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彼女は俺の背後の枝を揺すって、夜空へと戻って行く。
「人間の生き方って面白いの? 無機質なデータに埋もれ狭い心を抱きながら、生きていくのに無意味な価値観を背負って。そこまで摂理に逆らっておきながら、所詮は生身の身体で生きる。君たちだって動物なのに」
一発。
間、髪を入れず、
一発。
「明日へ撃ったの? それとも昨日? 明後日の方向に私はいない」
湿った森に、重い溜め息が降ってきた。
「過去の話に用事は無いし、見える未来を語ったら、手に入れるときには腐っちゃう。私は今を生きてるの。だから、かけがえのないこの時を……君の銀で撃ち抜いて」
一発ずつ、握った拳銃が軽くなっていく恐怖に心臓が高鳴っていた。
体中で脈を打っているのがわかる。生きている証しと言えば、そうなのかもしれないが、魂の器から一滴ずつ命が落ちていく音にしか聞こえない。
すでに4発を溶かした。薬室の中にある術式弾丸は残り2発。外したら、今生の終わりだ。この遊戯が終わりハーピィーが本気を出したら、人間の体で生きている俺など、勝ちようがなくなる。
あくまで遊戯、ルールのある遊びだから、こうして生きていられる。
その遊戯も、もう二発。
まだ切り札が残っているが、それでも心許なさは、気持ちを萎縮させた。
雲が厚みを増して闇が深まる中、彼女の居場所を探す。真剣に何度探り直しても、頭上から振ってくる気配。間違いなく、上にいる。
腕を天へと伸ばして、焦ったように引き金を引く。響き渡る銃声は、すぐに夜へと霧散した。
何一つ、落ちては来なかった。
耳を澄ませば、聞こえてくるのは森の呼吸だけ。雲が流れて、星の光が増えてきた。伸ばしたままの腕。銃口の先には黄金色の半月が、星の煌めく海をたゆたっている。
「私に遊ぼうって誘っておきながら、お月様にちょっかいを出すの? 節操のない男」
正面にいた彼女。
その表情はわからなかった。
「もう、遊戯はお終い。私の勝ちね」
黒い翼をはためかせ、俺の周りを飛び回り始める。巻き上げられた木の葉が、どんどん増えていき、気が付けば落ち葉の檻に捕らえられていた。
足を止められ視界も奪われ、心なしか息も苦しくなってくる。
もう後がない状況で、それでも俺は隙を窺っていた。
弾倉に刺さっている最後の一発は、全てをなげうって拵えた特注品だった。これが切り札。有名な加工職人の手がけた術式弾に、飛行モンスターを追うことに特化した召喚術を刻み、何度も必中祈願を掛けた逸品だ。
だから当たるはずだ……。
当たってくれ、頼む。
右手は銃把を握りこむ、左手は台尻に添えて。
回る回る視界は捨てよう。
動かない足なら、膝をつく。
どんな生き物よりも速い弾丸なのだ。距離は向こうが詰めてくるだろうし、迎えに行く必要も無い。俺は大きな的に照準を合わせて、引き金を引くだけの機械になる。
「諦めたの? そっか。思ったよりつまんなかったな。ばいばい、穏やかに朽ち果てられますようにって祈ったらいいよ」
腐れる木の葉の中に埋もれ、耳を凛と澄ませて立てる。胎動する大地の上に跪き、一心に思いを込めて目を瞑ろう。
悪いが、とっくに祈願は済ませているんだ。
木の葉の影から襲いかかろうとする風を捉える。ろくに合わせもせずに、引き金を引いた。
カチッ。
銃口の先に現れた金色の紋印が、闇の中に目映く浮かび上がって、長い尾を持つ雷光の蝶が紋印から飛び出した。雷光を纏った黄色の追跡者、『雷術サンダーテフテフ』。
獲物にぶつかるまで、その羽を休めることはない、飛翔者の天敵だ。
パチパチと放電しながら俺の周りを一周すると、目標を定めて飛びかかる。
「うそ!?」
落ち葉の壁から仕掛けてきたハーピィーが慌てて回避行動に移った。俺の脇を高速ですり抜けて、森の中に突っ込んでいく。木々の間を縫うように飛ぶ速さは、今までの比ではない。今まではかなり手加減されていたみたいだ。蝶が残していく光の痕を追わなければ、どこをどう飛んでいるのかもわからない。
「ふう」
銃口から弾が飛び出ていったら、もう狙撃手に出来ることはない。蝶が木に当たらないことを願い、彼女の翼を撃ち抜いてくれることを祈るだけだ。きっと、決着はすぐに付くのだろう。
ハーピィーが堪らずに森から飛び出してきた。向きを変えて、空へと上がっていく。上空で足を振り、術式紋印の刻描を開始。凶悪さで猛禽類をもしのぐ爪を持つハーピィーが、鋭いステップで夜空に何個もの紋印を描く様は、芸術的な美しさがあった。描き出されていく紋印の色は真白、真っ黒な空に白い模様が咲き乱れる。
ハーピィー族の真骨頂である風魔術を行うつもりらしい。
これは……勝ったな。
追いかけて森から出てくる蝶に降り注がれる風の刃。だが、蝶は雷光の化身、実体はないのだからいくら烈風を当てても切れるはずがない。
地面から空へと昇る雷光が、彼女の翼を貫いた。
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