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第二話/四.
――二〇一九年六月二十日(木)
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公園で大和くんたちと会った翌日、昼休憩が終わる頃に突然の訪問者がやってきた。
平野大和くんのお母さん、平野真子さんという人だ。
「こちらにどうぞ」
「ええ、失礼します」
亜澄くんが案内すると、軽く会釈をして座る。
私は急いでお茶の準備をしていた。コーヒーではなく冷たいお茶をご所望だから氷も入れないと……。
「昨日、大和から聞きまして。家庭教師が来るって」
「……それで、なぜうちに」
「名前を聞けば分かります。内鷹さんに外鳩さんって、あなた達でしょう?」
「まあ……はい」
違います、というのは自信がないらしい亜澄くんが戸惑いながらうなずく。
私も、まさかお母さんが乗り込んでくるとは思わなかった。てっきり来るとしたら、コウセイくんの方のお母さんかと。
「失礼いたします、冷たいほうじ茶です。どうぞ」
「どうも」
所長はタイミング悪く水秦さんのところに行っているから不在。私たちでもてなさなければ。
お茶とお菓子をおいて、亜澄くんの隣に座る。
真子さんは若そうに見えるけど……小学生の息子さんがいるから、三十後半くらいなのかしら。
「何か問題でもありましたか?」
「そうよ。日曜日は来ないでちょうだい」
「……そう言われましても、私たちは大和くんたちと約束したんです。家庭教師として行く、と」
「それは楢山さんのところのお話を聞くためでしょう」
「ええ、そのとおり。どうしてご存知なんです? そこまで大和くんがお話しましたか?」
努めて明るくやわらかーく、敵ではないことを意思表示しながら話すと、カッカしていたような真子さんが、落ち着きを見せ始めた。
「……あの子は、家庭教師が来るということと、名前を言っただけ。どうして来るのかまでは言っていないわ」
「心当たりがナラヤマさんのお家の件、だと」
「こうして来たのは、本当に来てほしくないからなんです。巻き込まれるのはごめんなの」
「……というと?」
「…………あれは、二ヶ月くらい前だったわ」
真子さんが話してくれたのは、二ヶ月前――大和くん、コウセイくんが六年生になった初めての日の夜のことだった。
いつも旦那さんの帰りは遅いらしく、夕飯を真子さんと大和くんの二人で食べるという。
その日も、いつものように夕飯にしようとテーブルに料理を並べていたときだった。
『大和、新しいクラスはどうだった?』
『去年とほとんど同じだよ、だからいつもどおり』
『そう。今日はリクエスト通りハンバーグにしたから野菜もちゃんと食べるのよ』
『はぁーい』
さて、とイスに座ったところで、ガシャン、という音が隣からした。
『……なんの音かしら』
『さぁ』
大和くんは気にせずハンバーグを食べ始めたけど、真子さんは気になって、壁に耳をつけてみたという。聞こえるか聞こえないか分からないけど、もしかしたら、と思って。
そうしたら――。
『どうしてママの言うことが聞けないの!』
『…………ごめん、なさ……』
『謝るときは、ハッキリ言いなさい! どうして宿題をやったなんて嘘ついたのよ!? ママ、塾で恥かいたのよ! いつも宿題を忘れて成績は下がってるってどういうことよ!!』
『ごめんなさぁい』
泣いてはなかった、らしい。ただ、弱々しく小さな声だったという。
そのあとお皿らしきものが割れる音が二、三回続いた。
『これからはママがすべて管理するわ。いいこと、煌星の将来のためにこんなに怒ってるんだから。悪いのは煌星よ、分かってるわね!?』
『わ……わか、ってる……』
『だったら今すぐ勉強しなさい!』
『でも、おなかへった……』
『飲み物をあとで持っていくわよ。さあ、早く!!』
『は、はぁい……』
『ったく』
その日はそれ以上激しい物音や声は聞こえてこなかった、らしい。
一連を聞いた私と亜澄くんは複雑な気持ちになり表情も暗くなる。とはいっても、メモしないわけにもいかないから、亜澄くんはペンを握った手をちゃんと動かしていた。
「……こう……教育熱心、なんですね?」
「そんなもんじゃないわ。度を超えてる」
「そうですか……。大和くんはコウセイくんのことを心配しているようなんです。助けて、って、電話で言われて。昨日、会いに行きました」
「そういうことだったの。……いえね、本当は、警察に言うべきなんだって分かってるけれど……」
真子さんは視線を落として、自嘲気味に微笑んだ。
「通報したのがウチだと分かったら、あの日のお皿みたいなものがこっちに向かってくるんじゃないかと思って。普通、トラブルは誰だって避けるでしょ?」
「それは……もちろん、そうです」
「だから目立たないように、いえ、誰かの邪魔をしないようにして……そしたらこっちだって邪魔されなくてすむでしょう。だから、警察へは言わないし、この大橋探偵事務所のことも、調べるだけ調べて、そこで終わってたんです」
巻き込まれたくない、というのは本音なのだろう。逆の立場でも、そう願っていたに違いない。
「ですが、平野さん」
「はい?」
「巻き込まれたくない、というのは、分かるんです。でも、気づかなかったフリ、できますか? この先ずっと。何かが起きてて、知っていたのに、気づかなかったと、聞いてくる人みんなに説明できますか?」
「…………。それは……、してみせます」
「できたとしても、疲れるのはあなたなんですよ」
「私?」
「はい。私はそっちのほうが心配です。一時的だったり、いつ終わるか分からない疲労や、誰かに危害を加えられるかもしれない恐怖。コウセイくんにとっての当たり前の日常がその日から壊れ始めたように、平野さんの日常もいつ壊れるか分からないんですよ」
マンションの中、子ども同士は友達でも親はそうでもないかもしれないし、逆だってそうだ。
だが、彼らはお隣さん同士。もし、事件になってしまったとき、間違いなく“お隣さん”はターゲットになってしまう。野次馬の。
まだ事件にはなっていない今の内に、解決するか、和らげるかをしたほうが“日常”のためになる。
「亜澄くんも、何か意見ない?」
「え、あ、はいッ。えーと……、……こんなことを言うのも、おこがましいとは思ってるんですが。オレは、力になりたいんです。大和くんの、コウセイくんの……そして、あなたの」
「……言いたいことを言えずに我慢するのは大変でしょう。私達に、任せてください。お願いします」
「オレ達に協力させてください」
私と亜澄くんがほぼ同時に頭を下げる。打ち合わせをしてはないのだけど、自然とそろった。
「……警察に言うなら、私が言ったといわないでくれる?」
これは、前向きな返事の予兆だ。
私と亜澄くんは顔を上げ、うなずく。
「はい。そのために、家庭教師としてお家に行こうと思ってたんです」
「そうすれば、誰かから聞いたということは言わなくてすみますし。ナラヤマさんにも言いません」
私達の目を順番に見た真子さんは、やがてゆっくりとうなずいた。
「分かりました。私は、何をしたらいいの?」
「予定通り、日曜日にはお家へお邪魔する予定です。その計画をお話しますので、大和くんと一緒に協力してください」
「楢山さんのこともですが、三〇三に住んでる方のお話も聞きたいです」
「……いいわ。ほとんど毎日、楢山さんの怒鳴り声が聞こえてくるのはもうやめてほしいから、協力します」
仕方ない、というように息をつく。
これは依頼ではないから報酬は発生しないけど、そうね。
大和くんとコウセイくん、真子さんとコウセイくんのお母さんが笑ってくれたら、それが一番の報酬になってくれるに違いない。
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