夏が早くも終わり

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夏が早くも終わり

「暑い」  雪菜(ゆきな)が机につっ伏す。 「熱い!!」  悲鳴を上げて起き上がる。  窓際、日当たりの良いその席の机の上は、太陽の熱を吸い込み地獄の釜のごとき熱さになっていた。 「死ぬかと思った……」  顔を上げ、手のひらで机の側面を押し、熱さを遠ざけるように、雪菜は伸びをした。  陽介(ようすけ)はそんな彼女の胸が制服のリボンをぐっと突き上げるのを眺めていた。 「変態!」  雪菜の声が鋭く飛ぶ。めざとい。 「夏だな……」 「夏だねえ……」  外、カーテンの向こうから、日射しが突き抜けてくる。  夏だ。高校3年生の夏。終わりの夏。  彼らが最後に部活へ打ち込むはずだった夏。 「まーさか、大会中止なんてね」  陽介の脳裏に甦る数ヶ月前に突きつけられた「インターハイ中止」の文字。 「あーあ、始まる前に終わっちゃった感じ」  雪菜はため息交じりにそう言った。  雪菜と陽介は弓道部だ。  弓道部の練習は基本的に男女混合。高校入学からずっと一緒に弓を引いてきた。 「そりゃウチの部はそんなに強くないから、大会出てもどうせ戦績良くないだろうけど、弓道なんて矢声(やごえ)と観戦を禁止して、的を離しちゃえばソーシャルディスタンス保てるって言うのにさあ」  雪菜は椅子の上で左右に体をゴロゴロと揺らす。  矢声はとは弓道の応援だ。的に矢が当たったとき「よし!」と声をかける。それが矢声。  高校弓道で声を出すのが許されている数少ない瞬間だ。 「まあだからこうして部で引退射会(いんたいしゃかい)も出来たわけだしな」  陽介は自分がなだめたいのか何なのか分からないまま、そう言った。  雪菜は眉をしかめる。 「でも、もっと引いていたかったよ、弓」 「大学では? 続けないの?」 「うーん」  雪菜が複雑な顔をする。 「佐藤先輩覚えてる?」 「ああ、女子の……仲良かったよな、雪菜」  佐藤先輩は二つ上の先輩だ。今は東京の大学に進学している。 「佐藤先輩がさ、入った大学の弓道部、ブラック部活だったんだって」 「へえ……」  陽介は佐藤先輩の顔を思い浮かべようとしたが、なかなか思い浮かべられなかった。 「飲み会で未成年に飲酒させるし、ザ体育会系だし、ことあるごとに正座で反省だし……」 「うわあ」  陽介達の部活はただでさえ緩い。  そこにその厳しさでは佐藤先輩の心労はいかほどのものであったろう。 「そういうの聞くとさ、尻込みしちゃうよね。まあ、今年はそもそも大学がないらしいけど」 「大変みたいだよな。姉ちゃんからも色々愚痴メッセ来るよ」  陽介の姉は大学生だ。  このご時世、どこにもいけないと嘆きの声が飛んでくる。 「……終わっちゃったなあ、夏」 「……まあ、俺らには受験勉強が残ってるんだけどな、夏」  雪菜が深くため息をついた。 「あー! なんか楽しいことないかなー!!」 「あはは……楽しいこと、か」  陽介はずっと言えずにいたことを言うチャンスを見つけてしまった。 「……彼氏でも作る、とか?」 「お、いいねえ。いい男紹介してよ」 「……俺」 「ん?」 「俺」  雪菜が目を白黒させる。 「……冗談だったら怒るよ?」 「冗談じゃないよ、付き合わない?」 「…………」  雪菜の残酷な沈黙に陽介は目をそらす。  窓に向かってそらした目に、カーテン越しの太陽が突き刺さる。  まぶしい。暑い。顔が熱い。  ああ、今、自分の顔が真っ赤になっている。  陽介はそれに気付いて、立ち上がった。 「……飲み物、買ってくる」 「スポドリまだまだ残ってるよ」  雪菜の冷静な声が突き刺さる。 「……えっと」  陽介は言葉をなくしていた。  勢いで思わず告げた言葉を後悔した。 「……付き合おうか」  雪菜がそう言ってマスクを下ろした。  久しぶりに雪菜の唇を見た気がした。 「ん」  目を閉じて、唇が差し出される。  陽介はマスクを勢いよく剥ぎ取って、その唇にキスを落とした。  彼らの夏は早くも終わってしまった。  しかし暑さはまだまだ続き、彼らの関係も続いていく。
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