瓢箪駅にて

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 じぶんの哀しみなんて、あんがい他の人にはわかってもらえないものかもな。  そんな想いを悶々と、というほどではないが何とはなしに抱えながら、桐谷(きりたに)はほろ酔いのまま、終電に揺られていた。  左肩には、三年先輩の山本の頭がずしりと乗っている。  脂ぎっているという程ではないが、先ほどまでの暑さで、髪は汗のせいかわずかに湿ってみえる。  鼻を軽く鳴らし、山本は気持ちよさそうに眠っていた。  すでに明日になろうかという時間の電車の中に、人はもうほとんど残っていなかった。  都市部の駅からすでに三十分近く、七駅過ぎている。四駅くらいまではかなり混みあっていて座るどころか、つり革につかまるのもやっとだったのだが、その後は嘘みたいに人がいなくなり、今では、同じ車両の中にはほかにOLらしい若い女性と、大学生らしい男女のカップル、そして、泥酔して三人掛けに長々と横たわっている中年男性のみだった。  クーラーが利きすぎて、軽く寒さを覚えるほどだ。桐谷は思わず両腕を抱える。肩が上がり、山本の頭も揺れる。だが、山本は少しだけ寝息のリズムを変えただけだった。  桐谷はあと二駅、山本はあと三駅で降車駅になる。どちらも降りれば自宅まではそれほど遠くない。  桐谷は歩いて十分ほどでアパートに着くし、山本も降りれば目の前がもう、自宅のマンションだ。  無事に降りられれば、だが。  会社の送別会の帰りだった。 「岡崎さんばっかり、ワリくっちまったよなー」  山本の声が耳の奥底にまだ残っている。  ふたりの上司だった岡崎課長は、三次会の後去りゆく時にもまだ、温和な笑みを浮かべて手を振っていた。  いつもならば会社の飲み会なんてすっぽかしていて、キリちゃん今どきだよねーと、ノリの良い山本にはよくそうひやかされていたのだが、さすがの桐谷も、岡崎と離れ難いものがあって、今夜ばかりはとことんついて行った。  最後の四次会はついに山本と二人きりとなった。もう何をしゃべったか、何を話してもらったのかも朦朧としていたが。ただ、 「ワリくっちまったよなー」  いつもは皮肉まじりの冗談ばかりが多い山本が、妙に神妙な表情でそう口にしたのが、何度も脳内に巡っていた。  それでも、冷房のきいた車内でしばらく揺られるうちに、なぜか桐谷の頭と目だけは妙に、澄み渡っていった。  家に帰ったら、まず風呂を溜めて、ゆっくり風呂に浸かろう。それから何か少し食べて……  山本さん、ちゃんと降りられるかな。  オレと一緒に降りてもらって、うちに泊めた方がいいかな……お子さん小さいんだっけ? 奥さんも寝てるんじゃないかな。鍵はどうするんだろう。開いてないかも、だったら泊めようか……でも、面倒くさい。  知らんふりして、降りてしまおうかな。  それにしても岡崎さん、何だか寂しそうだったな。新潟行きの新幹線があんがい早くて、ここで失礼します、なんて、他人行儀な挨拶だったよな、最後。  もっと話を聞いてやればよかったんだろうか?  まあ誰しも、何か抱えるものはあるんだし、キリはないか。  次の駅は、山に囲まれた小さな駅だった。  このあたりの駅には珍しい、周りに家や建物があまりない場所で、明かりも駅構内のものくらいしかない。 「次は、青峰、アオミネです」  いつもの車内アナウンスとともに電車はなめらかに速度を落としながらホームに入っていってから軽く車体を揺すり、すぐさま、静かになった。  空気の抜ける音とともに両開きのドアが大きく開いて、まだかすかにぬくもりを残す空気が車内に押し寄せた。  あれ、と桐谷は頭をあげて外をうかがう。  温かい空気の流れがひとしきり止むと、今度は涼やかな風が桐谷のもとにも届いた。  深い闇のなかから、少し時期の早い虫の声が響いている。    静けさの中、急に車内アナウンスが入った。先ほどの声と同じだった。 「こちらの青海駅にて、貨物列車の通過待ちで五分ほど、停車いたします」  え、桐谷は眉を寄せる。貨物の通過待ちなんて、あったっけ?  しばらくぶりの終電なので、記憶になかった。 「ただ今、青峰駅のホームに瓢箪の棚を作っております」  突然の、電車の運行とは何も関係のないことばに、桐谷はつい口を開けたまま、アナウンスに耳をすませた。  今まで二人きりの会話で盛り上がっていた同じ車内のカップルも、何ごとかと口を閉ざし、上を向いている。 「このお時間、ホームに降りて素晴らしい瓢箪の棚をご覧いただけます。みなさまぜひ、電車を降りてご覧ください」  え、ヒョウタン? なんで? マジ?   スバラシイ、ってどゆことなんだろうね、どうする?  えっ、観に行こうよ、たっくん  ええ……ナツがそういうなら  カップルはあんがいすんなりと、電車から降りて行った。  たっくんと呼ばれた男子が、ちらりと桐谷たちの方に目をやって、ホームの暗がりへと消える。  桐谷はなぜか、その目に挑戦的な光を感じ、あわてて立ち上がろうとした。  山本の頭がぐらりと揺れた。 「あっ、すみません山本さん」  山本はまるっきり目を開けようとしない。桐谷が座っていた席まで占領してぱたんと横倒しになり、そのまま熟睡に入っている。  窓ごしに、他の車両から降りたらしい数人が歩いているのが見えた。誰もかれも、程度はさまざまだが少し遠くの何かに心を奪われているようだ。そして、どこか嬉しそうでもあった。 「ねえ山本さん」  桐谷は、何度か山本を揺さぶってみた。 「起きてください、まだ青峰ですけど、外に何かあるって」  山本は口の中で何か難しい人生の箴言をひとしきりつぶやいて、また夢の世界へと戻ってしまった。  どうしようか、せつな迷ったものの、桐谷はどうしても好奇心に勝てず、「ちょっと行ってきます」一応、そう山本に声をかけて開いたままのドアからホームに駆け出していった。
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