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第一話/二.
「んで、ぁぐ、つしまさ、はぐ」
「食べながらしゃべらないでください。しゃべりながら食べないでください」
十分程度で事務所に来た大橋所長に幕の内弁当を食べてもらいながら、私も昼食にする。
今日はサンドイッチにしてみた。手があまり汚れないから結構好き。もちろん、手作りではなく既製品。
「奏センパイ、いつからお母さんになったんですか?」
娘の次は母親か……。
「お母さんじゃないです。亜澄くん、歯磨きはちゃんとしたの?」
「まだでした、してきますっ」
歯磨きセットは洗面所に三人分並んでいる。バタバタと洗面所へいった彼から所長に視線を移した。
「ん、っ……、ぷはー、ごめんね奏」
「いえ。津島さんがどうしたんですか?」
「ああ、津島さんていうのが浅草警察署の署長、水秦から紹介されたというのは言ってただろう」
「はい、聞いています」
仕事をくれてありがとうございます、という本音と、自分で解決できないからって所長にたらい回しのようにするのはどうなのか、という本音がぶつかる。
「詳しくはこのあと聞くけど、他にも言っておかないといけないことがあったのを思い出して」
「はぁ」
「彼は真剣だ。いくら相談内容が子どもじみていても、決して笑うんじゃない」
神妙な面持ちで言う。こくりとうなずいたところで、気が付いた。
「……笑いましたね?」
「ん?」
「所長、津島さんの相談内容を見て笑ったんですね?」
「なんのことだろう」
「だから私に忠告してるんでしょう。笑っちゃって何か問題があったから」
図星のようで、所長が口をとがらせる。かわいくもなんともないんですけど。
「……だってさ。脅迫状が来たって言うんだよ」
「笑えませんよ、まったく。なのに笑うって……」
「違うんだって。聞けば四回来たって言うんだ」
「ますます笑えませんよ。逆にどうして笑えるんです?」
「文章というか中身がね。今の時代にしてはだいぶアナログだから」
還暦前の人が“アナログ”か。時代は変わったものだ。
「それで思わず、少しだけ笑ったら水秦に怒られた」
「当たり前じゃないですか。それに、自分が笑ったからって私も笑うと決めつけないでください。私と亜澄くんは、いつだって依頼者の立場にいますから失礼なことはしません」
まったく、と少しだけ怒る素振りを見せながらコンビニの袋にサンドイッチを包んでいたフィルムを放り込む。私も所長も歯磨きをしないといけない。
「所長こそ、笑わないでくださいよ。もし、そんな素振りを見せたらアッパーかましますから」
「怖いなあ。足を踏む程度にしてよ」
「踏んでいいんですね?」
「やめて」
「踏まれないように頑張ってください」
こんなにしょうもないけれど、上司は上司だ。けがをさせるわけにもいかないので、仕方ない、足を踏むくらいにしておくとしよう。
「洗面所あきましたよー」
歯磨きを終えたらしい亜澄くんが笑顔で戻ってくる。
「所長、歯磨き」
「はいはい」
おっかねーな、という顔でいそいそと洗面所に向かう。お弁当のガラを袋に入れて口をキュッとしめた。明日ちょうどゴミ回収の日だ。帰るときにはまとめておかないと。
「五分前くらいになったらケトルのスイッチを入れないと。亜澄くん、お客様が来るからおしぼりとかお菓子とか出しておいて」
「はい!」
さて、津島さんの依頼とはどういったものなのかしら。所長は脅迫状、なんていう物騒なワードを出したけれど……。
***
午後一時。津島さんは来所した。
「はじめまして、津島春信です」
ただし、一人ではなかった。
私は彼の横にたっている華奢な女性を見る。津島さんが、彼女の腰あたりに手をあてて支えているように見える。
「あ、わ、私は、三佐東、桐歌……と申します」
か細い声であいさつをし、頭を下げる。艶のあるロングヘアがさらりと流れた。夏らしい、ハワイブルーのような青いトップスがよく似合う薄い茶色の髪。
正直な話、うらやましい。私より細いんじゃないか? 美人だ。
「お待ちしておりました。私が所長の大橋辰尚です」
「私は外鳩奏です」
「内鷹亜澄です、よろしくお願いします」
所長に続いて、私たちも挨拶をする。
「どうぞ、こちらへ」
二人をソファへ案内する。お茶を入れようとキッチンに向かおうとしたところで、確認しないといけないことがあったのを思い出し、津島さんと三佐東さんに尋ねた。
「あの、お飲み物はアイスコーヒーでいいでしょうか?」
彼らは顔を見合わせ、同時にうなずいた。
「大丈夫です」
「かしこまりました」
ニコ、と笑ってうなずく。以前、コーヒー嫌いの人にいつもと同じようにコーヒーを出したら怒られたことがあった。
そのときは所長が丸くおさめてくれたけど、初めての人には聞くようにしている。
時々、紅茶がいい、とか、お茶がいい、という人もいたりするから、この対応は正解のはず。
アイスコーヒーを準備して、お菓子と一緒に持っていく。亜澄くんはすでに所長の隣に座っていた。
「右から失礼します」
「ああ、どうも」
順番にお茶出しをして、私も資料を手に席に座った。二対三で向かい合って座っている形になる。
「改めまして、津島さん。ご相談内容について、ご説明願えますか?」
「はい」
所長にうながされ、彼がうなずいて三佐東さんがカバンから出したクリアファイルを受け取る。
それを私たちの前に出しながら、説明をはじめた。
「まず、僕たちのことから説明しますね。僕は、この三佐東桐歌さんと婚約しています」
「それはおめでとうございます」
「ありがとうございます」
はにかむように笑う。三佐東さんも、初めて笑顔を見せてくれた。なんてほほえましいカップルだろう。
「付き合いはじめて五年目の昨年、プロポーズをしまして。式場も決めて、今年結婚式をする予定なんですが……、半年前に、脅迫状がきて。これは、二週間前に来た四通目の脅迫状です。これまでの三通は、すみません、忘れたい気持ちが強くて捨ててしまいました」
すっ、とテーブルの上を手ですべらせながら私たちの方へ向けてくれる。
そこには、新聞の文字を切り抜いたものが並んで文章を作っていた。
――アナログってこういうことか。
ははぁ、と納得した。
なぜなら、“筆跡を残したくない”のならワープロソフトで作ればいい話なのだ。もしパソコンを持っていないとしても、ネットカフェがある。
所長が笑ってしまったのは、子どもじみているからなのだろう。
でも私は笑うわけにはいかない。笑いのツボは浅くはないし大丈夫だ。うん、全然笑えない。
「お借りします。ええっと……」
亜澄くんが、クリアファイルを手に取り、やや遠めに眺める。
「“今すぐ結婚式を中止シろ”、“しないなら、お前らを殺す”……、物騒ですね」
怖いな、というように眉をひそめる。
「これが四通目、とのことですが、これまでの三通も似たようなことが?」
「はい。最初は、結婚式をやめろっていう内容で」
「……だんだん、内容が過激になってきて。警察に相談に行ったんですが、脅迫状だけでそれ以外は被害はないから、と」
いたずらだと思えばいい、ということか。にしては、四通も送るなんて犯人は暇なのか、それとも、そんなにこの二人が憎いのか?
いつもの癖で一人で考えてしまいそうになるけど、ここは所長に意見を聞いておかねば。
「所長、どうですか」
「……おそらく、水秦が私にあなた方を紹介したのは、私なら解決できるからだと思うのですが。いたずらにしては、少々度が過ぎている」
「ですね」
「この脅迫状を送ってきた犯人を見つけたい、という相談で変わりないですか?」
津島さんと三佐東さんに尋ねる。彼らはほぼ同時にうなずいた。
「いたずらなら、それでもいい。誰がこんなことをしているのか、知りたいんです」
「私、ポストを見るのが怖くなってしまって。だから……」
三佐東さんのためにも、ううん、二人のためにも、差出人を見つけなければ。
「分かりました、正式にお引き受けいたしましょう。ただ、お調べするのはいいんですが、うちは、値引きを一切していないんですよ。いいですか?」
「構いません。不安がなくなるなら安い」
「それはよかった。亜澄、説明をしてさしあげなさい」
「うっす」
こくりとうなずき、料金表を見せる。これは、大橋探偵事務所独自の算定方法だ。よそは違うだろうから参考にならないと思う。早い話、結果が依頼者の望む形になること――成功報酬型と、時給換算のプランがある。
今回の場合は成功報酬型のほうがよさそうだ。素行調査とは異なり、結果というものがともなってくるからだ。時給換算型の場合は、調査が長引けば長引くほど、料金が高くなる。
そう、犯人が見つからないという選択肢は、私たちにはない。絶対に見つけ出す。
「――では、この内容でよろしいですか?」
「はい」
「かしこまりました。こちらに署名をお願いします」
所長は満足げにうなずく。とりあえず、仕事が一件、増えた。
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