2「無くなった光」

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「…………ん」  意識が現実に戻る。いつの間にか布団の中で眠っているようだったが、琉狗が用意したのだろうか、と考えると同時に、布団の中に別の熱を感じる。 「ん!?」  何故か遊維が同じ布団の中で眠っている。 「ふにゃあ……」  彼女が両腕で敷石の頭を大事そうに抱えて。敷石から表情は見えないが、呼吸の穏やかさから悪夢は見ていないだろうことは判断できた。 (柔らかくて、暖かい……じゃなくて!) 「なあ、遊維?」  返事はない。相当深く眠っているようだった。  引き剥がそうとすると、眠ったまま抵抗される。流石にそれをされて起こしてしまうのも忍びないが、この状況は正直困るのだが……とどうにか脱出しようとしながら考えていると。 「あ、起きたか。どうだい、良いものは手に入ったか」 「この状況でそれを訊くんですか」 「仕方なかろう、久繰坂くんが君から離れんのだから。それに」  眠ったままの遊維に視線を送って、琉狗は告げる。 「彼女の方が君より事態が深刻だからな。感づいていただろう、死儀焔義の欠点に」  だからこそ、一時的にでも施しをしなければならんのだ。そう言って掛け布団の上から手を置いた。 「はっはー。儂からすりゃあ、二人ともまだ赤子同然だ。眠ることもまた重要だぞ」 「同衾させることないでしょう!」  わりあい真剣に怒った。 「おん? そこまで怒ることもあるまい。年の割には堅いのう」  真剣には聞いてくれなかったけれど。  この状況で話す絵面が何とも間が抜けている、とは思わないのだろう。土地神の考えることはよくわからない。 「……で、さっきの話ですけど」 「ん」 「あとどれくらいですか、遊維は」 「そうだなあ―――」  遊維が目覚めるのを待ってから、神殿を後にした。敷石の機嫌は悪く、対照的に遊維は上機嫌だ。しばらくまともな睡眠を取っていなかったらしいが、一体何をしていたのだろう。 「なんか身体の調子が良いんだよね。ちゃんと寝たからかなあ」 「そうだろうな」 「なんでそんなに機嫌悪いの? 寝てないの?」 「そんなことないよ、睡眠はしっかり取ってる」  不思議そうに見上げる遊維に、敷石は視線を合わせない。階段を上りながら時間を確認すれば、既に午後八時を回っていた。  地下では電波が届かず、新規の着信はなかったものの、これでは姉が心配しているだろうな、となんとなく思ってから、迷宮区まで戻ってくる。  降りていく時にはここで一時間は取られたし、流石に面倒だと思っていると、通路の奥から敷石を呼ぶ声が聞こえた。 「宗谷先生だ」  猫子が迎えに来ているのに驚いたが、別に生徒以外は入れないわけでもないし、遅くなったから来たのだろうと普通のことを考えていた。 「すみません」 「いいよ。二人が無事だったなら。それより、ちょっとマズいことになってる」 「何です? 今更死人が出たとか言いませんよね」 「そうじゃないよ、外の闇が異常に濃くなってる。月食にはまだ早いけれど、何でだろうね」  呪影は今は、他の鬼源装保持者で対応してるから、死人が出るとかは抑えられているけれど、と言うが。 「時間の問題、ですか」 「さっき外で八重ちゃんに頼み事をしていたんだけど、あの子も忙しいみたいで、これ以上は手伝えないって帰っちゃった」 「姉貴も社会人ですからね」 「これを敷石くんのために貰ってはいるけれど、よほどの時以外には渡さないよう言われているからさ」  猫子が手に持っている円筒形の何かは敷石にはよく判らないけれど。 「状況は見てみないと判りませんよ、早く戻りましょう。それから話を続けましょうか」 「そうだね」  屋上に立っている。  校舎には呪影を寄せ付けない結界が張られているけれど、それでも周囲の街の闇の深さは今までに見たことがなかった。  敷石の左眼でさえ、その闇の先の景色が全く見えないのが、確証として実感させるものだ。 「これは酷いな」 「もう二週間も悠長に待っていられないんじゃないのかな」  遊維も敷石と同じことを考えていたようだった。 「そうは言うけどね、月食を早める手段なんか無いでしょ? 世界そのものを変化させる呪術なんてものは存在しないよ」  そんなものは魔法の領域だと猫子は言い切った。  架空魔法「アクセルワールド」。現在は遣い手のいないが故に架空と呼ばれているだけだが、この魔法に限らず理論だけが存在している術式は限りなく存在している。  そもそも理論が存在するのなら魔法ではないだろう、と界隈でも言われてはいるが。 「手はありますよ。さっき、これを貰ったばかりですし」  敷石が首にかけているアミュレットを指で引っ張り出す。そこには赤色の石がぶら下がっているが、猫子にはそれが何かは解らない。 「しーちゃん、それって」 「その前に」  敷石は無理にでも話を進める。時間をかけたくないこともあるし、それよりも、さっき聞いていたことをあまり思い出したくなかったのだ。 「ここの結界を一時的に解除して貰えませんか? 戦場をこの学校にするのなら、街の呪影を全て集めるために必要ですから」 「敷石くん」  後ろから、フィリスの声がした。 「大丈夫なの? その、君たちだけで」  不安げな声だった。いい大人のはずなのに、どうしてか幼稚な印象が拭えない。  敷石は振り向いて、笑ってみせる。あまり見せない、子供っぽい笑みだった。 「なんとかするよ、頼まれ事は放り出さない主義なんだ」  だから隠れていて欲しいと促した。それにフィリスはどう思ったのか、その通りに屋上から降りていった。 「しーちゃんって絶望的な状況だと笑うよね」 「あ、そうなんだ。ちょっと恐かったよ」 「放っておいてくれ」  あははと笑いながら、猫子が端末を操作する。どうやら校舎内のメインCPUにアクセスしているらしい。 「結界を含む全ての霊力コントロールコマンドはここで操作できるんだ。生徒には内緒だけどね。こんなものを掌握させたら、暴走する生徒が出始めるから」 「学生としては何の意味もありませんけどね」 「一応、システムゼロとかのコマンドも用意されてるけど、確か使用されたことはないはずだよ」  そのレベルで校内が安定しているという意味だろうけれど、それは誰の仕事なのだろう。 「コマンドは『結界の解除』、『霊力波動の集束』、『呪影の動きの制限』、『再拡散の防止』、だね。最後のはまあ昼間に八重ちゃんがやってたんだけど」 「姉貴には毎回世話になってる気がするなあ」 「そうなの?」  猫子にはよく判らないようだった。  中学生の敷石を知らないだけのことだが、しかしある意味で有名な生徒を知らないというのはどうにも不自然だな、と遊維は首を傾げた。 「しーちゃんは中学の時に街の不良グループ全部叩き潰したんですよ。暴力行為なんですけど、誰も死んでいない上に怪我もしていなかったから、皆が気付かなかったんです」  まあ、卒業前日のヘマで尻尾掴まれたんですけどね。と、遊維は面白そうに語る。実際にはそれ以前から警察に協力していたので、罪には問われない処理をしてもらったのだが。  目立つのが嫌いで、隠密行動の訓練をしていたのが良い方向に働いてしまった例だった。 「しーちゃんは犯罪はできませんしね、性格的に」  それに、本気で敷石を捉えようとするなら、機動隊の一つや二つでは全く足りないだろう。それこそ戦車か戦闘ヘリを引っ張ってくることになる。それほど、志木島敷石は脅威的な存在だ、と遊維は言い切ってしまう。 「俺はそんな危険な奴か」 「一つ間違えればね。でも、しーちゃんはいい人だって解ってるし」  ぎゅー、と右腕に抱きついてきた。痛くはない。  最近は修羅焔を抜いていない時でも身体能力が上がってきている気がしていた。特に鍛えているわけでもないのに、不思議だったけれど。  それは単に鬼との同化が進んでしまっているだけなのかも知れない。  痛いはずの攻撃が痛くないのは、あまりに危険だけれど。 「……コマンド処理完了したよ。一気に来るから注意してね」  猫子の声にはっとして空を見れば、学校の敷地を囲っていた結界が蒼い正六角形の欠片になって消え去る。瞬間に、全方向から強烈な霊気が冷気になって吹き込んでくると同時に、周囲の空間で燻っていた呪影も追いかけてくるように近寄ってくる。 「ここからどうするの? 月食を発生させるというか」 「いや、鬼源装の起動と同じ原理で『赤い月』を呼び出す。ここに書き込まれているデータは同じように扱えるはずだ」  言いながら、敷石は刀を僅かに抜いた。同時に右手で持っているアミュレットも赤く光り出し、前方に何かの数式を書き出したスクリーンが浮かぶ。 「これは」  呟く間にもプログラムは起動アクションを止めることなく、流れるように次々と数式を処理していく。  呪影がすぐ傍まで迫っていてもそれは続き、やがて二つ目のウィンドウが開き、コンプリートの文字が表示される。 「よし、いける」  次々に展開完了の文字が表示され、最後に確認画面が現れる。  敷石は、迷いなく「OK」のボタンを押下した。
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