この輝かしい夏の日に

4/9
前へ
/9ページ
次へ
「ちょっとぉ、まってぇ!」  その気の抜けた声に、喉の奥がヒュッと締まった。蟻の行列の上を女の子が駆けていく。その赤いシューズが列のすぐ(きわ)へぞんざいに振り下ろされた。間一髪で生き延びた蟻達は一瞬散開したものの、すぐに仕事を再開する。  彼女は女の子に注意すらしなかった。微動だにせず、ただその生き死にの行方を見ていたのだ。 「運命って、大きな川みたいじゃない」  突然語り出した彼女の声で我に返る。たかが蟻。されど蟻。心臓は嫌な脈打ち方をしている。  なんて悪趣味な遊びなんだ。 「どうやったって流れは止まらないのよ。一方向に流れていく。そもそも変えちゃいけないわ。必ず意味があるもの」 「だからって見殺しにするのか」 「樹君なら助けるの?」 「そりゃ……目の前で潰れたら可哀想だろ」 「へぇ、そうやって気紛れで助けるの。お優しいのね。この、」  ハッと彼女を見る。彼女もまた俺を見ていた。俺は憤慨するどころか、ただただ驚いていた。この鉄仮面はこんなにも苛立った、人間らしい声を出せるんだと。 「ごめんなさい、少し言葉が汚かったわ」 「俺たちは、なんの話をしていたっけ?」 「蟻の話よ」  そうだ、蟻の話だ。  それでも彼女の発言の一つ一つが、俺の沼をやたらと刺激し始める。 「たとえ無残に踏み殺されたとしても、それが運命なら受け入れるべきなのよ。踏んだ子が次は下をよく見ようと思うかもしれない。生き残った蟻がもっと安全な場所へ行こうと思うかもしれない。 もしかしたら……疲れきって死にたいって思ってたかもしれないわ。なのに、人間なんかの、気紛れで」  口をつぐんだ彼女は、またじっと蟻の行く末を見始めた。  彼女の言い分は分かる。神でもない人間なんぞが、一時の気紛れで虫一匹の運命を狂わすのはどうかと言いたいのだ。蟻の気も知らず、傲慢だと。  なんだよそれ。じゃあ俺はどうすればよかったんだ。  あんな綺麗な顔した絢斗を、  無惨な傷で覆われた絢斗を、  飲酒運転なんて身勝手に巻き込まれた絢斗を、  これも運命だと納得して見殺しにすればよかったのか?  そしたら絢斗は、この見るからに不味そうな液体オイルを毎日飲む必要もなかった。アンドロイドだって奇異の目で見られたり、仲間外れにされたりすることもなかった。  心と体のバランスを崩して、本当にただの機械みたいに無表情になることだってなかったんだ。  そう言いたいのか、彼女は。  あぁ、頭がイカれてきた。俺たちは一体なんの話をしていたんだっけ。  この暑さはまずいな。相当まずい。あんなにずっと避けてきたのに。  沼に足が、ずぶずぶじゃないか。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

35人が本棚に入れています
本棚に追加