第三話◇逆転する立場

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第三話/五. ――二〇一九年九月十七日(火) ===========  その日、私は朝早く目黒駅に到着した。といっても、六時くらいで、人は思ってたより歩いている。 「えっと、住所だと……あっちね」  かばんの中のメモを確認して歩いて向かう。ヒール音がならないように、靴はスニーカー。いつもはパンプスなんだけどね。  音を極力抑えるために、いつもはスカートなボトムも今日は黒のレギンスパンツ。……幸い、めちゃくちゃ太ってるというやけではないけど、美脚でもないので、長めのカーディガンで太ももを隠している。 「あった。今は……六時半より前か。出勤は七時前のはずだからここでよし」  マンションのエントランス近くにある電柱の陰に身を潜める。カメラを取り出して、使えるかの確認をするとストラップを首にかけた。  来る途中でカメラぶら下げてたら特徴的すぎて覚えられちゃうかもしれないから。 「朝ごはん食べそこねたからなぁー。お昼はたくさん食べるんだ」  呟きながら、そっと周囲を見渡す。最近はお家に防犯カメラがついてたりするんだけど……このへんは大丈夫みたい。その心配はナシ、と。  二十分ほど空を眺めたり携帯でパズルゲームをしたりして時間をつぶしていると、誰かがマンションから出てきた。 「ぅわ、田嶋さん……梨沙さんだ」  田嶋梨沙さん。そっか、共働きだって言ってたっけ。先に出ていくのね。  彼女は私に気付かないまま駅の方角へと行った。 「そろそろ彰人さんも来てくれていいんだよ―、っと……」  カメラを手にして、レンズ越しにエントランスを見る。  事前に写真を見せてもらって顔は分かってるから、もし出てくれば分かる。 「……キタ」  スーツ姿の爽やかで端正な顔立ちをしている。パシャパシャ、と静かにシャッターを押した。  左手の薬指に指輪があるのも確認。  梨沙さんと同じように駅へと向かうらしい。 「尾行開始、っと」  尾行をするのは得意ではないけど苦手でもない。なぜなら、私は影が薄いので。自分で言ってて悲しくなるな……。亜澄くんは逆に目立つから用心しないといけないんだけど。 「朝の電車はもう嫌だねホント」  満員電車につめこまれるようにして乗った私は思わず愚痴る。電車の音で周囲には聞こえなかったようで助かった。  彰人さんの会社の最寄り駅で降り、人混みに紛れるようにして撮る。  とりあえずこれで今日の出勤は何事もなく終わったのを確認した。梨沙さんからもらった資料によれば、昼食はお弁当以外に、社員食堂や外食のときがある、ということだったけど……。 「お弁当袋っぽいのは持ってなかったし、かばんも平たいやつだったから今日は外食かな?」  よほど細長いお弁当箱でなければ、昼食は外に出るかもしれない。社員食堂かどうかを確認するためにも、とりあえず……このまま、見張りを続けよう。 *** 「奏センパイ、交代ですよー!」 「ああ、うん」  気づけばお日さまも高くなっていた。おなかがすいてギュルギュルいってる。胃に何もない証拠だ……。 「えーと、お昼は外に出てないから、社内ですませたみたいよ。はい、これ時刻表。帰りの電車調べる時に使って」 「どもっす。……あれ、センパイ。あそこ」 「ん……、田嶋さんだ。どこか行くのかしら」  亜澄くんが目で示したところにはカバンは持たず身軽な格好で会社を出てくる彰人さんがいた。 「今はお昼の……一時半っすね」 「あ、もしかしたら他の人と時間が違うのかも」 「ランチの?」 「そう。どうせお昼時はどこも忙しいし、ずらしたのかも。とりあえず、尾行するわよ」 「はいっす!」  もしかしたら、浮気相手に会うのかもしれない。  そう思って、あとを追いかけた。  ――が、着いたのはコンビニ。お弁当を買って出てくると、そのまま会社とは違う方向に歩いていく。 「……どこ行くんだろ」 「とりあえずカメラの準備しなきゃ」  私と亜澄くんはなるべく離れて他人を装いながら尾行を続ける。  彰人さんはある角を左に曲がった。こういう時慌てるとバレるからあえて素通り。  横目で確認すると、公園らしき所に入っていくのが見えた。 「亜澄くん、あっち」 「はい」  指示を出して公園へと向かう。公衆トイレの後ろに隠れるようにして公園の中をうかがった。 「……お弁当食べてますね」 「そうね。……ただのランチみたい」 「一人でもくとくと……あ、センパイ!」 「分かってる。あの人ね」  梨沙さんではない女性が彰人さんに近づいていく。彼女もコンビニ袋を持っているようで、隣に座るとおむすびを取り出した。  そして――笑顔だ。  とりあえず、と写真にとる。 「……あの人も指輪してるわ」 「え!?」 「大声出さないの」 「す、すんませんっ」  亜澄くんが驚くのも無理はない。  二人とも指輪をしている、つまり、W《ダブル》不倫……!! 「まさかこんな大物が釣れるとはね……」  そうつぶやきながらパシャパシャシャッターをおす。写真は多いにこしたことはない。 「女性の方は制服っすね」 「あの制服どこのかな」 「あとで調べましょう」 「そうね。とりあえず、今は……お、顔が見えるかも」  横を向いてばかりだった女性が正面を向く。すかさず、顔が見えやすい位置にあるのを逃すまいとシャッターをおした。  同時に、なんともいえない違和感を覚える。 「……ねえ、亜澄くん」 「はい?」 「普通さ、浮気相手と仲良くお弁当食べる?」 「さあ……食べるんじゃないんですか?」 「人前で?」  ここは彰人さんの会社に近い。徒歩で来れるくらいだ。それなのに、堂々と不倫をするものなのかな。 「……別に、知り合いに会ったら会ったでごまかせばいいんじゃないかと」 「……亜澄くん、浮気したことある?」 「ハッ!? ないですよ、ない!」 「ちなみに今彼女は?」 「いませんけど?!」  いないわりに動揺しすぎでしょ。 「私も同じ。だから浮気する人の気持ちも、された人の気持ちも分からないのよねぇ」 「なんだ、そういうことっすか……」 「……なんかごめんね? ごまかせばいいとかいうから、したことあるのかと思って」 「オレは、好きになった人には一途なんすよ」 「いいことじゃない」  舜くんだってそうだ。……って、また考えちゃってる。もういい加減、けじめつけないとだなぁ。まず白鳥さんからの手紙を読むところからだね。うん、そのうち……じゃなくて、早めに読む。 「……ごめん、考えすぎてたのかも。じゃあ、あとよろしく」 「はい」  気づけばもう二時になるところだった。  カメラを亜澄くんに託して、私は事務所へと戻った。
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