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3「迂遠の色」
魔術師はあまり魔術師らしい服装というものをしていない。そもそも呪影にそんなものを求めること自体が的外れなのだろうが、真っ黒なコートに虹色のマフラー、オールバックの金髪と白黒反転した眼球。
おまけに筋肉が相当量付いた大柄な有り様は、一般的な術師とは違う。
明らかに違う。
「修羅焔閃!」
「ライズファイア!」
二人で同時に先制攻撃を狙ったが、あっさりと躱されてしまう。
(迅い! 格闘魔術か?)
「遅いな、そんなもので私を消そうなどと」
敷石の背後でリーファイが声を漏らす。振り返ると同時に、頭上から迫ってくる呪影の塊の一撃を刀で斬り祓う。焔を発する暇もなく、次々と攻撃が来る。黒い拳を連続で繰り出してくるのを刀で受け続ける。
(反撃できない……こっちはかなりの出力だぞ!?)
「しーちゃんっ!」
声に応じることはない。しかし、それだけで相手が何を望んでいるのかがある程度解っている。
「ふっ!」
黒い攻撃の隙間を狙う。鬼の力を瞬間的に全解放して、一瞬で懐に踏み込んで、刀の柄で鳩尾を狙う。刃で斬らずとも、呪影に鬼力は触れるだけで有効なのだが。
空振りした。
視線を上に滑らせる。空中でくるりと身体を反転させ、指を敷石に向ける。
そこに黒い塊が集束し、大きな塊になる。
「シャドウショット」
「フレアシュート!」
横から遊維の焔が飛んでくる。リーファイの黒い塊にそれが衝突し弾き飛ばされる。その隙に、敷石が刀を上に向けた。
赤い焔の塊を撃ち出す。命中すれば必殺だが、前回躱されているので特に当てようとも思っていない。
「修羅焔砲!」
きゅばっ! と唸る音に後退る。威力が段違いに上昇している。そこまで修羅焔は魔術師を斃したいのだろう、敷石には刀から激しい怒りが伝ってくる。
その怒気に震えながら、焔を何かの魔術で弾き飛ばした相手を見据える。
落ちてくるその体躯を切り裂こうと、肩に刀を担ぐように構え、焔を刀身に纏わせる。
「修羅焔刀……!」
ぎらりと眼球だけで相手を捉え、タイミングを見て袈裟懸けに斬りつける。しかしその攻撃は硬質な何かに当たって弾かれた。
「空幻・旋斬」
リーファイの周囲に蒼い光が渦巻く。直感的に危険だと感じた二人は大きくバックステップして攻撃から逃れる。
空気の刃が屋上全体を切り裂いて周りを囲っていたフェンスが千々に切られて落ちていった。
「私を殺すのではないのか、少年。その鬼の力を借りておいてこの程度か? 甘く見られたものだな」
「うるせえな、お前は」
赤い月の光にも負けない焔が刀身から噴き上がる。敷石は左眼から血を流しているが、それを拭うこともなく、辺りに血痕を残していた。
「自然現象のくせに知的生命気取るな。お前は人には追いつけねえよ」
「そうかな」
「ならば、何故『孤独陣』を展開する。何故大量に人を喰らうんだ。命を喰ったところでそいつと同一には成れないんだが?」
それは修羅焔が、もう人には戻れないように。どれだけ望んでも、生まれ持ったもの以外には成れない。人が獣にも化け物にも成れぬよう。
修羅焔は人が鬼になったのではなく、死んだ後に意志が魂を変質させて陰の気を纏っただけの実体のない存在だ。
生成りの鬼は間違っても刀には加工できない。
実体を持たないからこそ、姿を変えられるのだが。
「それは、君には解らんよ。私は人になりたいとは望んではいない。『魔纏牢』に昇ることでもない。もっと先、もっと上にある目的だ」
「…………?」
魔纏牢という名前には聞き覚えのない敷石ではあるが、それがあまり良い意味でないことはなんとなく理解できた。
「何を、目指してるって言うんだ」
問う口調ではなかった。ただ漏れただけの呟きに、リーファイは反応しない。
敷石は刀を振るう。地面まで落とした切っ先を振り上げる。
「修羅焔走!」
焔が地面を走り、リーファイを狙う。
それを魔術で弾いた残光か消えきらぬうち、既に敷石は追撃の構えに入っていた。同時に遊維も燃え上がる拳を引き絞って背中の中心を狙っている。
「撥」
どおん、と空気が弾ける。周囲に衝撃を拡げ、二人を同時に弾き飛ばし、屋上から叩き落とした。
「な、に……」
「んにぃ!」
○
徒場良九鬼は振り返った。学校の上空で輝く禍々しいまでに赤い球体を無視できないレベルで見てしまったからだった。
「なんだ、あれは」
右手に握っている細身の刀がりぃと鳴いたが、それを完全に無視して球体を凝視していた。
そうして気付けば周囲を埋め尽くしていた呪影が消え去っているのを確認して、なるほどと頷いた。そのまま赤い光を目指して走り出す。最初からトップスピードだった。
○
「……来たか」
ソファにゆったりと座りながら、琉狗は目を閉じて呟く。
土地神である彼女には、周辺の状況はある程度読めるけれど、濃厚な呪影の気配は初めて感じるものだった。
奪うだけの存在が意志を持つと、ここまで悍ましい存在になるのか。
自然、身体が震えていた。
「笑えんな、誰がなんの目的で動いていたとしても否定する気は起きんが……人に危害を加えるのは違うだろう」
今回は全く出番がないだけに、思うことしか出来ない自分がもどかしく、だからこそ思案に耽るしかないのだ。
「我らを脅かすなら全力で潰すべきだが……、ここは彼らの力に任せるしかないのか」
つい、と腕を天井に向ける。その先に赤い光が灯り、ゆっくりと昇っていく。
「……頼むぞ」
……
「あっ……危ねえ」
壁に突き立った刀を引き抜いて、すぐ下の地面に降りる。
落ちる際に屋上の縁に足を引っ掛けていたので、減速していた。
「ここまで力の差があるのか。流石にキツいな、これは」
ぎり、と柄を握り直す。表情は動いていないが、頭の中は苛立ちが覆っていた。修羅焔の怨嗟に思考が引っ張られているようで、それを無理矢理に抑え込んで集中を戻す。
行くか、と上を向くと、屋上から焔が噴き出していた。
遊維は空中でリカバリーしていたようだった。焔を操る「死儀焔義」の利点でもあった。
敷石は空中移動は出来ないので、地上で立ち回るしかない。
全力で跳び上がる。四階建ての校舎の屋上まで一足では登れはしないけれど、刀を使えば出来ないこともない。
かん、と刀身を壁に引っ掛け、腕力と脚力全体で推進力を得て登りきる。手を縁にかけて戻れば、遊維がリーファイと撃ち合いを始めていた。
「ぎゅーん!」
右腕を振るって焔を拡げ、それを目隠しにして一気に距離を詰める。右の拳に火を灯し、下から殴るが、しかしすれすれのところで躱される。
その瞬間に敷石がリーファイの頭を狙って刀を突き込む。
それさえも彼は完全に見切って躱しきる。
人間でないものだからこそ出来ることなのだろうが、人間の中でも可能なものではある。あくまで相当な修練を積んだ場合の話だが。
「おらあっ!」
敷石の太刀が真横に薙ぐ。鬼力全開の攻撃を全く当てられないのは、未熟さと敷石のスロースターターの特性があるだろう。
敷石が修羅焔と立ち合った時も、全力を出すまでに九十回殺される必要があった。意識的に全力を出せない枷が、ここで足を引っ張っているのは問題だ。
「このっ……鈍間が」
「しーちゃん、落ち着いて」
意識を鎮めることも面倒になっているところに鋭い指示が飛んできた。遊維は距離を取りながら確実に躱せる間合いで戦闘をしている。
そこに気付かないわけではなかったが、目に入っていないのは明らかに自身の愚鈍さだった。
相手が呪影で自分が人間である以上、自分たちは相手に触れられてはならない。霊力と命を喰われてしまえば、不利になるどころか一瞬で死にかねない。
敷石は霊力を扱えないが、無いわけでないことは知っていた。
敷石とリーファイは互いに触れてはならない相手だということを、改めて考える。手遅れにならないうちに、何か策を打たなければ。
克たなければ、ここまで状況を整えた皆に顔向けができない。そういった責任感が、なおさら彼を冷静にさせた。
「修羅焔。落ち着け、あれを斃すために冷静になるんだ。怒るばかりじゃあ、勝機は来ない」
言い聞かせるように呟く。その声でぎいぎいと真っ赤な怨嗟を放っていた修羅焔が静かになる。彼もまた、普段の冷静さを失っていたのだろう。
「克つって決めたんだ。だから、祓ってみせる」
「無駄なことを口にするな。勝機など来ない。精々足掻くがいいさ、私はここでお前たちを喰らうだけなのだから」
「そんなことを―――」敷石は踏み切った。「―――認めるわけにはいかないな」
リーファイは躱していたが、その表情は驚きが混じっていた。
心情一つで技の鋭さは変化する。敷石の殺意が薄れているのをリーファイは感じ取っていたが。
「ふふ。やっと戻ってきたね、しーちゃん」
「なんの話だ?」
「十年前の話。初めて鬼と契約する前の、赤くないしーちゃんのことだよ」
わからなかった。鬼と契約する前の記憶は既に大部分が消え去っている。思い出すことができない、存在しない記憶は、他者の情報で補完するしかないが、今までそれをしてはこなかった。
必要ないから。
敷石は流れる血涙を拭い取る。とにかく、今は目の前の相手に注力するのみだ。地下で言われた遊維の刻限は気になっていたし。この戦いが終わった時、まだ生きていたなら。
もう止めようと言うつもりだ。
「遊維、体調は変化ないか」
「ん? 別に無いけど……まだそこまで疲れてないよ?」
そういうことじゃあないんだけどな、と敷石は息を吐く。まあ大事ないならいいだろうと、魔術師に闘気をぶつける。赤く染まった世界の中で、敷石の視界だけが白く補正されている。
「そうか、お前が」
リーファイは敷石に何かを見たようだった。
「鬼望院家の分家、だったな。志木島家は」
「そうだよ。今まで気付かなかったのか」
鬼望院。魔術が始まるより遙か昔から続く、始まりの呪術師の家系。本家の人間はもれなく鬼使いの修練を行うことが知られていたが、その分家の筆頭が志木島家だった。
「志木島は鬼を使い、鬼に使われる。昔から伝わる呪いの基礎だ」
主従関係ではなく、共存関係。鬼と心を交わし、共に在ることを選んだ家だった。そのために、鬼源装の適性は人より高い。
敷石は黒鬼でこそないが、高位の鬼と契約できている。その時点で充分すぎるほど強いのだ。
「ま、それは俺に限った話じゃあないけどな」
いん。
と、音がした。敷石は構えたまま動かない。リーファイが訝るように視線を敷石に向けたと同時に、リーファイの左耳に刀痕が刻まれていた。
「っお……!」
熱い、とリーファイは初めて焔による熱を感じていた。
だが、敷石の刀身に焔は灯っていない。あれほどの焔が空の赤い光に紛れるはずもなく、それ自体が輝いていたはずだ。
「隙だらけだよ? くらやみさん」
後ろから遊維が炎上する拳で殴りつけた。瞬間の判断でリーファイは打点を逸らして受け流したが、それでも響く衝撃が、混乱する思考を掻き乱す。
勝てるとは、誰も思ってはいない。ただ、気の済むまで力を交わすだけのことを、殺し合いだとは感じていないのだった。
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