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第二話/六.
「もし、隣に行くなら気をつけな」
「え? どうしてですか」
「ヒステリーおばさん、あ、いや……コウセイのお母さん。最近、顔を合わせただけでブツブツ文句言ってくるようになってこえーんだ。同じエレベーターに乗らないように気をつけてる」
これはよくない予兆かもしれない。いや、かも、ではない。きっとそうだ。
「……ありがとうございます。では私達はこれで……あ、そうだ」
「ん?」
「私達のこと、明日までは楢山さんに言わないでくださいね。家庭教師として訪問予定なんです」
「へー、そう。機嫌損ねないようにがんばって。あの人、皿以外にも飛ばしてるらしいよ」
「わかるんですか?」
「さっき言った、男性の声。皿を投げるな、以外にも言ってた。リモコンとか、コップとか」
「……阿須くん。明日は、盾持参で乗り込むわよ」
「無理っすよ!」
「はは。俺のおすすめは動画を取りながら部屋に入ることだ。証拠にもなる」
「なるほど。胸にポケットのある服を探しておかないと」
「……話してみたら、結構楽しかった。また用事あったら来れば? 二人なら歓迎してやるよ」
「それはどうも。行くわよ、亜澄くん」
「はい。ではまた、阿須さん」
「おう」
阿須さんは思ってたよりいい人だった。笑顔で別れ、三〇三を出る。
彼が鍵を閉める音を聞きながら、私達は廊下に立っていた。
「奏センパイ、どうしますか?」
「かなり凶暴になってきてるみたいね。ストレスがたまってるのかも。発散してもらうにはやっぱり体を動かしたほうが……」
「……通報、しないんですか」
「え? まぁ、するつもりではいるけど……。とりあえず、所長に報告しないと」
「そうですか」
「……、なんだか、やけにこだわってるわね。どうして?」
「あ、いや。オレ……自分の子どもをそうやって怒鳴りつけて、お皿投げるとか物で攻撃するの、信じられないっていうか……オレの家は、当たり前だと思ってたけど、大事にされてたんだ、って」
携帯を持つ私の手は、電話帳を開いたところで止まる。
「……そうね。気づかないものよ、知らないんだから当たり前でしょ」
「でも、知ってしまった。オレは、オレが知ってる家族が当たり前だと思ってた、そうじゃないなんて存在しないって、だから」
「通報して対応してもらえることになって、その先にあるのはなんだと思う?」
「え……?」
亜澄くんは私が言いたいことが何なのか、分からないというように戸惑った表情を見せる。
「所長が警察をやめた理由を教えてなかったわね。犯人をでっちあげろ、証拠を捏造しろと言われたからやめたのよ」
「それって、冤罪になるんじゃ」
「そうよ。大橋所長はあの通り頑固で、良くないことは良くないと貫いた。水秦署長は大橋所長がやめるのを手伝ってくれたの。だから、所長は水秦さんのことを信じてるのよ」
「その事件はどうなりました?」
「一年後に別の証拠が出て無事、犯人逮捕。水秦さんが出世ルートに乗ったキッカケ。この件は別のときに話してあげる」
話すと長くなるし、こんなマンションの廊下で言う内容でもないから。
「……通報して、対応してもらえることになって。どれだけ怒ってても、泣いてても、嫌いだと言ってても、親子は親子よ。私達がやろうとしているのは親子を引き離すことじゃない。煌星くんがいる今の状況を変えてあげること。煌星くんが望むことならまだしも」
「分かりませんよ? 父親は好きだと言ってましたし」
「そうね。でも、明日になれば分かるわ。本当に、別れることを望んでいるのか」
美桜奈さんに必要なのは、病院とか、友達とか。時間なのかもしれない。ぼーっとして、ダラダラ適当に寝転がる時間。
何もしなくていいときほど、リラックスできるというものだ。
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