私は、ヘアアイロンがうまくできない人なので、ことさら人よりも時間が余分にかかってしまう。本当に毎朝面倒だけれど、前髪が決まらなかった日の憂鬱感に比べたら百万倍もマシだ。前髪絶対女子なめんな。  私は、一度武者震いしてから、まだ明けきらない街を自宅に急いだ。
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