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第二話/五.
――二〇一九年六月二十二日(土)
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今日は土曜日。
明日のために私と亜澄くんが訪れたのは、三〇三の住人、阿須さんのお宅だった。日曜日に来るつもりだったけど、予定変更。
「どーもぉ、こんにちはー!」
「こんちはー!」
『……誰?』
インターホン越しに元気よく挨拶をする。第一印象は大事!
「名刺をお渡ししますので、ちょーっとだけ玄関先に出てきてくれません?」
『母ならカラオケに行ってていないので』
「まぁまぁ、チェーンかけたままで大丈夫っすから!」
『いや、名乗れよ』
「それもそうですね。私の方は外鳩奏といいますー」
「オレは内鷹亜澄っていいます! 阿須さんと似てません? 名前!」
『全然似てねえ。さよなら』
「あーっ、ちょっと待った! いいのかなぁ、そんなこと言って」
『何が。俺は用事ないから』
「実はぁ……見ちゃったんすよ、ねぇセンパイ!」
「そうね、亜澄くん。阿須さんが…………」
『…………俺が、なんだよ』
間をあければあけるほど、部屋の中の阿須さんが次第に焦らされていくのがわかる。
インターホンの近くに口を近づけてなるべく小声でいう。
「……阿須さんが、飼育禁止のワンちゃんを散歩させてるところを見ちゃったんですよ」
『えっ』
「実はですね、管理会社さんから、どうやら犬を飼っている住人がいるらしいってお聞きしまして」
「オートロックなのにここにいるの不思議でしょ? 管理人さんに入れてもらったんすよ」
嘘だけど嘘じゃない。
犬を飼っているらしいっていうのは平野さん情報。
犬だけでなく、犬や猫等、生き物の飼育禁止(魚はいいらしいのが不思議なところだけど)っていうのを管理会社に聞いたのも本当。
で、オートロック解除はもちろん平野さん。
管理人さんもいたから挨拶はしておいたし!
「にしても、マンションの出入口では隠してるのに角曲がったらキャリーバッグから出すの、怪しいですよぉ〜」
飼育禁止だからどう、ということもないのだけど。本当はいけないことだから、事情があるならとりあえず相談するべきなのよ。これを読んでるみなさんは気をつけてね。
『……ちょっと待ってろ』
成功だ。
プツッ、と切れたあと、数秒してガチャリと鍵を開ける音がして、扉が開いた。
「あ、こんにちはー」
「こんにちは!」
「……フン。入れば」
「ありがとうございますー、亜澄くん!」
「うっす!」
私たちは三〇三の玄関ポーチに入るとドアをしめた。
「鍵しめたら上がって。なんか色々知ってるみたいだし、話してもいい」
「評価していただき光栄ですー、お邪魔します」
「スリッパないからそのままで」
「はい!」
礼を言いながら靴をぬぐ。廊下を抜けリビングルームへ来ると確かに犬がいた。コーギーだ……ああ……かわいい……。
茶色と白って最強の組み合わせじゃない? クロワッサンみたいな色してるからおいしそ……じゃない、全体的に丸っとしたフォルムに短足でああもうかわいい。
って、ダメダメ、今はお仕事!
そうやって葛藤する私や突っ立ってる亜澄くんの足をくんくんと嗅いでまわると、ニコッとしたように口を開き、そのままトテトテと歩いて定位置らしいクッションの上にぼふっと座った。
あああ〜撫でたい。我慢よ、我慢……。
「それで、名刺は」
「はい。私達、大橋探偵事務所の者です。こちらが名刺です」
「探偵事務所?」
「そうです」
怪訝そうな顔をしながら、私達が差し出した名刺を順番に受け取る。
「阿須さん……阿須悠太さんにお聞きしたいことがありまして」
「俺なんかした?」
「いいえ、何も。あ、ワンちゃんのことは誰にも言いませんのでご心配なく。でも管理会社さんには、バレる前に言っておいたほうがいいですよ」
「ご忠告どうも。聞きたいこと、というのは?」
「お隣の楢山さんのことで」
そう言うと、あぁ、と察したように小さく声を漏らした。このぶんだと、やっぱり聞いているみたいね。楢山美桜奈さん、という、煌星くんのお母さんの名前。
コウセイってどんな字を書くのかと思っていたけど、煌めく星なんですって。カッコイイ、というか、キレイな名前よね。
「あのヒステリーおばさんな」
「おばさん、って……」
「ヒステリー、ということは、やっぱり聞いてるんですね?」
「ああ。えーと、春かな。それより前は聞いたことなかったから、最初は驚いた。もう慣れちまった」
慣れてしまうほど、ということは、真子さんが言っていた、ほぼ毎日というのも本当のことのようだ。
「その人がどうしたの? ついに通報された?」
「どうしてそう思うんですか?」
「昨日、子どもが泣いてた。コウセイ、だっけ」
「え……」
「そのあと男性の怒鳴り声も。あれ、たぶんお父さんだな。いつもより激しかった」
まさかそんなことがあったなんて。
実は、この後明日の打ち合わせで平野さん宅にお邪魔することになっている。
「今までも、泣き声を聞いたことはありましたか?」
「いいや。いつもはヒステリーおばさんの怒号だけだ。あとは音量が大きいみたいで、テレビの声が時々」
「じゃあ、泣き声がしなければ通報しないつもりでした?」
「それには答えられねえな」
「……どうしてですか」
「亜澄くん」
「だって」
「落ち着いて。この間も聞いたでしょう? トラブルに巻き込まれたくないと思うのは悪いことではないのよ」
平野さんや、阿須さんのように避けてしまうのは、それがその人にできることだから、なのだ。
「やっぱり、理由は話せませんか?」
「……ま、いいか。面倒ごとは嫌だ、っていうのと。来年には無くなるだろうなって思ったから」
「来年?」
「小六なんだろ? 怒鳴り声で聞いたんだよ」
『そんなんじゃ、どこの中学にも入れないわよ!』
「俺もさ、中学受験させられたクチなんだけど。最後は親の追い込みがすごかった」
「受験は成功したんですか?」
「まあな。中高一貫校出て大学行って就職、よくあるルートだ。だからさ、受験が終われば、元に戻ると思って。通報するまでもないかな、って思ってた。昨日まではな」
だが、泣くのを聞いてしまった。普段から泣いているならともかく、これまで聞いたことがないとなると、思ってるより危ない状態なのかもしれないと考えたという。
「それでも、通報は……たぶんできなかった。個人の、家庭の問題だろ。他人の俺がしゃしゃり出てなんになる?」
阿須さんの質問はもっともだ。お隣さんであるだけの彼らに、そこまでの責任はない。
「母親が言いに行くのを止めるので精いっぱいだ」
「……それでも、私は、大和くんに頼まれたので。助けたいんです」
「大和、って……あー、三〇一の? よく一緒にいるもんな、あいつら」
「知ってるんですか」
「そりゃ、同じ階だし。俺が帰ってくる時間とほぼ一緒なんだよ。あ、俺は車の会社に勤めてて出社と在宅が半々な」
「それで時間が重なるんですか?」
「在宅の時は休憩がてらコンビニに行くんだ。それの帰りがかぶるときがある。三時半とか」
「なるほど。うーん……阿須さんの証言があれば、すぐ警察に引き継げそうですね」
二人以上いるし、どちらが聞いても明らかにおかしいと思っている。あと一歩が踏み出せないだけ。
でも、それは本当に“トラブルに巻き込まれたくないから”だろうか。
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