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たとえ彼女を無視して帰ったとしても、なんら問題ない。失礼なあだ名をこっそりつけているだけで、何度か委員長として日直がどうだとか事務的な会話を交わした程度の仲だ。
それでも今俺が、この重くてどうしようもない荷物を抱えながら、導火線のやたら短い妹の存在を差し置いてまで彼女へ歩み寄ろうとしているのは、全部全部この猛暑日のせいなのだ。
放置すれば彼女は間違いなくこの公園で死ぬ。
彼女は絢斗と、同じだから。
「黒川」
「……なぁに、樹君」
「お前、今日何度か知ってる?」
「知ってる。5日連続の猛暑日でしょう。今日の日差しそっくりの顔した女子アナが言ってたわ」
突然話しかけても彼女は地面から視線をそらさず、驚きすらもしない。そしてどうやら朝は同じ番組を見ているらしい。
いや、そんなことはどうでもいい。知っているならなぜこんな自殺行為に及んでいるのか、その抑揚のない声からはさっぱり分からなかった。
恐らくこの会話は一生続けても無駄だ。黒曜石みたいな彼女の瞳からは、何か執念のようなものを感じる。
だから俺は強硬手段に出た。女性に対してあるまじき行為なのは承知で、後ろ髪をむんずと掴み、軽く引き上げる。恐らく罰なんだろう。太陽の熱を含んだ髪の束に、一瞬手のひらを焼かれた気がした。
意外にも柔らかな黒髪の先に、首を一周する黒いラインが露わになる。予想通り、シリアルナンバー横の水温計がHを指してカタカタと震えていた。
「首の水温計、振り切ってる。このままだとお前ショートするぞ」
「詳しいのね」
「弟がお前と同じなんだ」
彼女はやっと瞳に色を戻し、地面から顔を上げた。しかしそれは一瞬のことで、また取り憑かれたように地面を観察し始めた。
「知らなかった。いつから?」
「年明けくらいから。ちょうど半年になる」
「そう。あなたの弟も、大人のエゴに巻き込まれたのね」
胃に針を刺された気がした。
エゴか。そうなのかもしれない。家族のエゴのせいで絢斗は今、酷く曖昧で受け入れ難い自分の存在に苦しんでいる。
「蟻の行列を見ているの。彼らの運命を、ただ見ているのよ」
そうして恐らくは、彼女も。
黒川澪は人間ではない。そして俺の弟もだ。
知恵の実を手にした人間が触れてしまった禁忌の先に生きる存在。第二の人生を与えられた者たち。
彼女達は、アンドロイドだ。
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