「……あと5分」

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「あと5分……」  僕の弟はいつも、起きるのが遅い。今朝もかなり時間をかけて彼を起こしている。  僕はため息をつく。またいつのもこれか。  実家から離れて一人暮らしを始めて数年、今年になって弟が 「金が足りないからちょっと一緒にそっちで暮らしてもいい?」  という相談を持ち掛けてきた。  一緒に暮らしていた彼女と別れて一年が経って、一部屋空きっぱなしになっていたところに彼が来てくれるのはありがたかった。一人で暮らすには広すぎるし、引っ越すだけの気力もなかった僕にとっては願ったりかなったりというところだった。  しかし、である。  まさか学生時代から寝起きの悪かった弟が、いまだにそれをなおしていなかったとは。もう大人なんだし、いい加減一人で起きられるようになって欲しいのだが。  待っている間、首筋をかく。いつの間にか虫に刺されていたようで、今朝、目が覚めたのもこの痒みのせいだ。 「あと4分……」  なんだ? なんで今日に限ってカウントダウンをしているんだ? そんなことしたらあと5分猶予をもらった意味がないんじゃないか。  まあいいか。このあとちゃんと起きてくれさえすれば関係ない。少しぐらい待とうか。5分後に起きなかったときのために。念のため。  窓の外は晴天。カーテンの隙間から差し込む光が、弟が横たわっているベッドの上に落ちてほんの少し波打っている。  窓を開けているのか。まあこの部屋は3階にあるから不審者が侵入する心配も無いだろうけれど。 「あと3分……」  あと3分か。いまお湯を沸かしておけば、カップラーメンが作れたかもしれないな。もったいない。  それにしても弟の声がずいぶんガラガラだな。さては昨日夜更かししたんだろう。いつもそうだ。学生の時から徹夜明けの朝とそうでないときの声の質がかなり違っていたから。それこそ別人が布団の中に潜り込んでいるのでは? と思うほどだった。  それにしてもひどいな。僕が今まで聞いた声の中で一番ひどい。本当に別人なんじゃないか? そんな訳ないけど。 「あと2分……」  よし来たあともう少し。  そう思いながら、再び虫刺され跡をかく。どこかに塗り薬が置いてあった気がしたけど、どこだったかな。  日がずいぶん昇ってきたらしい。部屋の中が微かに夏らしい熱を帯びてきた。 「あと1分……」  ……ここまで来て思った。もういいんじゃないか? 普通に起こしても。  言ってしまえば、今こうしている時間も彼は起きているわけで、このまま叩き起こしても問題ない気がする。眠っていないんだし。  ……うん、起こそうか。  弟に触れようとした瞬間、気づいた。何か違和感がある。  こいつ、弟じゃない。もっと正確にいうと人間じゃない。  布団の奥から真っ赤に充血した目がこちらを睨んでいる。本来皮膚であるはずの部分が、濃い緑色をしている。植物の蔓のようなものが絡まって、それは出来ているのだと分かった。  ──逃げなければ。弟の居場所が分からないのが気がかりだけれど、そうも言っていられない。  振り向いて部屋のドアノブに手をかける。捻ろうとして──。  ブツ。  首筋に鈍い痛みが走る。  え? 声を出そうとして、けれどそれは空気を震わせることなく消えていく。  首が勝手に傾いていく。自分の意思とは関係なく。揺れる視界の中で、何とか状況を確かめようとあたりを見回す。  僕の首に、僕の首があったところに、別の何かが生えている。 「ずいぶん時間がかかったな」  何かがそんなふうに話す。弟だと思っていたはずの、塊の声。 「ああ、少し手こずったよ。情けないことに」  自分の身体からそんな声が響く。声の主と目が合った。充血したそれで睨まれる。直後、その生物のようなものは、真っ赤な口を開いて不気味にけたけたと嗤った。
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