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思い出売り、はじめました
『思いで売り、はじめました』
そんな広告が、古びた木造の建物の戸に張り付けられていた。俺は首を傾げて、まじまじとその広告を見つめる。
ガリ版刷りのなんとも味のある広告だ。所々黄ばんでいる所を見ると、相当古いものらしい。
なんとなく気になって、硝子の嵌った木戸を開ける。すると、木戸につるされた風鈴が、涼しい音をかき鳴らした。
「いらっしゃい。お客さんなんて久しぶり」
矢絣の着物が似合う老婆が一人、店の奥にある部屋から声をかけてくれる。俺は老婆を一瞥し、口を開けていた。
「その、思い出を売ってくれませんか?」
「まあまあ、思い出を買う人なんて、そりゃもう久しぶりだわ。ささ、こちらへ、お話を伺いましょう」
老婆に手招きされ、俺は誘われるように店の中へと入っていた。店には、桐でできた古箪笥だの、鏡台だの、はては年代物のコートなどが、所狭しと置かれている。
老婆の座る部屋には、ちゃぶ台がいくつも置いてあって、ちゃぶ台の上を占領するように、発条仕掛けの時計が鎮座していた。
俺は老婆に差し出された座布団に座り、口を開く。
「家族の思い出を売って欲しい。出来れば、父親の」
「まあ、それはなんで――」
老婆に請われるままに、俺は自分の身の上を話していた。
俺に両親はない。
気がついたら養護施設で育ち、冷たい里親の元で思春期を過ごした。里親は結局俺を引き取ることなく、俺は身寄りのないまま社会人として生きている。
別に家族がいなくても生活には困らない。今の職場には満足しているし、友人にも少数だが恵まれている。
ただ、ときおり友人たちが楽しそうに話す、実家の様子が酷く羨ましくなってしまうことはあった。
それから俺は、自分の両親の事を調べた。育った養護施設に尋ねたところ、幼い俺は父親にしばらく育てられ、父が再婚する関係で養護施設に入れられたことが分かったのだ。
ああ、捨てられたのだと思った。父は新しい家族を手に入れるために、厄介者の俺を捨てだのだ。
その事実は俺にとって、受け入れがたいものだった。
「だから、偽りでもいい、それを忘れさせてくれるような、父との思い出が欲しいのです……。父を恨まないですむような、父との思い出を」
話を締めくくる俺を見て、老婆は静かに頷き、立ちあがった。店に並べられた古箪笥を開け、老婆はこちらへと戻ってくる。
その手には、古びた発条が握られていた。
「これを、好きな時計に差し込んで回してください。それが、あなたの求めている思い出です」
俺の親父は、とても子供思いな人だった。お袋は俺が生まれてすぐに亡くなり、親父は男で一つで俺を育てようとしてくれたのだ。
「ほーら、たくさん飲んで大きくなれ。きちんとげっぷもしてくれよ」
哺乳瓶の俺の口に宛がい、親父は俺にミルクを飲ませてくれる。
「本当は、母乳の方がいいんだけどな」
そう言いながら、親父は悲しそうに眼を細めるのだ。そんな親父の顔を見るのが辛くて、俺は一生懸命ミルクを飲む。すると、親父は笑顔を浮かべ、俺に優しく話しかけてくれた。
「そうだな。お前がいるから寂しくない。お前がいれば、それでいい」
そっと哺乳瓶を俺から離し、親父は俺の体をゆらしながら背中をさすってくれる。俺は、げっぷをして親父に微笑みかけていた。
「俺は、親父に愛されていたんですね」
そっと発条を差し込んだ時計を抱きしめながら、俺はうっとりと言葉を紡いでいた。その思い出の記憶が赤の他人のものだったとしても、俺は幸福だったのだ。
事実などどうでもいい。親父は俺を愛してくれていた。その実感が大切なのだ。これで俺は、親父を恨まずに生きていける。
涙を流しながら、俺は時計から発条を抜き、時計をちゃぶ台へと戻していた。
「思い出はお気に召しましたか?」
「はい。俺は親父に愛されていた。思い出を授かったことにより、俺はその実感を持つことが出来ました。もう、親父に捨てられたと思わなくていいんだ」
「そうですか……でも、それですと」
「なにか、不都合なことでも――」
「いえ、ここで売っている思い出は、すべて持ち主の方たちが忘れたいからと売ってくれたものなのです。その思い出を売った方は、どんな気持ちでお子さんを育てていたのでしょうか」
「いらない……思い出」
老婆の言葉に、俺は唖然としていた。
嘘だ。
あれほど眩しい笑顔を浮かべ、俺を見つめていた親父が、俺との思い出を捨てたいと思うはずがない。
そんなの嘘だ。
「きっと、何か事情がおありだったのでしょう。その子のことを忘れてしまいたいほどに、辛い事情が」
老婆は寂しそうに笑って、俺に言葉をかけてくれる。だが、彼女の言葉を聞いても、俺は何も答えられなかった。
そのときだ。物凄い勢いで、店の戸が叩かれたのは。
「頼む! 返してくれ! あの子との思い出を、返してください!!」
「また、あのお客さん……」
老婆が困惑した様子で、入口を見つめる。入口の硝子には、涙を流す老人が映り込んでいた。老婆はよっこらしょっと店の縁側へと降り、入口へと向かう。
彼女が戸を開けると、物凄い勢いで老人が彼女に抱きついた。
「お願いだ! 返してくれ! 俺のたった一人の息子の思い出なんだ! 捨てて、それでも忘れられなくて! でも……」
「お客様、申し訳ありませんが、一度お売りになった思い出は、いかなる理由があろうともお返しすることはできません。それが、決まりなのです」
俯く老人に、老婆は優しく声をかける。老人は顔を覆い、泣声を発し始めた。
この人は俺が買った思い出の持ち主だ。そう思った瞬間、俺は口を開いていた。
「あのっ!」
「はい……」
俺の問いかけに老婆が不思議そうに俺を見る。俺は、そんな老婆に口を開いていた。
「この方が売った息子さんの思い出。全部、俺に売ってくれませんか?」
「じゃあ、行ってくるからな。親父!」
「おう! 今日は、釣り堀でうまいアジを釣り上げて来るからな! 待ってろよ!」
仕事に向かうために親父に声をかけると、威勢のいい返事が来た。親父は俺のいる玄関まで小走りで走ってきて、笑顔を向けてくれる。
「君は、本当にアジが好きかい……?」
「俺の思い出の中の親父は、よく小さい俺にアジを食べさせてたよ」
親父が、弱々しい声で俺に問う。買った思い出を辿って、俺は『親父になってくれた老人』に微笑みを返していた。
「本当にいいのかい? 君は、私の息子じゃあ」
「だったら、これから家族になればいい。あなたの大切な息子さんの記憶は、俺の中になるんだから。思い出をたくさん作って、俺が、あなたの息子になっていけばいいんだ」
ぎゅっと腰の曲がった老人を抱きしめて、俺は言葉を放っていた。
俺がこの人の息子の思い出を買ったあと、俺たちは家族になった。俺はこの人の養子に入り、今では家の家事をしてもらっている。
親父は体を壊し、息子を施設に預けたそうだ。面倒を見てくれる女性が結婚をしようと言ってくれたが、その女性とも別れ、天涯孤独だったという。
「不思議だな。赤の他人のはずなのに、君といると本当に息子と会っているみたいだ」
「俺は、あなたの息子になりますよ。何年かかっても、何十年かかっても」
「君はもう、私の立派な息子だよ」
「ありがとう、父さん」
親父が微笑んでくれる。俺は親父に微笑み返し、玄関を出ていた。
――君はもう、私の立派な息子だよ。
親父の言葉を胸に、俺はマンションの通路を歩く。空を仰ぐと、眩しい太陽が俺を照らしてくれていた。
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