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もう何年前になるんだろう?記憶が定かではないけれど、大きな緑地公園や、関西国際空港の方まで、おばあちゃんについて行ったこともあった。おばあちゃんは、それを命の洗濯と呼んでいた。自分が好きな時に、好きな場所で過ごすこと。それが自由であり、幸せだと言う。
おばあちゃんは、自分の得意な俳句を読もうとしていた。でも、関空の眩しい夕陽がゆっくりと沈むところまでは見ていられなかった。風が強くて、私が寒さに耐えられなかったのだ。あれは秋のことだったのかもしれない。夕陽が沈むところを眺めたら、一句ひらめくかもしれないと言っていたおばあちゃんは、はっきりとは言わなかったものの、帰り際、心持ち残念そうだった。今思えば、この頃私はおばあちゃんの足を引っ張っていてばかりだったような気がする。
私は特別おばあちゃんっ子なわけではなかったので、それからしばらく交流が途絶えてしまった。
次に会ったのは、父親に誘われて、叔母さんの家に顔を見せに行ったときのことだ。その時にはもう、おばあちゃんはそれまで1人で住んでいた家を引越しして、叔母さんの家で、父親の姉である叔母さんの介護を受けていた。私達は一緒に、お寿司を食べにでかけた。おばあちゃんは、足元がおぼつかないので、車まで私が手を引いた。おばあちゃんは、「まぁまぁ!まさかおばあちゃんがこんなになってるなんて思いもせんかったでしょ」と私に言った。たしかに、介護を受けているとは聞いていなかったので、驚いた。でも、同時に私は介護士として働いていた時期があったので、その動作に慣れてはいたのだけれども。
無事に皆んなが車に乗って、父親がお寿司屋さんまで運転していった。
お寿司屋さんでは、私はおばあちゃんの隣に座り、おばあちゃんの膝にのせられたタオル地のハンカチを、黒の柄が上をむくようにひっくり返したりしていた。おばあちゃんは、1番高い値段のお寿司を注文した。なんせ、お寿司が大好物なのだった。醤油がたれ、案の定黒いハンカチが役立った。
私はたぶん、2番目くらいに高いお寿司を食べた。私の好物もお寿司である。とても美味しい。私は、産まれてから両親が共働きしている間、おばあちゃんに面倒を見てもらっていたらしいので、もしかしたら、お寿司が好きだとかいう影響は知らずに受けていたのかもしれない。血が繋がっているって不思議なことだ。
この日は、おばあちゃんにとって、やっぱり命の洗濯だったのかもしれない。
あの日、真っ赤な焼け爛れた火の玉が見晴らしの良い空港に沈みかけていた光景を、貴女はまだ、覚えているだろうか?
現在では、おばあちゃんは特養に入ったと父親から聞いた。運悪く、コロナウイルスが蔓延している時期なので、会いに行くのはもっと先になりそうだ。会えたら約束をしたい。また、会いにくるよって。
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