00 ナゴヤステーションは盆の入り

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00 ナゴヤステーションは盆の入り

 昔から怪談話を何故か怖い、と思ったことがない。  幽霊だって、皆がそろってテンプレのように「うらめしやー」などと言いながら、暗い隅っこから出てくるわけなんかない。  幼いころから、池野里香はそう思っていた。  ホラー映画や漫画が流行っても、なんとなく興味がわかない。幽霊の姿に扮した女性が、野球好きの父が見ている始球式に出るような時代だ。テレビだってデジタルになったのに、幽霊達はそこに映ることができるのだろうか。  最近ガラケーから機種変更して、やっとスマートフォンのカメラを使いこなせるようになった母がリビングで呟く。 「もう心霊写真は撮れそうにないね」 「母さんは幽霊、信じてるの?」  母が笑う。 「今度お父さんに聞いてみて」 「えーめんどくさい」 「夕飯出来たから、そこ片付けて。課題は?」 「出来た。TOEICの勉強もしなきゃだけど、ゼミの課題どうしよう。地域研究なんだけど…」  リビングの机の上に散らかしていた大学の課題のプリントやらノートやらをかき集め、隣のソファの上に適当にどさりと置く。  エアコンが効いたリビングでの、夕ご飯の香り。夏野菜のカレーだ。いつもと変わらない夏の、いつもと変わらない日。  そんな大学の夏休み、世間では「お盆」などと呼ばれているそんな時期に、父が言った。 「明日から明後日の夜、父さんの駅へ来てくれないか」 「は? 夜に?」 「いいから。頼む」  電車の車掌の服を着ていないこの家の中にいると、ただのおっとりした恰幅のいい父が、滅多に見せることのない、真面目な顔で言った。 「名古屋駅だよね。いいけど、今週はバイトもないし」  エアコンの効いた部屋。もう90歳を過ぎた曾祖母が隣の和室の仏壇の前で、曾祖父に手を合わせている。特に何ら変わりのない、お盆の光景である。 「懐中電灯を持ってきてほしい」 「懐中電灯? 防災用品のリュックに入ってるアレ、借りちゃっていい?」 「ああ」  いつものようにお経を唱え、線香を立てている曾祖母が言った。 「また『あの日』なのかい、健ちゃん」  齢90を越したが時々ヘルパーさんが来てくれる程度で済んでいる、三味線の先生を長く勤めていた曾祖母が、背筋をしゃんと伸ばしたまま、和室の襖の向こうから聞く。 「ああ。ちょっと人手が足りないんだ。……職場の人には言ってある。里香なら大丈夫だろう。バイト代も出るぞ」 「じゃあやる」  左目の下に黒子がある軍服姿の曾祖父の、軍服を着てもなお愛嬌たっぷりな若々しい笑顔が、仏壇にはそぐわないほど明るい。曾祖父もまた鉄道会社で運転士として勤めていたが、戦時中に招集され、遠い国で亡くなったという。  自分にはほど遠い存在だが、何故か自分には、祖父と同じように、左目の下に黒子があった。 「けど、私なら大丈夫って、何が?」 「来てみればわかるさ。その代わり、ひとつだけ約束してほしい」 「約束……?」 「駅で見たものを、誰にも言わないように。それと、夜遅くなるから前の日は早く寝ておくようにな」 お盆には廃線になった電車も復活する。 深夜遅くに特別なダイヤが組まれ、亡くなった者達を乗せて走るのだという。  そんな話を父親から真顔で聞かされて、 「ファンタジーや絵本や映画じゃあるまいし……マジなの?」  幼いころからお化けや幽霊の類を一切怖がらなかった里香に、父がいう。 「それが、本当なんだ。嘘じゃない。うちの会社やJRでも一部の人だけしか知らないんだけどな。それで、一度は里香にも見せてやりたいと思っていたものだってある」 「えっ、なにを」 「…………秘密だ」  秘密、というものがまるで様にならない中肉中背に地元ドラゴンズのTシャツ。車掌姿でない時の車掌ほどなんだか間抜けなものはない。  ゼミ仲間には『里香のお父さんって車掌さんなんだ~かっこいい!』などと言われると何だか内心、正しくは全身がむずがゆい気持ちになる。そんな父が、珍しく真顔で言う。  一体何があるというのだろう。
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