995人が本棚に入れています
本棚に追加
カチャンと音を立てて、カップが倒れたのに気付いたときには、ジークの息はすでに上がっていた。ふわりと漂ってきた匂いに気付いたのもその時だ。
そこから一気に濃くなった甘い香りに、リュシーは束の間、気圧されたように動けなくなった。
辛うじて上げた視線の先で、ジークは苦しいように自分の身体を掻き抱いていて――。
かと思うと、次の瞬間、糸が切れたかのように意識を失った。
ジークはそのまま床へと崩れ落ちた。どさり、と響いたその音に、ようやくリュシーの時間が動き出す。
慌てて傍へ駆け寄ると、ジークはなまめかしい吐息を漏らしながら、微かにまぶたを震わせていた。
リュシーの頭の中に、昨夜の様相が蘇る。この家に来る前――リュシーがジークを拾いに行ったときと、似ている気がした。
リュシーは急くようにジークの身体を抱き上げた。
触れた先から、何とも形容しがたい空気が纏わり付いてくる。
きわめて甘く、強制的に官能を擽るようなそれは、元々影響を受けにくいはずのリュシーにまでも強引に火をつけようとする。
(うっとうしい……)
煽られたって、リュシーは達けないのに――現状のままでは。
「間に合わなかったら、じゃ、ねぇよっ……」
リュシーはじわじわと体温を上げるジークを抱えたまま、リビングを飛び出すと、
「こんなの、どうせ想定内だろ……!」
吐き捨てながら廊下を突っ切り、次いでアトリエの扉を蹴り開けた。
リュシーはそこから更にひとつ扉を抜けて、ジークを奥の部屋のベッドに下ろす。
それからすぐにアトリエに戻り、今度は作業台の上へと視線を走らせた。
間もなく目に止めたのは、今朝方ジークが気にしていた、不思議な色合いの液体が入った瓶だ。焦れたようにそれを手に取り、急いで奥の部屋へと向かう。
「!」
けれども、そこでリュシーは足を止める。
とっさに口元を覆ったのは、先とは比べものにならないほどに濃くなった香りが、部屋中を満たしていたからで、
「リュシー、さん……」
そしてベッドに寝ていたはずのジークが、いつの間にか身を起こし、艶然と微笑んでいたからだった。
最初のコメントを投稿しよう!