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第四話/六.
事務所に戻ると、日曜日だからか亜澄くんは私服でのんびりお昼ご飯を食べていた。彼のお昼ごはんは親子丼らしい。結構な量を食べるのね。
秋服らしい茶色のジャケットがそういえば年下だったなと思い出させる。
「あっ、ふぉはへりなはーい」
「無理してしゃべらないで」
つまり食べ終わってからしゃべって、ということ。亜澄くんはうなずきながら口をもごもごさせたかと思うと飲み込む。
「なかなか帰ってこないんで、遅めの昼食はじめちゃいました。センパイたちは、お昼は?」
「まだよ。亜澄くんの話は所長に話しておいたわ」
「遅めのランチはいいとして、他の仕事はちゃんとしたのか?」
「それは…、あっ、コーヒー頼んでおきました!」
「……所長、許してあげてください」
「……そうだな、消耗品の注文も仕事だ」
「ちょ、二人してひどいっすよ!」
もう! と亜澄くんは怒るけど、本人はまるで犬…この際大型犬でも小型犬でもなんでもいいけど、とにかくかわいげがあるものだから、全然怖くない。
「それで、どうやって調べますか? 持ち主」
「梟羽本人に聞くのが手っ取り早い」
「でも電話に出ないんですよね」
「出るまでかける」
そういうが早いか、所長は発信ボタンを押すと再び携帯を耳元にあてる。
しつこ…じゃなく、粘り強いのはさすがというべきかもしれない。いや、私も亜澄くんも同じくだけど。
「持ち主が分かったとして、どうするんすか?」
「確かめに行くのよ」
「この時計知りませんかーって?」
「それもだけど、持ってるかどうかを確かめるの。盗む理由…動機がある人は、時計を買われた人が一番可能性が高いから」
「もし持ってたら、泥棒に入ったってことっすね!」
「その時点で通報、一件落着。そういうこと」
私たちが今後の予定を確かめていると、所長の声がだんだん大きくなってきた。
「だから、それを聞いてんだよ!」
私たちは思わずビクッとして話すのをやめる。所長のこんな大声は、めったにきかない。
「あの時計の持ち主は⁉ 次分からないといったら」
「ちょ、所長…店長! ダメですって!」
「邪魔するな」
「脅しはダメですよ、あくまでも穏便に!」
脅迫された、と相手に思われてはかなわない。大きなビルを所有したりイベントを開く人だ、顧問弁護士がいないわけがない。つまり、こちらが不利になるようなことを言うわけにはいかない。
「…ゴホン。部下の言うことももっともだ、丁寧に聞いてやる。持ち主は誰だ?」
所長の眉間のしわが少しだけゆるくなった。ようやく答えてくれたのだろうか。
「……奏にかわれって」
「え? な、なんで」
「女好きなんだよ」
「ああ…」
たぶん鮫島さん情報もあるのだろう。よし、ここは気弱な店員になりきろう。
「もしもし、お電話代わりました。外鳩奏です」
『ああ、やっとかわいい声がきけた。さっきまで汚い声だったからねぇ』
控えめにいって所長の声の方が数百倍かっこいいな。
それは心のうちに秘めておくとして、間を持たせようと口を開く。
「ええと、私とお話するために店長の電話に出てくださったんですか?」
『いいや、何回も電話がかかってきてたからいい加減にしろと言おうと思って。これがなきゃとっくに切ってたさ』
「店長が、すごく興味あるみたいなんです。代々家宝として伝わったっていう、高級時計。誰が持っていたか、教えてくれませんかぁ?」
どうだ、気弱で天然ぶりっこの演技は。
亜澄くんはやや引いた顔をしているが―所長ですら真顔になるのはどうなのよ―梟羽さんにはちょうどよかったらしい。
『あの時計を最後に持っていたのは長草っていう男だ。盗まれたらしいがな』
「そうなんですかぁ?」
『昨日電話があったんだよ。…本当に、知らないのかい?』
「……知ってたら聞きませんよぉ~」
あっぶない。私たちのことがバレているのかもしれなくても、演じ通すしかない。
『それなら、なぜ持ち主を聞きたがるのかな~?』
急に猫なで声になる。このギャップはなんなんだ。
「店長は、高級時計を持っている人なら、他にも高値で取引できるような時計を持ってるかもって考えてるみたいなんですぅ」
『なるほどな、取引相手として選びたいわけだ。いいぞ、教えてやろう。時計の持ち主は、高河いぶきという男性だ。ひらがなでいぶきだぞ』
「そうなんですね。たかがわ、というのは…」
『普通のタカガワだよ。調べればわかるさ』
「もう少しヒントをくださいよぉ、栄次さん♡」
我ながら気持ち悪いけどこれも仕方ない…!
『そうか、仕方ないなぁ。高河いぶきは時計塔を管理している。港にあるんだ。普通に買おうとしたら三百万でも足りないが、私は五十万で買ったんだ。商売上手だろう』
「そうですねぇ」
調子をあわせていると、所長が顎の下で電話を切れ、というように水平に手を動かすのが見える。
「ちょっとすみません」
電話口を手でおさえて、小声で所長に尋ねる。
「電話を切れって意味ですか?」
「そうだ。もう正体をバラしていいぞ」
「え、でも」
「大丈夫だ、最初に大橋探偵事務所だって言ってある」
「は⁉」
じゃああのぶりっこ演技は無駄じゃない!
『お~い、奏ちゃん?』
「……っ」
思わず怒鳴りそうになるのをこらえて電話口に戻る。
「すみません、店長と話しててぇ」
『そういえば、探偵事務所に店長なんているのかい?』
「……いないんですよ。もういいですか?」
『え?』
今の私は無敵だ。控えめに怒っても許されるはず。
「値切れてよかったですね。高級品は高級品たるゆえんがあるんです、それを値切るなんて扱われる商品がかわいそう。では、ありがとうございました‼」
『こら、まt』
ブツッ。
もう二度と話したくない人ナンバーワン。むしろ殿堂入りした。
携帯電話を所長に返す。
「強いなぁ、奏」
「所長の真似をしました」
「私が悪いお手本みたいじゃないか…」
「かっこよかったっすよ! オレも見習いたいっす!」
亜澄くんが素直な子でよかった。
「えーと、高河いぶきさんという男性があの時計の持ち主だったそうです」
「奏、住所を調べろ。行けそうなら今日のうちに行くぞ、急がないと」
「逃げるかもしれないからですか? ちょっと待ってくださいね。時計塔、時計塔と……」
「もし逃げられたら、真実を知る者がいなくなる。長草の思いはどうなる?」
「……そうですね」
仲間のためにと、梟羽さんにされたことを話してくれたんだ。早いに越したことはない。
「あ、出ました。港にある時計塔ってここだけみたいですね。丘を見下ろせる時計塔…灯台の役割もあるようですよ。近くに住んでるのかも」
「よし、三人で行くぞ。奏、昼メシは車で食べろ」
「あ、はい!」
「亜澄、運転しろ」
「はいっす!」
亜澄くんはちょうど空になった容器を袋に入れてゴミ箱に投げ捨てる。私たち三人は、事務所を飛び出るようにして駐車場へと向かった。
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