しとしと雨の降る日には。

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 君に早く会いたくて走っていた。今年の七夕さんは、今までよりももっと楽しいと思っていた。だって、そこには君が待ってくれているから。 「二人で一緒に遊べるはずだった。これからはきっとずっと。そう思っていたのに。願い事は叶ったはずなのに。私は、私は死んじゃったんだ!」  雨が降る。大粒の雨だ。頬を伝い、顎から滴り落ちた雨がコンクリートの地面を濡らしていく。天に向かって顔を振り上げたところで、その仕業が雨ではなく涙だと気づく。堰を切って溢れていくように涙雨は止まる気がしなかった。  陽は、声を上げて泣いた。泣いて泣いて啼いた。胸を突き上げる衝動のそのままに子どものように泣いた。泡のように浮かぶ思い出一つひとつを確認するように、別れを告げるように泣きじゃくった。  泣き声がすすり泣きへと変わる頃に、陽の口は言葉を紡ぐ。 「死ぬってこんなに寂しいことなの?」 「……それは人それぞれだな。だが、どう足掻いたって死ぬときはみんな一人だ」  変わらず冷たい口調に、笑みが零れてしまう。 「不思議なんだけど、こんなに寂しいのに心はスッキリしてるんだ。いっぱい泣いたからかな」 「そうじゃない。思い出したからだ。あんたを縛っていた言葉を。それがなんなのか俺にはわからないし、興味もないが、きっと彼も同じ気持ちだったはずだ」  目を丸くする。男の、突き刺すように真っ直ぐ向けていた視線が、左右に揺れる。 「ありがとう。彼は……どうなったのかな?」  男は頭を掻くと、面倒くさそうにため息を吐いた。 「そんなことは知らない。だけどな、消そうと思っても消えない記憶ってのはあるんだ。とはいえキツい記憶だ。一年が経ってどれだけ覚えているのかはわからないが、あんたの記憶とその思いは、刻まれているんじゃないのか?」 「そう……かな? でも、そうだったら嬉しいけど悲しいよ」  下を向くと、せっかく用意した紫陽花が涙で濡れていた。陽は、思いついたように男の目をじっと見つめる。 「ねぇ、お願い。彼に、もし会えたらでいいんだけど、言葉を伝えてくれない? 一人じゃないよ、って」  男はまた面倒くさそうに眉をひそめるも、小さく頷いた。 「ありがとう……そしたら、もう行かないといけないんだよね?」 「もちろんだ」  そう言うと、男はもう一枚紙を取り出した。そこに書いてある言葉はーー。 「『(かい)』。あんたを完全に呪縛から解放する」 「……うん。あのさ」 「なんだ?」 「君って、実は優しいよね?」  最後の言葉には答えることなく、男は紙を投げた。大きな紫陽花を彩った浴衣の少女を陽だまりのような柔らかな光が包み込んでいく。その光が消え去ると、もうそこには何もなかった。   
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