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7.明日が今日、これからも
「いっそのこと今日だけ泡になりたい…………」
「……初夜に浮かれてたからって、あれは流石にないでござる…………」
俺とヒイラギが初対面をしてから、翌日。
柔らかな朝陽が差し込む俺のベッドの上には、白い塊が二つ。
あの後、二人して抱き合いながら寝てしまったらしく、いつの間にか自室のベッドの上に。つまり、龍守と手眞理に回収された。絶対に後でネタにされる。
しかも、後処理もされていて、本当に辛い。
それだけでも羞恥心でどうにかなりそうだった。だというのに、隣には全裸のヒイラギ(人間体)がいて、余計にいたたまれなくて頭を抱えた。
「……おはよう……」
「おはよう、でござる……」
一応朝の挨拶はするが昨夜は色々勢いと激情と、ノリで突っ走った自覚はあるから気まずすぎる。
『ふふ、私の美しさも今はお前だけのもの。近くで堪能すると良い、ほら……』
「うあぁああ……」
『他者を警戒する俺が、顔だけでも他人を好くような事は珍しい。その事実だけは、伝えておく』
「…………ははは。はぁ……」
『惚れた相手の初めてが全部俺のモノになるんだ、嬉しいに決まってるだろう?』
「やめろ……昨日の俺……、もっと言い方が…………」
『か弱く愛しい人魚。私無しでは生きていけなくなる事を、怖がっているのだろう?』
「あ、あぁ……気障すぎるぅうう…………」
そして、冒頭に戻る。
互いに自己嫌悪とかその他諸々に悶えながら、俺はシーツでヒイラギは布団をかぶっているという訳だ。
「……その、昨日は、色々と無理をさせたが、律の……体は大丈夫か……?」
「…体は、痛くない。人魚は回復力が、凄い。……ヒイラギは?」
「私もその辺りは高等吸血鬼、問題は無い」
「それならば、良かった」
「……」
「……」
「…………律、後悔しているか?」
「……後悔、すると思うか?」
くぐもった声で会話をしていたが、此処から先はきちんと顔を見た方が良いと思ってシーツから顔だけ覗かせる。ヒイラギもそれに気付いたのか、布団から顔を出した。
「……していないだろう、と思いたい。勢いと共に危険を潜り抜けた高揚感で、互いが熱に浮かされていた事は確かだ。だが、昨夜芽生えた想いが一夜だけのはずが無い」
「随分と強気だな。でも、間違っていない。俺も後悔していないし、一夜だけで終わらせて堪るか。今日から同棲で良いな?」
「ひゃあ~! 律、おっとこまえでござる!」
俺が迷いなく言い切るとヒイラギも安堵したのか、昨夜の調子が戻ってきたようだ。
シーツを巻き付けたまま、のそのそとヒイラギの前まで這う。
「ヒイラギ」
ん、と一言発して目を閉じた。
「ど、どういう風の吹き回しでござる?」
「いちいち恥じらうのも面倒だから、開き直る事にした。キスしろ」
「わーい! 喜んで!」
ヒイラギの顔が近付いてきたな、と感じたタイミングで目を開けた。両手をシーツから抜き出して、ヒイラギの頬を両手で押さえて俺からキスをする。
好きだという気持ちに大小は無い。でも、昨日はヒイラギばかりに色々な場面で甘えていたようにも思う。だから、俺からも積極的に好意を伝えていこうと考えただけだ。
驚くヒイラギの顔がちょっと可愛くて、口の中に少しだけ舌を入れて左右に動かす。
流石にそれ以上の事は出来なくて、唇を離した。が、しかし。
「り、りちゅぅうううっ!!」
興奮した様子で布団から飛び出してきた、全裸のヒイラギに押し倒された。
何故だ。
「おい、やめろ」
「そっちこそ、その性悪小悪魔的なお誘いは一体どういうつもりでござる!」
「そんな事していない」
「しーてーまーすー!! 朝から抱き潰してやろうか、この野郎でござる!!」
「そういう意図はなかったが、紛らわしい事をしたのならその件については謝る、すまない。だから、退け。体は痛くないが腰と中が……若干痛い怠い……!」
「あ、すみません…………」
結局、盛るヒイラギを何とか引き剥がしてから兄貴のジャージを着せて、リビングに向かった。スタイルが良い奴は普通のジャージでも様になると思いながら、横を見上げる。
「俺もそこそこ背はあるが、ヒイラギの方が高いな」
「高くても良い事は少ない、主に頭の辺りが」
「ああ……、ぶつけると痛そうだ」
「ほら、ここのリビングなんかもちょっと頭を下げて……」
何気なく会話をしながら、リビングの扉を開けた。机の上には朝だというのに、相当量のご馳走。待ってましたと言わんばかりに龍守と手眞理が、椅子から勢い良く立ち上がった。
「律様! おめでとうございます!」
「おはようございます、律様。そして、婿殿。いやぁ、めでたいめでたい。」
「今朝はお赤飯ですよ! ささ、どうぞお席に!!」
パタン。
俺はリビングの扉を閉じて、隣に立っているヒイラギと顔を見合わせた。
「どうする、あれ?」
「私は出来れば触りたくない」
「絶対、根掘り葉掘り色んな事問い詰められる」
「随分とお祝いムードだったでござるし」
多分待ち構えているだろうと思っていた龍守と手眞理。でも予想以上に大歓迎で、流石に気まずい。
どうしようかと考えている時に、ヒイラギが俺に向かって手を差し出してきた。
「騒がしくなりそうだったから、先に。改めて、私の恋人としてこれからよろしく頼む、律」
「一夜で終わらせなくてお前はいいのか?」
「こっちこそ、一夜で終わらせて堪るかでござる。それに、夜じゃなくて朝の律も味わい深い」
「俺はワインじゃないが……でも、まあ。重ねていく事が色々と分かる事もあると、俺も思うから」
俺はヒイラギの手を握り返して、笑う。
改めて言葉にするのは少し照れくさいとは思ったが、伝えておく事も大事だと思った。
「今日から……恋人としてよろしく、ヒイラギ」
握手した手を引っ張られ、腰を掴まれて持ち上げられた。ヒイラギは何度か円を描くように、廊下を駆ける。俺を持ち上げたまま。
ヒイラギの肩を掴みながら、上から見下ろす……恋人の顔は幸せいっぱいという感じで、俺も表情が緩んだ。
「今日から恋人! やったでござる!!」
「そこまで喜ばれると、何だかとんでもない事をした気になる」
「私が勝手に喜んでるだけだ! でも、律も嬉しそう!」
「ああ、嬉しい。俺はあまり表情に出ないが、良く分かったな」
「分かるでござるよ、それに昨日よりも素直! 心の距離がぐっと縮まった感じ!」
「あれだけの事をしたんだ、多少はまあ。……というか、俺重いだろ?」
「律は鮭のように軽いでござるよ!」
「俺は切り身鮭じゃなくて、国産人魚だ」
「国産の鮭はこれからが旬だから、美味しいでござるね」
「いや、そこじゃないだろ……」
これが、成立直後の恋人同士の会話として正しいかと言われると、自信が無い。鮭って……。
ようやく廊下の上に下ろされた俺は、汗を掻いたと騒いでいるヒイラギの耳が赤い事に気が付いた。
……なるほど。
「…………随分と騒がしい、照れ隠しだな」
「……律は私が恋愛経験無しの、童貞だという事を忘れているな?」
「童貞とかそんな事関係ないだろう。好きだって気持ちさえあれば、それで良い。カッコつけなくても良いし、それっぽい雰囲気を作ろうとしなくても大丈夫だから」
「あーーーー……、素直になった律のデレが止まらないぃ……」
顔まで真っ赤になったヒイラギは俺の肩に顔を埋めて、そのまま抱きしめてくる。俺は手を伸ばして、丸まっている背中を撫でた。
最初は胡散臭くて喧しいおしゃべり蝙蝠だと思っていたが、今ではこんなにも可愛くて愛しい。
俺の肩から顔を上げたヒイラギと目が合う。そのまま二人して黙って、ようやくその場が静かになった。
俺達はどちらからともなく、顔を近づけて……。
「……龍守様、ご飯冷めちゃいますよ……?」
「待て待て、手眞理。今良い雰囲気なのだから、邪魔してやるな」
「でも、また盛り上がられたら……廊下は青姦に入りますか?」
「ふむ……。……まあ、そうなったら池にでも放り込むか」
「……」
「……」
全部聞こえてる、勿論俺もヒイラギも。
視線を後ろに向けると、案の定リビングのドアからこっちを覗き見している龍守と手眞理。俺達は顔を見合わせて苦笑いしてから、そちらへと向かった。
「おい、お前ら覗き見するにしても、もうちょっとな……」
「りっ律様、何時からお気付きになられてっ!?」
「途中から明らかに、バレバレだったでござるよ」
「はっはっは! まあ、見逃していただけましたら。さて、お二人共、朝餉と致しましょう」
恋人歴0日、今日から恋人として俺とヒイラギは始まったばかり。
出会いからしてもう騒がしいばっかりだったが、それも嫌では無い。
「ヒイラギ」
「ん? どうかしたか?」
「明日、一緒に買い物行くぞ。同棲に必要な物とか、服とか。準備しないとな」
「……ああ、そうだな。じゃあ、明後日は私の車で、浜辺へドライブに行こう」
まだ、お互いに知らない事ばかりで、寧ろ知っている事の方が少ない。
それでも、明日も明後日もそれより先も。お互いを諦めようとしない限り、俺達にはまだ時間が山ほどある。
まだ勘でしかないが、恋が愛に変わる瞬間は……そう遠くないと思えた。
隣で笑うヒイラギと一緒に、これからも。
まずは、朝食を食べながら、お互いの事を話そうと思う。くだらない話も基本的な話も沢山。
俺は、平坂 律(ひらさか りつ)。
あまり見た目には特徴も無い平凡な男で、セックス経験を済ませたばかりのゲイ。今年で25歳。
昨日出会った吸血鬼と、今日から恋人同士。
END
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