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第三話/八.
「あ、もしもし、所長。もう帰られました?」
『ああ、家だ。どうしたんだ』
「今、田嶋さんという方のお宅にお邪魔しておりまして」
『……まさか、対象に接触したのか?』
「はい……」
電話をしながら、チラリと三人を見る。
……って、亜澄くん、愛海さんが出してくれたご飯とおかず食べてる!
「これすごく美味しいです!」
「良かったです」
「内鷹さん、これもよかったら」
「いいんすか? ありがとうございます!」
ああ、おいしそうなお肉と野菜の炒め物……青椒肉絲みたいな……中華か、いいなぁ。横のマグカップはスープね、きっと。
じゃない、料理をチラチラ見てる場合じゃないのよ、私。
亜澄くんは怪我をしたんだもの、お二人がいいなら、そのままにしておこう。
『奏、続きは』
「あ、はい。すみません。それで、えっと……どうやら、田嶋梨沙さん、彰人さんの奥さんではないようなんです」
『本当か?』
「写真で確認しました。間違いないです」
『じゃあ、家に居る経緯は』
「えー、梨沙さんと、彰人さんが家の前で言い争いになり、亜澄くんがなだめようとしたら失敗して怪我してしまって……」
『怪我?』
声のトーンが下がる。心配なんだ。
「かすり傷なので大丈夫ですよ。今は田嶋さんにご馳走してもらって食べてます」
『それならいいが……、暴行罪で通報できるな』
「え?」
『依頼人だろうがなんだろうが、部下を傷つけられたんだ。もう依頼は破棄して、警察に言え。あ、俺から水秦に通してもいいが』
「うーん……そうなると、被害届を出すことになりますよね」
私が心配なのは、田嶋さんご夫妻だ。彼らのことも、言わなければならなくなるだろう。正直、梨沙さんのことは……もう心配していない。
『……じゃあ、どうしたいんだ』
「まず、田嶋さん達にお話したいんです。まだ私達のこと、名前以外は話してないので」
『いいだろう。それから?』
「結局は、通報という形になるとは思うんですけど……、田嶋さん達がよければ、通報しようと思います。それでどうですか」
『……慎重な奏らしいな。分かった、じゃあどうするか、また連絡入れてくれ』
「はい。それでは」
ふぅ、と電話を切り、席へと戻る。
……私の前にも、白いご飯とおかず。あ、やっぱりこれたまごスープだ。ああああ、食べたい!
「外鳩さんも、よかったら」
「うぐっ……はい、いただきます……」
いらないです、なんて言えないし食べたいから遠慮しますとも言いたくない。でも、ちゃんと話してからにしよう。
「その前に、お二人に、お話したいことがあって」
「はい」
「実は、私達、大橋探偵事務所というところから参りました」
「……探偵、事務所?」
亜澄くんは私が所長に許可をもらったことを察しているのか、無言で食べ続ける。いや、食べるのやめなさいよ、こういう時はさぁ!
「はい。こちら、名刺です。亜澄くんも、ほら。食べるの一旦やめて」
「ひまほふぁんふぁへへへ」
「何言ってるか分かんないわよ。……もういいわ、ちゃんと飲み込んで、落ち着いたら名刺出して」
「はひ」
名刺を受け取った彰人さんは、物珍しそうに眺め、隣の愛海さんに渡した。
「その探偵事務所の方が、どうして、ここに」
「実は、田嶋梨沙さんから依頼を受けたんです。彰人さんを旦那さんだと言って、ストーカーされているのに喜んでいる、浮気しているようだから証拠をつかんでくれって。慰謝料をもらうんだ、と」
「何をバカげたこと……、それはこっちが依頼すべきことですよ。今まで目をつむってたのに」
「あの人、変なんです。半年前、同じマンションに引っ越してきたかと思えば、毎朝、毎晩、彰人さんを追いかけているみたいで」
「……毎朝? 今日は先に出て行ったようでしたけど」
「今日は、って、俺を尾行していたんですか?」
「はい。あ、依頼だからですよ。亜澄くんが通りかかったっていうのも、半分は違ってて。仕事なのは本当なんですけど」
「なるほど」
確かに、田嶋梨沙さんは異常だ。彰人さんにとってはなんでもないモブに過ぎないのに、ヒロインになろうとしている。
「……そうよ、今朝は見なかった」
「ふぅ、ごちそうさまでした」
「亜澄くん」
「はいっ?」
「今朝、梨沙さんは先に出かけたの。夜はどうだった?」
「たまたま居合わせたみたいですよ」
「内鷹さんのおっしゃる通り。いつもは朝も俺の後にここを出て、途中まで後ろにぴったりくっついてくるんですよ。気持ち悪くて仕方ない」
だが、昨今の事情、むやみに駅や電車で大声をあげるわけにもいかない。だから、我慢していたのだろう。愛海さんのこともあるし。
「今日はどうでした?」
「今朝は平和でしたね、久しぶりに。夜はエントランスで待ち伏せていることが多いですが、今日は俺が鍵を出そうとしている間にマンションの中から出てきたので、先に帰っていたんじゃないでしょうか」
「……彰人さんのことが本当に好きなんだとしても、いわゆる精神的におかしいってことでもなさそうね」
「え、そうなんすか?」
「今日は彰人さんを追いかけなかったのよ。夜だって、もう家だから私達はいないと思ってたとしたら、梨沙さんのとった行動の理由が分かる」
「……もしかして、意図している、ということ、っすか?」
「今日たまたま追いかけなかったなんておかしいと思わない? 毎日のように彰人さんをつけまわすストーカーだというのなら、やらない理由は何?」
「オレ達に見せるわけにいかないから」
「そう、見られれば、夫婦じゃないことがすぐわかる」
となれば、どうして梨沙さんは私達に依頼をしてきたのだろうか。引き受けてもらえるとは思っていなかった? それとも、このめちゃくちゃ人がいい本物の田嶋夫妻を追い詰めるため?
「……暴行罪に加えて、偽計業務妨害も付け足せそう」
「せ、せんぱい……悪い人の顔してる……」
「いいじゃない、別に」
「手を出したのはあの人の方ですしね」
「そうよ。あの、田嶋さん。わが探偵事務所の所長、大橋辰尚というんですが、その人は元刑事なので、警察に知り合いがいるんです。とりあえず、亜澄くんへした暴行行為を理由として、被害届を出そうかと思うんですが、先ほどお話した、依頼された件について、お二人の名前を出してもいいでしょうか?」
「もしよければ証言もしてもらえると助かります!」
私達のお願いを聞いた二人は、きょとん、とした目をした。
「それでいいんですか?」
「……え?」
「いえ、それなら、会社に連絡が行くとかもなさそうだし……」
「話していただくことになるので、時間はかかると思うんですけど」
「構いませんよ。先ほどの、外鳩さんのお話通り、計画的にということなら……、質が悪いと思いますし。俺に興味がなくなったら、愛海とか違う人の方に行きそうでそれも怖いから」
自分のことより人の心配をしている。なんていい人なんだ。
「私は、彰人さんがそう言うなら。大丈夫です」
「……ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
私と亜澄くんはそろって頭を下げる。そして、体勢を戻した私は、改めてテーブルの上に並べられた料理を見た。
「……お料理、いただいても、いいですか?」
「もちろんですよ。足りるといいのだけど」
少し時間が経っていたにも関わらず、その料理はすごくすーごくおいしかった。味付けがしっかりしていて、昼食はコンビニだったからと夕飯はがんばって作ったらしい。私も、愛海さんのような人になれるだろうか。
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