3「迂遠の色」

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○ 「ようやくイーブンってところだね。敷石くんのスロースターター振りには困るよ、前に八重ちゃんに聞いていた時からまるで直ってない」 「宗谷さん、辛辣だね……」  フィリスには敷石と遊維の方が有利なように見えていた。今のところ動きは少ないけれど、二人だけで対等に戦えている事実が、そう思わせる。  猫子とフィリスは職員室の隣にある司令室という、普段使わない部屋でカメラの映像を見ていた。  校内には複数の定点カメラが設置されていて、その中で屋上には見えないように三方向からモニターできるようカメラが埋め込まれていた。 「赤い月の影響下なら、呪影は実体化したままで固定されるけれど、あれの効果時間がどれほどなのか解らないし、修羅焔にも死儀焔義にも致命的な弱点があるからね」  全く楽観視はできない、と渋い表情で猫子は語る。 「致命的な弱点?」 「聞いていないの? 敷石くんも八重ちゃんも言わなかったのか」  まあ、知る必要のないことだからな、と溜息交じりだった。 「彼らは言っていなかった? 命をどうとか」 「あ、言ってたね。敷石くんが命を喰わせるとか」  うん、と頷く猫子。 「『命を喰らえ』、が敷石くん。『命を燃やして戦う』が遊維ちゃん。その共通点は自らの命の残量を削って力に変えていることなんだよ」  勿論、それを回復する方法など見つかっておらず。敷石を含む鬼源装保持者は総じて命を戦闘の代償として差し出している。  鬼源装使いが「五十年生きられれば永い方」と言われるのはそういった理由からだ。 「問題は遊維ちゃんの方だよ。死儀焔義は自らの寿命と言うより、体内に生まれた時から持っている生命エネルギーを無理矢理に膂力と焔に変えて戦う。変換効率は高いらしいけれど」  消耗もまた激しく。敷石と共に戦ってきた過去を考えれば、その命の残量はおそらく敷石よりも少ないはずだ――― 「あんな無茶をいつまでも続けられるわけがないんだ。限界がいつ来るのかは判らないから、敷石くんも勝負を急ぐ必要があるんだよ」 「あんな回避合戦じゃあ、長丁場にしかならないよ? 勝負を急ぐって、どうやって」  わからないよ。猫子にはそう答えるしかない。 ……  ぐい、とリーファイが地面から盾を引き上げる。足許に用意していた錬成コードを使用するのは初めてだった。  二人を相手に無傷で躱し続けるのを危険と判断したと言うことなのだろう。  鬼の力を受け始めているリーファイが焦りを見せ始めたのが判ったが、しかし時間をかけすぎるのが気になっていた。敷石はともかく、遊維にはあまり無理をさせたくないのが実情なのだが。 「修羅焔架」  赤ではなく、青に輝く十字架の残像が目に焼き付く。焔の温度ではなく、敷石と修羅焔の纏う空気が大きく変化しているのは誰の目にも明らかだった。  十字の斬撃を盾で受けきり、しかし圧力に圧されて足が地面を削る。 「せああっ!」  背後から遊維が両腕で突きを放つ。それを右腕で防ぎながら弾き飛ばし、彼女が受け身を取るのを見ることもなく、続けて「シャドウスフィア」を発現させる。  遊維が立ち上がると同時に敷石が切り込む。敷石の場合は一撃でも深い攻撃を浴びせれば勝負が決まるので、リーファイにとっての危険度はこちらが上だ。  しかし、遊維のように物理攻撃でも呪影は拡散してしまうので、あまり高威力の攻撃を受けることもまた、危険なのだった。  大きな呪影の弾を撃ち出すと、遊維は横にスライドして躱す。普段の反応速度であればまず避けられない攻撃ではあるけれど、死儀焔義の身体機能に加えて、テンションによる補正が加わっているが故に対応することができている。 「修羅閃槍」  敷石が太刀ではなく左脚で突き蹴りを放つ。ここでフェイント的に打撃を織り込むことは初めてだった。大きく吹き飛んだリーファイは屋上から自ら飛び降り、目の前のグラウンドまで移動する。 「逃がすかよ」  敷石も屋上から壁を駆け下りて追いかける。冷静な思考の中でも、過激な行動に出る辺りは敷石の本質なのだろうが、それを指摘できる者はあまりいない。  続いて遊維も飛び降りる。落下しながら死儀焔義を発動、焔を逆噴射しながら地面に降りて、先を走っていった敷石を追いかける。  赤く照らす光は街全体を包んでいるので、街に逃げても無意味なのだけれど……。 「いや、ここは」  おそらく猫子の手筈だと思い当たる。一度解除された結界が張り直されている。  リーファイが触れた瞬間、大きな火花を散らして弾き飛ばした。 「ぐおおおっ」  呻くその声には構わず、敷石は刀を構える。斬りつけるのではなく、鬼力の解放だった。敷石の周囲が青く光を放ち、そこに高温の焔が音も形もなく噴き上がる。 「修羅焦熱」  それを受ける前に、リーファイは身体を気体の状態に瞬間的に拡散して、その攻撃によるダメージを最小限に抑えていた。  赤い月の光で再び人の姿に戻るのだが、そこには先程までは見られなかった無数の傷が浮かんでいた。 「効いているんだ、全部」 「そのようだな、だが」 「時間が足りない。既に一時間が経過しているぞ」  リーファイは「赤い月・イミテーション」の時間が残り少ないことを看破していた。  残りは槍何分も残ってはいないだろう。ここで決めきれなければ作戦は失敗だ。  それに、と敷石は遊維を見遣る。  今は平気そうに見せてはいるが、長引かせるべき戦闘でないことは知っているし、限界を見極めることができないのは、戦闘とは違う意味での恐怖だ。 「じゃあ、聞かせろよ。お前、この世界で何をしたいんだ」 「『廃神演義』。私の目的はそれだけだ」 「はいしんえんぎ? なんだそれは」  リーファイは応えない。それに対して敷石はぴたりと魔術師の首筋に太刀の刃を添える。 「…………この世界に存在する、全ての「神」と呼ばれる存在を抹消する。それこそが、存在する意味だと、私は定めた」 「何の意味があって……」 「意味? それは、神だとか、宗教だとか、そんなものに縛られる人間どもが鬱陶しいからさ。その思想は、呪影の存在には邪魔でしかない」  敷石は表情には出さないが、どこかおかしいと感じていた。 「お前だけじゃ、ないのか」 「誰が『エンプティ』は私だけと言った。意志を持つ呪影の集合体、世界中に分布する全てが『エンプティ』そのものだ」  完全に滅することは不可能だ、そう言ってリーファイは笑う。  そこに、敷石は違和感を覚えた。 「意志を持つ呪影が全て、か。それなら、それをかき集めれば人間なんか取るに足らんだろう。神すら殺せるんじゃあないのか」 「できないさ。意識を持つことと意志を持つことは全く意味が違う。私は、偶然に「あかいつき」に出遭っただけの個体だから」  遊維が驚いたように声を上げる。 「赤い月……今見ている「ブラッディムーン」のことじゃないんだよね」 「違う。それは魔力の集中点、赤い夜の模倣に過ぎない。真の「あかいよる」は、こんなものではないのだよ」 「お前は―――」 「私を滅したいのなら、真の「あかいよる」を呼び起こすことだ。だが」  そのとき、赤い月がその光を急激に弱める。 「くっ、修羅焔!」  もう遅い、とその言葉は残響していた。敷石が振るった斬撃は、拡散した呪影の一部を消したのみだ。  待てと叫んでも、もうそこには誰も居なかった。  完全に失敗だ、と悔やんでも、闇の中には何も見えない。修羅焔さえ、怒りすら忘れて静かだった。
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