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その日のジークのヒートは、結局緊急抑制剤で抑えることになった。アンリはその後所用で家を空けることになっていたため、直接相手をしてやる時間がなかったからだ。(決して自分の好きな研究を優先させたかったからではない)
そういうわけで、リュシーがカヤを見送ってから一時間ほどが経った頃、ようやく目を覚ましそうになったジークは、そのまま覚醒しきる前に再び眠りに落とされたのだった。
試験管片手の雑な口移しにより流し込まれた抑制剤はそう強いものではなかったが、それでもその日起こった急なヒートの症状を緩和するには十分だったらしい。
……ちなみに、当然のごとくアトリエに放置されていたジークの身柄を、自室のベッドへと運んだのはリュシーだった。ほどなくしてアンリは「三日ほど空ける」とだけ言い残し、予定通りに屋敷を後にした。
――その夜更けのことだった。
「やぁ、本当に良い夜だ」
見慣れない一人の男が、鼻歌交じりに零しながら屋根の上へ音もなく降り立つ。ジークの部屋の真上に位置するそこで、全身黒づくめの長身の男は頭上の夜空を見上げて眩しげに目を細めた。満月の綺麗な晩だった。
「ん……」
ギシ、と微かにベッドの軋む音がする。ジークの瞼が微かに震え、ややしてゆっくりと引き上げられる。
ヒートの名残か、薬のせいか、頭が酷くぼんやりとしていた。数時間前にカヤを相手にしでかした記憶もまだ沈んだままだった。
「窓を開けてもらえるかな」
そこにどこからか囁くような声が届く。ジークは無言で頷くと、気怠い身体を引き上げベッドを降りた。
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