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『ジーク……』
その声は、頭の中に直接響くようだった。ジークは無意識にそれに答えた。
「はい――」
その瞬間、ジークはくらりとした目眩のようなものを感じてよろめいた。
とっさに持っていた箒で身体を支えようとするがそれもうまく行かず、諸共に地面へと崩れ落ちる。
「ジーク?」
それを目にしたカヤが慌てて駆け寄ると、ジークは片手で箒の柄を握ったまま、草の上に両手をついて座り込んでいた。
俯いていて顔色はよく見えないが、心なしか息が上がっている気がする。上体を屈め、触れた肩が忙しなく上下していることに気が付いたカヤは、
「大丈夫か……? もしかしたら魔法が不安定になってるのかもしれない」
一向に顔を上げようとしないジークの傍らに膝をつき、気遣うようにその背を撫でる。そして更に様子を窺おうと顔を覗き込んだ時、
「辛いならこのままちょっと横に、――っわ!!」
不意に伸びてきた手に襟元を掴まれ、かと思うと次には草の上へと引き倒されていた。
思いがけず反転した視界に目が回るような感覚を覚える。ジークの手から離れた箒が、視界の端に転がっていた。状況が理解できないまま、ともかくカヤは視線を上げた。
陽光を背に覆い被さるようにしてジークがカヤを見下ろしていた。逆光のせいで表情ははっきりとは分からないものの、その双眸がどこか正気を失っているように見えるのは気のせいではないだろう。
「……カヤ、先生……」
「なっ……え? どうした?」
掠れて上擦るジークの声。それを怪訝に思いながら、それでもちゃんと相手の名を呼べることにほっとして、カヤは取り繕うように問い返す。
「ジーク? 大丈夫か?」
「先生……、すみません、俺……」
「ん? なに?」
カヤは片手を伸ばし、宥めるようにジークの頬へとそっと触れる。その手付きにジークはぴくりと肩を揺らし、何かを堪えるように目を閉じた。カヤは小さく首を傾げる。
「?」
「に……」
「に?」
「逃げて、くださ……っ、俺……」
「逃げる?」
カヤが不思議そうに瞬くと、数拍の沈黙の後、ジークはゆっくり瞼を引き上げた。かち合った瞳は酷く茫洋としていて、なのに何故か射止められたように目が離せなくなる。
「……? ジーク?」
「――…」
呼びかけるカヤの声を無視して、ジークはカヤの顎先に触れた。
そのまま僅かに引き上げられ、次にはふっと視界が陰る。妙に熱っぽく感じる吐息が唇にかかる。カヤは思わず瞠目した。
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