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* * *
「あ、え……?」
ジークは思わず声を上げる。
胸に抱いていた箒がいつもより熱を帯びているように感じて目を開けると、それ全体が柔らかな光を纏っていることに気付いたのだ。
かと思うと、その光度が一際強くなり、あまりの眩しさに目を細めた矢先、
「……!」
ゆっくりと柄の部分へと収束したそれは、やがてその表面に柔らかな輝きだけを残して消えた。瞬いて視線を向けた先には、波打つように煌めく細い線が描かれていた。
「これ……」
そこには確かに〝Siegrid〟と刻まれていた。
「今の光……」
呟いたのはカヤだった。
自転車がパンクし、それを押しての移動だったため予定より到着が遅れていたカヤは、その光景を遠目に見留めて瞬いた。
一瞬緩めた歩調を早め、まもなくいつもの定位置に自転車を止める。
「……良かった」
カヤはほっと息をつき、手の中の箒を見詰めて呆然と佇むジークの元へと足を向ける。
確認するまでもない。さっきの光は箒に名前が刻まれる時のものだ。今までにも何人もの見習いのそれを見てきたから分かる。
カヤは吹き抜ける風に黒いローブを閃かせながら、無意識に表情を緩めた。
ここに来る前に立ち寄ったアンリの屋敷で、遅刻した分リュシーにお茶を用意してもらう時間もそこから二時間後に変更してもらった。よって時間は十分にある。待ちに待った名前もようやくちゃんと刻まれたのだ。今日の鍛練は捗るかも知れない。
ちなみに、遅刻した理由についてアンリは当然のようにそれくらい魔法で何とかしろと呆れていたが、そうしないのがカヤだと言うことも知っていた。
まず魔法は万能ではない。
魔法がなくてもできることに魔法は使わない。
何でも魔法に頼ることはしない。
カヤが弟子を取るときにまず言い聞かせるのがそれだった。
もちろんそれは時と場合によるし、それ自体が仕事であれば話は別だとは言うものの、少なくとも自分のことに関しては極力それを徹底しようとするのがカヤだった。
「お前の考えることは理解できない」
何度そう言われても、カヤが返す言葉もまた一つしかなかった。
「俺もよくわからない」
へらりと笑って答えるカヤに、そのたびアンリは冷めた眼差しを向けていたが、今となってはもう理解しようとも思っていなかった。天才の考えることは分からないとある意味割り切ってしまったのかもしれない。
「名前が……!」
ジークが独り言にしては大きめの声で呟くと、応えるように柄に刻まれた文字が光沢を帯びる。
「――ジーク」
刹那、それを辿るように名を呼ぶ声が響いた。
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