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少し前まで同居していた父親は、最後の数年間は認知症の症状で徘徊や妄想がひどく、他の家族は夜も日もなく、介護に追われていたのだそうだ。
「認知症になる前のオヤジはね、とにかくお洒落で、ちょいワルってやつかな。世の中の緒事情に何かと詳しいし、いつもオレに何か悪だくみを吹っかけてくるような人だった。
『どうだマサキ、一緒に組んでみるか?』ってね」
派手なアロハが妙に似合う、いつも刺激的な父親だった。しかし認知症になってからは服装もだらしなくなって、何より衝撃的だったのは、
「もう目の中に、火花ひとつ飛んでなくてさ」
青峰でアナウンスを聞いた時、山本にはなぜかぴんと来た。
ここで、つかの間とはいえ、親父に会えるかも知れない、と。
「でも、俺は怖かったんだ」
山本はいつの間にか、膝の間に落とした自身の両手を見つめていた。
「親父には会いたい、今でもあの派手なアロハ姿は目に焼き付いている。声さえかけりゃすぐに『聴こえてるよ、うるせえな』ってにやりと笑いそうな、そんな親父がさ。
でも亡くなる前の半年は、本当につらかった。枯れた父親で、そんで直視できないオレ……
そんな、オレがずっと避けていたオヤジがもし目の前に立ったら、
オレは何て声をかければいい?」
今度も、ホントは目が覚めていたんだけど、どうしても、降りられなかった。
「降りてみれば、よかった」
山本はそのままの姿勢でつぶやく。
「たとえ直視できないにせよ、会っておけば良かった。少しでも声をかけてやれば」
小さくつぶやく山本の腕に、桐谷は軽く触れて言った。やはり前を見ながら。
「だいじょうぶ。気にすることないですよ」
山本がわずかに、こちらを向く。桐谷は淡々と続けた。
「俺みたいに、会えたとしても、どうにもできなかった人間もいるんですから」
他の人のかなしみも、案外似たようなものかも知れない。
桐谷は揺れる電車のなか、またうつらうつらし始めた山本の頭を肩に感じながら、窓の外を流れる暗闇を何となく、見送っていた。
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