第二話◇お母さんの大事な子

6/7

12人が本棚に入れています
本棚に追加
/36ページ
第二話/六. 「もし、隣に行くなら気をつけな」 「え? どうしてですか」 「ヒステリーおばさん、あ、いや……コウセイのお母さん。最近、顔を合わせただけでブツブツ文句言ってくるようになってこえーんだ。同じエレベーターに乗らないように気をつけてる」  これはよくない予兆かもしれない。いや、かも、ではない。きっとそうだ。 「……ありがとうございます。では私達はこれで……あ、そうだ」 「ん?」 「私達のこと、明日までは楢山さんに言わないでくださいね。家庭教師として訪問予定なんです」 「へー、そう。機嫌損ねないようにがんばって。あの人、皿以外にも飛ばしてるらしいよ」 「わかるんですか?」 「さっき言った、男性の声。皿を投げるな、以外にも言ってた。リモコンとか、コップとか」 「……阿須くん。明日は、盾持参で乗り込むわよ」 「無理っすよ!」 「はは。俺のおすすめは動画を取りながら部屋に入ることだ。証拠にもなる」 「なるほど。胸にポケットのある服を探しておかないと」 「……話してみたら、結構楽しかった。また用事あったら来れば? 二人なら歓迎してやるよ」 「それはどうも。行くわよ、亜澄くん」 「はい。ではまた、阿須さん」 「おう」  阿須さんは思ってたよりいい人だった。笑顔で別れ、三〇三を出る。  彼が鍵を閉める音を聞きながら、私達は廊下に立っていた。 「奏センパイ、どうしますか?」 「かなり凶暴になってきてるみたいね。ストレスがたまってるのかも。発散してもらうにはやっぱり体を動かしたほうが……」 「……通報、しないんですか」 「え? まぁ、するつもりではいるけど……。とりあえず、所長に報告しないと」 「そうですか」 「……、なんだか、やけにこだわってるわね。どうして?」 「あ、いや。オレ……自分の子どもをそうやって怒鳴りつけて、お皿投げるとか物で攻撃するの、信じられないっていうか……オレの家は、当たり前だと思ってたけど、大事にされてたんだ、って」  携帯を持つ私の手は、電話帳を開いたところで止まる。 「……そうね。気づかないものよ、知らないんだから当たり前でしょ」 「でも、知ってしまった。オレは、オレが知ってる家族が当たり前だと思ってた、そうじゃないなんて存在しないって、だから」 「通報して対応してもらえることになって、その先にあるのはなんだと思う?」 「え……?」  亜澄くんは私が言いたいことが何なのか、分からないというように戸惑った表情を見せる。 「所長が警察をやめた理由を教えてなかったわね。犯人をでっちあげろ、証拠を捏造しろと言われたからやめたのよ」 「それって、冤罪になるんじゃ」 「そうよ。大橋所長はあの通り頑固で、良くないことは良くないと貫いた。水秦署長は大橋所長がやめるのを手伝ってくれたの。だから、所長は水秦さんのことを信じてるのよ」 「その事件はどうなりました?」 「一年後に別の証拠が出て無事、犯人逮捕。水秦さんが出世ルートに乗ったキッカケ。この件は別のときに話してあげる」  話すと長くなるし、こんなマンションの廊下で言う内容でもないから。 「……通報して、対応してもらえることになって。どれだけ怒ってても、泣いてても、嫌いだと言ってても、親子は親子よ。私達がやろうとしているのは親子を引き離すことじゃない。煌星くんがいる今の状況を変えてあげること。煌星くんが望むことならまだしも」 「分かりませんよ? 父親は好きだと言ってましたし」 「そうね。でも、明日になれば分かるわ。本当に、別れることを望んでいるのか」  美桜奈さんに必要なのは、病院とか、友達とか。時間なのかもしれない。ぼーっとして、ダラダラ適当に寝転がる時間。  何もしなくていいときほど、リラックスできるというものだ。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加