2「無くなった光」

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「……ふうん、月食の夜にね。それがリーファイという呪影の性質なのかも知れないね」  猫子がデスクに向かってキーボードを叩きながらそう言うのに、何故か危機感を感じなかったのは、どうしてだろうと考えていると。 「こっちでも調べてみたんだ。一つの都市の人間がごっそり消えるような事件をね。頻繁にではないけれど、日本でも百年に一度の単位で起きている。呪影の、というかここは『くらやみ』と言うべきかな、の発生を考えれば少ないくらいではあるけれど」  いつの間にか『くらやみ』が固有名詞のように扱われていた。魔術師の用いるリーファイ・ジョンドゥという呼称になじみのない人間からすれば、そっちの方が本質を現しているのだろうが。 「確かに、データと見比べると。皆既月食の起きた年に『孤独陣』は発生しているね。偶然の一致だとしても、偶然が十も二十も続くわけがないからね」  そんなものは確定的な偏りだ、と猫子は言い切った。数学的な知識がなくとも、判ってしまうものなのだろう。 「しかし、そうまでしても『赤い月』とは呼ばれないんですね」 「前例があるから。昔に誤って月から落ちてきた精霊の話、訊いたことない? 穢土流しとは別に、古い文献に書かれているんだけど」  宗谷先生の担当は歴史総合だったな、となんとなく思い出して。考えてみても、言われたような記憶は無かった。 「そっか、まあ第五世界で最初の大戦争の話らしいけど、詳しいことはよくわからないんだよね」  文献には便宜的に「あかいつき」と記されているだけで、精霊であること、月と地球を結ぶラインから外れてしまったことが記載されてはいるが、真偽はわからない。  こういった事実がどうなのかを知るには、アカシックレコーダーでも連れてくるしかないだろうが、生憎「彼」は自分の仕事にかかりきりらしく、今は連絡が取れない。 「だから、二番煎じなんだよ」 「まあ、くらやみで充分だとは思いますけどね」  フィリスのことはどうだろう、と敷石は振ってみた。  そうすると、猫子はうんと頷いて語り始める。 「十年前だね。彼女がまだ十六の時だ。その時に「くらやみ」に喰われた町はコートルウェンソー。住民が食い尽くされて街並みだけが残っているよ、今でも。フィリスちゃんが発見された時は、霊力の殆どを失っていて、意識もなかったらしいよ」 「そんな状態から回復するものなんですねえ」 「まあ、その時から身体の成長が止まっているらしいけど。魂を失っているのなら、それもやむなしかな」  フィリス自身は霊力を殆ど扱えない。わずかに残ったそれは、単なる防衛手段でしかなくなってしまったのだという。 「見逃されたとかじゃないのか」 「単に価値が無いだけさ、今の彼女にはね」  ならば、とここまでずっと黙って敷石の隣に座っていた遊維が声を発する。 「フィリスさんが「くらやみ」を追いかける理由なんて無いんじゃないですか?」  倒したところで何も戻っては来ないのに、と至極現実的なことを言い出した。  それに対して猫子は「復讐に実利なんて関係ないんだよ」とやはり当たり前のことを返していた。「遊維ちゃん、誰かを殺したいほど憎んだ経験無いでしょ」 「まあ、ありませんけど」  ちらりと敷石を見た。その視線に彼は肩を竦める。 「俺は憎まないようにしているだけだよ。合理的じゃないからね」 「しーちゃんは割り切りすぎにも見えるけど」 「そうか? まあ、それでもいいけど。今あるものを大事にしたいだけだ」  猫子はそこに割り込む。にやにやと笑みながら。 「それって遊維ちゃんのこと?」 「含まれるってことではそうですね。それに、俺達はまだ呪影の影響から抜けきっていない。経済的に。俺は姉貴を手伝いたいんですよ」 「敷石くんはいい人だね。だから、君は国防軍に入りたいんだね」 「まあ。収入的には安定してますし」  国家公務員になれば、その辺りは確かに安定するだろう。しかし、それは敷石が死ぬことなく戦い抜ければ、の話だ。 「死なない自信でもあるのかな」 「ありませんよ。今の俺は未熟ですから。最低限、九鬼に勝てるようにはならないと何の意味も無い」  鬼のランクもあるし、それ以上に蓄積してきた経験の差が大きい。敷石が勝てなかった相手は修羅焔とくらやみを除けば九鬼だけだ。  彼にも、何か凄絶な過去がありそうだった。勝利にこだわる姿勢というより、勝利に餓えている性質は普通の人間を遥かに凌駕している。 「わたしは徒場良くんとは立ち合ってないけれど。そんなに恐い人なの?」 「うん。激しい奴ではあるな、普段は静かだけど」 「しーちゃんに似てるんじゃないの、それ」 「どうかなあ」  さっきから猫子のデスクでプリンターが動いているけれど、何をしているのかが気になっていた。雑談をする気はないので、さっさと済ませてしまいたかったが。 「はいこれ」 「何ですか、これ」 「校舎の地下迷宮のマップ。本当なら生徒には渡さないんだけど、今回は特別だよ」  地下に迷宮があるのかと喫驚する二人には構わずに猫子は続ける。 「今回は土地神は出せないんでしょ? それを伝えに行かなくちゃね」  瑠璃高の校舎が街の中心にある時点で気付いていてもおかしくはなかったが。学校の敷地の地下深くに神殿が埋められている。そこへ至る地下迷宮ブロックは、三年生がトレーニングに使う実戦場なとがそこらにいくつも存在するようだ。 「明るいね」 「灯りはLED電球のようだけど、こんな深くまで電気を引くかね普通」 「普通って何だろね」  さあな、とそこで話を切って、長い螺旋階段を降りきった。  そこには大きな、しかし飾り気のない扉が壁を穿っている。そこには無数の呪符が貼り付けられていて、その奥には何があるのかわからない。  地図には「封印室」と書かれているが、何を封印しているのかは今ひとつ理解できない。 「まあ、見れば解るか」  暢気に言って扉を開いた。  そこには、無数の武器が並んでいる。いずれも黒く染まっていて、見るからに禍々しい。注意書きには触れない方がよいと書かれているが、おそらくこれは。 「未契約の鬼源装だ」 「凄いプレッシャーが来るんだけど、しーちゃんは平気なの?」 「そりゃあ、低位の鬼に対して感じるところは無いよ。触れることはできないだろうけど」  広大な空間には数百の武器が収められている。それだけの武器を造ったところで、適合者がいなければ宝の持ち腐れだろうに。敷石は息を吐く。  封印室を素通りして、さらに地下へと潜っていく。ここまで来るのに既に二時間を費やしているが、帰りはキツそうだなあとなんとなく考えていると、階段の奥から空気の流れが感じられた。 「何だろう、こんな所で風が吹くのか?」 「案外サーキュレータとかじゃないかな。空気の入れ換えは大切だから」  階段の脇には鋼で造られた仏像や鬼の像が並んでいる。宗教観など全く関係ないそのラインナップが、誰の趣味なのかはよくわからない。  階段を降りていくと、周囲が徐々に明るくなっていく。内壁がいつの間にか金色になり、電球の光を乱反射し始めているのだ。  どこに金をかけるんだろうと不思議になる敷石だったが、そういう土地神なのかも知れないと思えばそういうものかも知れない。  階段が終わると、流石にこの深度では気温が高くなっている。二人とも熱には耐性があるけれど、それでも汗ばむほどに湿気も強い空間だ。  さらに長い廊下を抜けて、いよいよ神殿に辿り着く。ここは普段、立入禁止区域らしいけれど、特に鍵が用意されているわけでもなく、寧ろ上層の迷宮自体が大きな結界になっている程度だった。 「どんなんが出るかな」  呪符が大量に貼り付けられた扉を押してみる。しかし動かない。引き戸なのかと思ったけれど、そんな造りにはなっていない。 「…………?」  面倒だ、と敷石は修羅焔の鯉口を切った。増大した身体能力で無理矢理に押し開いていく。  全力で押してもゆっくりとしか動かない。相当の重量だというか、こんなものを用意してまで封じているのかと不思議だった。高位の鬼の力を以てしてもこの重さはキツいものがある。 「ぐ、ぎぎ」  二分ほどかけてようやく人の通れる幅まで開き、二人で滑り込む。扉はすぐに戻っていくが、後ろからは開けるように取っ手が取り付けられていた。  右腕を振って痛みを払い、神殿……社殿を見据える。  だが、その前には無数の鬼が立ちはだかっている。門番なら扉の前に用意するべきじゃないのかと思ったけれど、今更そんなことを言っている余裕はなかった。  鬼の体躯は二メーターほど。確かに大きいけれど、昔相対したことのあるワイヴァーンよりは小さいので、脅威に感じるほどではなかった。 (しかし、数が多いな。一気に切り抜けるのは不可能か)  右手で刀の柄を握る。 「修羅連閃」  赤い光が鬼に複数回斬りかかり、その身体を六つに断ち斬る。  重い。斬れなくはないが相当な出力が必要だ。敷石が全力を出す戦闘はそうそうないが、それが無いと腕がなまりそうでもあったので。 「好都合だ」  走る。焔を使わない鬼源体術のみで鬼の集団に斬りかかっていく。それを確かめた鬼たちは、取り残されている遊維を見ることなく敷石に向かって進んでいく。  というか、遊維は遊維で自身を意識させない呪術を使っているのだけれど。それは自分可愛さというより、敷石の邪魔をしたくないという思いから無意識に行っていたことだが。  それに、遊維はそもそも表に出て暴れるような役回りは苦手だった。  だからこそ――― 「修羅閃嵐!」  黒い刃が渦を巻く。敷石が回転しながら跳び上がり、周囲の鬼を同時に斬りつける。空中高く舞い上がった敷石はくるりと身体を反転させ、右手で刀を引き絞る。 「修羅閃射!」  無数の突き攻撃を下方に繰り出す。それでも消えきらない鬼の腕を器用に躱して、着地したと同時に鬼の脚を斬り払う。  ぐらりと崩れた鬼に敷石はここで焔を放つ。  刀を正眼に構え。意識を集中させる。 「―――修羅焦熱!」  赤い焔が敷石の周囲に噴き上がり、まばゆく輝き鬼の黒い体躯を呑み込んでいく。焔を受けて溶けていく鬼を見ることもなく、敷石は刀を収めた。 「これで、全部か?」  そこでようやく、足元が砂利敷きになっているのに気付いた。砂利をどこから持ってきたのかは解らないが、普段ここまで来る人間は相当に限られているはずだ。  普通に生きているのなら、まず意識はしないことではあれど、知ってしまえば考えることは色々あった。  ずど、と何かが地面を揺らす。視線を後方に向ければ、先程と同型の、しかしさらに巨大なものが敷石を見下ろしていた。  昔の彫像めいた、上半身が下半身より大きく造られているその姿は、威圧感を強調したいのだろうが、今更そんなことで怯む敷石ではなかった。 「とはいえ、どうしたものかな」  高さにして十メーターはある鬼に対して単騎で勝てるほど、敷石は強くはない。特に純正の鬼ならば、だが。  あれは―――
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