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* * *
「冗談じゃねぇ……」
リュシーは汗に張り付く前髪を掻き上げながら、閉めきった扉を背に頭上を仰ぐ。
何かを堪えるように歯噛みして、目を細め、その傍ら、ドア越しに室内の様子を探る。
少しは落ち着いてきただろうか。
先ほどまでに比べれば格段に減った物音に、リュシーは大きく息をつく。
「あのご主人……適当なことばっか言いやがってっ……」
吐き捨てるように呟くと、応えるようにガタン! と響いた音にびくりと肩が揺れた。
そんな自分の反応に舌打ちしながら、再度背後に意識を向ける。
けれども、それきり気になるような音も声も聞こえては来なかった。
リュシーはそのままずるずると足下にへたりこんだ。不自然に乱れた襟元を掻き寄せながら、忌々しげにため息を重ねる。
(なんで俺がこんな目に……)
主人はまだ帰らない。
夕方まではもつだろうと聞いていたが、実際には昼すぎまでも、もたなかった。
* * *
数時間前――まだリビングで話し込んでいた時のことだ。
目を覚ましてから昼頃までのジークは、確かにすっかり落ち着いて見えた。
明るく真面目で一生懸命。素直で優しく、かつしっかりとした面もある――見るからに人好きのするその性格は、アンリとはまるで正反対にリュシーには映った。
纏う空気にも一切の険がなく、久しく触れた覚えがないほどのその清白ぶりは、感心を通り越して呆れてしまいそうなほどで、
(……気を抜きすぎた)
それが何よりの失態だった。
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