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「ジークのことなんだけどさ」
(……俺のこと?)
廊下へと続くドアに、隙間ができていた。
カヤがアトリエから戻る際、閉め損ねてしまったらしい。
廊下を拭き始めたところだったジークは、不意に聞こえてきた自分の名前に手を止め、瞬いた。
「思ったより筋はいいみたいなんだけどな。ただ、箒に名前がなかなか出ないみたいで。……アンリ、何か聞いてる?」
「……特には」
「そっか」
言いながら、カヤはまだ中身の残っていたアンリのカップに、勝手にハーブティーの追加を注ぐ。その横に、持参したバスケットから焼き菓子を一つ添えて、
「……じゃあさ、あの話、してやっていい?」
「何が〝じゃあ〟だ。別に言う必要はないだろう」
「いや、だってあれ絶対励みになるし」
カヤは当たり前みたいにそう続けると、宥めるかのようにアンリの皿に菓子を増やす。
重ねられたフィナンシェが、ぎりぎりのバランスでゆらゆらと揺れる。
あの話?
あの話ってなんだろう。
さすがに扉のすぐ前まで行くわけにはいかず、声量によってははっきり聞こえない。
ジークは壁に身体を沿わせるようにして、思わず耳をそばだてた。
「だってまさかこのアンリがだよ? このアンリが、箒に名前が出るまで一年もかかったなんて……俺だって信じられなかったし!」
「あれは箒の不具合だと思っている」
「いや、それ普通に職人さんに怒られるやつだから」
(え……?!)
ジークはとっさに口を押さえる。漏れかけた声をどうにか抑えながら、大きく見開いた目を僅かに泳がせる。
カヤが力説したばかりに、はっきり耳に届いてしまった。
どこかでジークを慰めるための嘘ではないかと思っていた、名前が出るまでに一年かかったという魔法使いの話。あれはどうやら本当のことだったらしい。しかも、それがアンリだったなんて――。
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