犬吠ゆ

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犬吠ゆ

うち。なにか話せって言われても、何を話せばええのか分からんわ。うちのこと? お客さん。なんでそんなこと聞くん? うちの話、聞いても楽しくあらへんよ。 え? 聞きたいって? そうやね…… うちは平凡な子やった。小学校の時から、勉強も並、体育も並、家庭科も並。顔だちも並やったし。絵に描いたような「普通」の子やった。先生からみてもなんの印象もない子やったんとちゃう? 今、同窓会してもうちのこと知ってる子なんか数人しかおらんのんとちゃうか。  多分、びっくりされると思うわ。うちが、水商売してるなんて。うちかて、信じられへんよ。だって、小さい頃の夢はええ奥さんになることやったんやよ。 なんで。笑うん? ほんまにそう思ってたんやし。笑わんといて。 え? 機嫌なおしてって。ええわ。続き話すわ。 ほんでね。そのまま、公立の中学校に行って、公立の高校に行って、ほんで短大の家政科に行ったん。でも、就職はせえへんかった。 え? なんでこの仕事についたかって? なんでやろね…… うちはずっと普通の子やった。うちも普通の子やと思てた。普通にこのまま、OLかなんかになって、男の人に出会って、結婚して、子供をえらいたくさん作うて、そして子育てして、いつか死ぬんやて。そう思てた。でもな、リアルにその先を想像してしもたんや。うち、それを考えると、急に怖あなって。体中にさぶいぼが立つくらいに。うちはずっと普通でええって思うてたのに……。 ある時、公園のベンチでぼうと人生考えてたんや。すると、散歩に来てた家族連の犬が、うちのそばを通りかかったんよ。犬はうちの顔をみると急にうちにむかって吠えたんや。それも、うちが今まで見たこと無いくらいに、吠えたんよ。その家族は慌てて犬を連れて行こうとしたんやけど、犬はふんばってうちの顔を見つめながら、ずっとうちを見て吠え続けてた。目は血走って、口からは歯がむき出しになってな。うちはえらい怖あなって、そのベンチから立ち上がって、逃げたんよ。犬はずっと吠え続けてた。うちが遠ざかっても。 ほんでな。うち、家に帰って、その日の晩にアルバイト広告でこの仕事を探して、電話したんよ。 終わり。面白くなかったやろ? え? 続き?なんもあらへんよ。おしまい。 え? なんで犬が吠えたんやろって? それ、うちも分からへんわ……。でもうち時々思い出すねん。犬の吠えている顔を。あのときの顔を。不思議とな、うち、そのときから、なんかしらへんけど、別の人生送ってるみたいに感じんねん
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