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「絢斗の、分からず屋……こんなことに、なるなら……」
「母さん、やめろ」
「あんたなんか、生き返らせるんじゃっ」
「カレー、食べれますよ」
母の口から、最も残酷な言葉がこぼれ落ちた瞬間だった。
あぁ、この家庭は壊れた。
そう思った時、俺の後ろにはいつの間にか黒川が立っていた。その両手には俺が公園に捨ててきた一斗缶とカレーの材料が握られている。
「お前、帰れって言ったのに……なんで」
「だって全部置いていくんだもの。それにあまり無視できない言葉も聞こえてきてたから」
「運命には逆らわないんじゃなかったのか」
「少し肩の力を抜いて、心に素直になってみようと思ったの。お人好しで身勝手な、誰かさんのおかげで」
彼女は土足で絢斗の近くに寄ると、そっと壊れた左腕を両手で持ち上げる。
痛かったね。
そう聞こえた。
「触っても、大丈夫なのか?」
「樹君はダメ。感電するわ。ねぇ、絆創膏とかない?」
「あるよ!」
返事をしたのは茜だった。救急箱を抱えて絢斗に駆け寄る。黒川は落ちた指を拾ってくっつけ、ひとつずつ絆創膏を巻いていく。怪我した指に巻くのと同じように。
「そんなのでいいのか」
「漏電は防げるわ。明日は病院に行ったほうがいいけれど、今日はカレーの日なんでしょう? 絢斗君、立てるかしら」
「う、うん」
「買い物に行きましょう。あなたのカレーを用意しないと」
黒川は絢斗の手を握り立ち上がった。
とてもじゃないが、彼女がその場しのぎの嘘をついているようには見えない。おかげで畳みかけるつもりだった全ての言葉を飲み込んでしまう。
「樹君は片付けとカレーの準備をお願い。出かけてくるわ」
「気を、つけて」
なんとも間抜けな返しだ。絢斗は黒川と共に、本当に買い出しに出かけてしまった。
アンドロイドが食べられるカレーなんて、この世にあるんだろうか。さっぱり分からないが、本物の兄弟のように手を繋ぎ、日傘をさして出て行く2人の後ろ姿は全く現実味がなくて、逆に冷静になれた。
淡々と片付けを終え、破けたカーテンを捨てる。そして焦げ臭さに代わり、夏カレー独特のスパイスの香りが家中に漂った頃。すっきりした窓から、2人が暮れ始めの夏空を背に帰ってくるのが見えた。
向日葵のような笑みを携えて。
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