12人が本棚に入れています
本棚に追加
/36ページ
第三話/三.
――二〇〇一年
===========
所長こと、大橋辰尚は浅草警察署に勤めていた。ノンキャリアで警察官となり、刑事になってからは五年あまり。当時発生した強盗殺人事件を取り扱っていた。
「水秦、ダメだった。アリバイが成立した」
「そうか。これで二人ともか……」
捜査線に浮上していたのは二名。
一人は後ほど真犯人と分かる、小池敦史。もう一人は、事件とは何の関係もなかったと分かる、長草輝明。どちらも男性だ。
小池さんにも長草さんにもアリバイはあった。ただし、あとから“アリバイが成立した”のは、長草さんだった。
「水秦さん、どう考えても小池ですって。人の良さそうな顔して他人に金を無心する奴ですよ」
「いやいや、長草だ。自分の店を持ちたいと話していた」
捜査員の間でもほぼ半々で分かれていた。
強盗殺人の被害者は、一人暮らしのおばあさん。名前は伏せるが、住宅街の中心あたりに住んでおり、周囲の住民はまだ犯人が逮捕されないことに不安がっていた。
おばあさんは、どうやら逃げようとして後ろから刺されたらしかった。包丁は彼女の家のもので指紋はなし。
繊維片もなく、手袋をしていただろうが、どんなものかまでは分からない。そして、不幸にも、おばあさんの家近くには防犯カメラはなかった。
「どちらもアリバイが成立した以上、違う可能性を探るべきだ」
そう所長は主張したけれど、耳を傾けてくれたのは水秦さんだけ。彼は当時、捜査員をまとめる一番上の立場の人だったという。
「小池がつかまらない。先に長草を取り調べるぞ」
そうして、長草さんと対面した所長。ぱっと見、彼は怯えた様子で、どうして自分がここにいるのかをしきりに尋ねてきたという。
彼は所長と同じ三十代で、年が近いのもあって親しくなった。犯人だとはどうしても思えなかった、と言っていた。
なのに。
「長草のアリバイが崩れた」
「何?!」
「あの時間に買い物をしたというレシートの日付が、よく見たら消えてるんだ。確かあの店は防犯カメラは設置されてなかったよな」
「ちょっとかせ」
奪うようにして見ると、確かに日付は消えかかっている。だが、所長が最後に見た時はしっかり残っていた。この数日で消えるものだろうか。
「……何をしたんだ」
「何も」
「こんなすぐ字が消えるわけないだろ。どのくらい日光にあてていたか言ってみろ。日陰にあるはずの、この証拠品が!」
「上から言われてるんですよねー、早くこの事件を終わらせろって」
水秦さんよりも上の人。当時の浅草警察署長だ。名前は……もういいか。退職してるし。
思わずレシートを握りつぶしそうになって、思いとどまった。
日付がなくても、長草さんが持っていた証拠品だ。
「……だからって、押し付けるのか」
「水秦さん。早く逮捕しましょうよ。いつまでこの捜査するんですか?」
このままでは長草さんが逮捕されてしまう。でも、ここで彼に隠れろとは言えない。そんなことをすればますます怪しまれる。理由をでっち上げられる。
どうにかして避ける方法はないか。
苦労の末探し出したのが、レジ係だった若い女性。事件の後、アルバイトとして働いていたのをやめていたために、探すのに手間取ってしまっていた。
写真を見せると断言した。
「この人なら覚えてますよ。私の時計、祖母の形見なんですけど。壊れちゃったんですよね、っていったら、直すから良かったら持っておいで、ってお店を教えてもらいました。私がやめる前日だったから日付も間違いないです」
その時計は、言われたとおりお店に持っていき、長草さんが直してくれたそうだ。長草さんは、大きな時計店で働いていた。そこには防犯カメラもある。
そこには、あの女性と話す長草さんが確かにいた。
その証言がある以上、長草さんは守られていた。
でも、やっぱり小池さんは逃げたまま。探してもいないし、家の前で何日待っても現れない。
そのことから、やはり犯人は小池なのではないか、ということになりつつあった。
だから、疲れた捜査員がこう持ちかけるのも、ありえたことだった。
「大橋。その証言、取消せないか?」
ふざけるな、と怒った。女性はしっかりしているし、お店を辞めたのだって単に企業に中途採用されて正社員となるからだった。
それでも、証言がなくなれば、長草を遠慮なく逮捕できる。
「お断りだ」
所長は何度頼まれても断った。勝手に記録をけされれば、書き直した。何回も。
「水秦。俺、刑事やめるわ」
「何? 大橋、もしあれが理由だと言うなら」
「大丈夫、水秦には迷惑かけない。……もう無理だ。俺は何もしてないって分かってる人を有罪にさせてまで、この事件を解決したいとは思わない」
そして、やめた。所長いわく、めんどうくさくなった、らしい。人間関係がどんどんこじれていって、発言は無視されていき。いい大人がいじめか、と呆れたこともあった。
思い通りにならない自分がいなくなればせいせいするだろう、と思いきや、水秦さんのおかげもあって長草さんが逮捕されることはなかった。
でも、気づけば、小池さんを逮捕できないまま一年が過ぎようとした。長草さんを逮捕したい人がいたからか、指名手配もできなかったらしい。
そんなある日、長草さんのいるお店に来たのが小池。居合わせた所長。
長草さんは所長を信頼していたから、時計の買取をしてもらいにきた彼を、所長に言われたとおりバックヤードへ通し引き止めた。所長は水秦さんへ連絡。彼らが来たのはすぐだった。
「ありがとう、大橋」
「これでやっと解決だろ?」
売りに来た時計がおばあさんのもので、言い逃れもできるはずがなく、小池さんはあっさり逮捕された。
当時の捜査員は謝るかと思いきや開き直ったので、所長は長草さんの代わりに思わず殴ってしまったらしいが、まあ……、今も前歴無しで健在ということは、そういうことだ。
長草さんは、事件が解決した後、めでたく独立して自分の店を持つことができた。
最初のコメントを投稿しよう!