3「迂遠の色」

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「志木島は神を殺せると思うか」  音楽室でピアノを弾いていた九鬼が唐突に話しかけてきた。 「え、さあ。やってみないと判らないかな。俺には出来ないとは思うけど」 「そうか、俺はできると思うぞ」 「そうなのか?」  自分は強いという主張なのか、とも思ったがどうも違うようだった。敷石は生徒用の机に座りながら鍵盤を叩き続ける九鬼を眺める。  彼はそんな視線には慣れているのか、淀みない動きで演奏を続ける。 「信念で、思想で、確たる意志で、覚悟を持って。神という存在を自らの手で侵していく。普通の人間にはまず出来まい。弱いからではなく、精神が耐えられないように設計されている」 「徒場良は、それに耐えられると?」 「ああ。黒鬼は白神と同格の存在だ、それ以下であれば何の問題もなく出来るな。だが、それを俺はしない。何故だと思う?」 「…………解らないけど」  軽くペダルを踏み込む九鬼。ほんの僅かな音の残響が室内に響く。二小節の休みの後、再び鍵を叩く。 「無意味だからさ。日本において神はそこら中に溢れている。たとい全て殺したところで、空位になった座には新しく何かが神の座につく」  それは世界がそういう風に出来ているから。 「サイクルなんだ。代替可能、必然的な歴史の収斂。どこまでいってもそれは変わり得ない」  人が滅びない限りはね、と九鬼は言う。つまり―――と、敷石は返す。 「神という存在を消すならば、人間を消すことが正しいルートということか?」 「そうだ。神なんてものは、人間の認識が創り出した虚像だからな。唯一神など、その宗教を完全に破壊すれば消えてしまう。昔、それをやってのけた人間が居ただろう」  大戦争で世界的な宗教を完全に消去しきった異能者。その手法は関係する人々を一人残らず異世界に隔離してしまう荒業だった。 「遠田海人は異常すぎるが、それでも非常に合理的な判断をしたと思う。俺には真似は出来んがな。で、志木島」  低音の鍵を強く叩いて、ぴたりと止める。急激な無音に耳が詰まったように感じられた。 「呪影の言う「廃神演義」は、何故必要なのだろうな。彼には何のメリットもないというのに」 「…………メリットがない、か。確かに「くらやみ」が望んでいるのは意志の存続、自我の維持というそれだけだな」 「ああ、それには俺達のような「呪影に対して有効な攻撃をできる存在」が邪魔なだけだ。だったら奴は、鬼をこそ排除するべきではないのか」 「確かにな。だと言うなら、リーファイは自分の目的のために動いているわけではないということになるけれど」  一体誰に?  首を捻る敷石に九鬼は「そう多くないだろう」と言う。 「知能を持つ存在が他者のために動くというなら、それは『恩』や『義理』のある者に限られる。あの呪影にそんな者が多く存在するとは思えんがな」 「…………それだと「あかいつき」しか居なくなるんだけどな」 「それしか考えられんよ、志木島の証言から推察するならな」 『あかいよる』をもたらした高位の存在、世界に干渉できる稀有な存在。そんなものを相手にするのは、できる限りは避けたいところなのだが。  思案している敷石に、九鬼は変わらぬ口調で声を掛けた。 「呪影が赤い月の下で実体化するのは、どういう理由だと思う?」 「ん? それは、意識が明確になるからじゃないのか」 「それもあるだろうが、それでは不十分だろう。赤い月の光は呪影が呪影であることを無効化するものだと思うのだが」  無効化。 「なんか逆な気もするけれど」 「そうか? 知能を持つならば、その思考を統合する実体が必要だろう。俺達だって脳がなければ何も出来んからな、それは呪影であっても例外ではないはずだ」  実体があるのが普通の状態、しかし何かの要因で通常時は呪影として虚ろに拡散している。 「空虚な器に知識は蓄積しないかというと、そういう訳でもないのだがな。魔纏牢の連中はそこに目をつけているらしい」  どこまで広いんだ、こいつの知識は、と舌を巻く敷石だった。 「知識じゃあない。集めた情報から推察しただけのことだ。この程度の思考力は、志木島も持っているだろう」  情報収集が足りないだけだ、と痛いところを指摘されてしまった。  何も考えずに暴れているだけでは、望む途には進めない。それを実感して、蒙昧だなあと呆れるのだった。  廃神演義は昔からあったのか、そう考えて調べてみれば、そうだと思われる過去は幾らでも見つかった。フィリスや修羅焔が巻き込まれた事例だけでなく、もっと昔から。 「千年以上前からじゃないか。聞いていたよりずっと古いじゃないか」 「そりゃあ、ねえ。時期的には世界の始まり頃だから」  隣でフィリスがディスプレイを覗き込んでいる。  表のネットワークだけでこれだけ見つかるのなら、実際はもっと数はあるはずだと推測していたが、全ての詳細を追うのは終わってからでもいいだろうと判断してブラウザを閉じた。 「結局、廃神演義自体には何の意味も無かった訳だけど」 「そう考えるとリーファイのやり方って、ほんとに傍迷惑なだけだね……。独り善がりというか、自己満足というか」  遠田海人の方が理論的で圧倒的で、普通に合理的なんだよな、と漏らした。フィリスもそれには同意してくれた。 「人間の強さって、時に世界を壊すからね。そこだけは気をつけなきゃならないんだけどさ」 「まあ、俺には無理だけどね」  敷石の口調には諦めに似た響きがあった。自分一人では世界には影響力を持てない、ただの人間でしかない自分というものに何かを求めることは出来なかった。  と、そうしていると情報処理室の扉が開き、猫子が這入ってくる。 「敷石くん、遊維ちゃんがどこか知らない?」 「さあ、さっきから校内を歩いてたけど見てませんね。どうかしたんですか?」 「うん、ちょいと話したいことがあったから。敷石くんにも聞いて欲しいから、ついてきて」  何か解ったことでもあるのだろうか、と考えた。良いことに思えないのは、猫子の表情が明るくないことから予想がついていた。 「外に出たとは考えにくいからね、校内のどこかだと思うけれど」  外は結界内に充満する呪影の霧で日光が遮られ、昼間なのに薄暗い。仕方なく廊下には灯りが点いていた。 「遊維ちゃんが普段やってることが解れば、場所も特定できるんだけど」 「あいつは暇な時には本とか読んでますよ」  乱読派なので、好みのジャンルは無いらしいけれど。 「ふうん? 今時珍しいね。じゃあ図書室か」  図書室は最上階の片隅に大きな空間を構えている。読書空間と自習室を兼ねているのでデスクが広いのと、蔵書数が多いのも特徴だった。  階段を上っていくと、図書室の前に収まりきらない書棚が置かれている。 「運営が見境無く仕入れるから入りきらないんだよね。古いものも価値が出てくるから、捨てることもできないし、処理に困るよね」 「古書店にでも売ればいいような気もしますけれど」 「それができないのが貧乏性ってことだよねー」  にゃははは、と面白そうに笑った。敷石も困ったように笑う。  扉を開けば、遊維が奥の方の椅子に座って文庫の本を開いているのが見える。ダレたように机の上に頭を乗せているのは、珍しいけれど。 「あ、どうしたのー?」  こちらに気付いた遊維は眠そうにしていた。本を読むのに集中している訳ではなかったらしい。本を伏せていつものように笑いかける。 「……?」  敷石には、少し歪んでいるように見えたけど。 「アミュレットに書き込まれているプログラムは単体で発動するものじゃなかったってことだよ。あれは人間の身体に読み込んで発動させるものだ。昨日の段階で気付けなかったのは仕方ないことだけれど」  そうは言うものの、猫子はプログラムの知識はそこまで多くはないようだったが。 「私のレベルでも解るくらい単純だったってことだよ。変な顔をしないの」 「んが」  鼻を摘ままれた。すぐに放される。 「話を戻すけど、単体では起動した人間の霊力を消費して赤い月を発現させるだけなんだ。昨日一時間で消えてしまったのは、敷石くんの霊力が尽きてしまったからなんだよ」  なるほど、と敷石は頷いた。確かにあの時は僅かな疲労を感じていた。鬼の力で支えていたから、動けなくなることはなかったけれど。 「これを人に読み込めば、『あかいつき』の権限を一時的に扱えるはずなんだ。そうすれば、『あかいよる』を再現できるはずだよ」  赤い夜、という言葉はわかるけれど、何故「赤」だったのかが敷石にはよく解らない。  そう口にしたら、遊維が知らないの? と意外そうだった。 「日本では赤と黒が反対色なんだよ。それぞれが明と暗、陽と陰を意味しているの。つまり赤と黒は基本的に交わらない。大陸から発生した陰陽説とはちょっと違うけれどね」  つまり、と猫子が続ける。 「赤い夜、というのは光と闇を溶かし混ぜる、矛盾と原初を意味する『混沌』に繋がる言葉なんだよ。赤き闇、わりかし古い言葉だけどね」 「矛盾、か。その辺りにリーファイの呪影としての本質がありそうだなあ」 「君、そういう察しは良いくせに、本当にものを知らないよね」  九鬼と同じことを言われた。 「まあ、しーちゃんは根っからの脳筋だし。頭は悪くないのにもったいないね」  そういうところが可愛いんだけど、とからかう遊維に視線を合わせず、敷石は面倒そうにしていた。 「で、そのプログラムって誰が使うんです?」 「勿論、遊維ちゃんだよ。解っていて訊いたでしょ」 「ええまあ。でも、これ以上関わらせたくないんですけど」 「知ってる。でも、適性があるのは遊維ちゃんしかいないんだよ」 「何故です?」  不機嫌そうに尋ねる敷石に、猫子は宥めるように「落ち着きなよ」と言ってから、「適性の問題だね」と続けた。 「赤色の力を扱う時は同じ赤色の性質を持つ人間にしか操れない。遊維ちゃんはそれに非常に近いから、ね」  正確には純粋な紅色なんだけど、と言い、アミュレットを遊維に渡す。 「今夜にでも、またやるんですか?」  その質問に猫子は「いいや」と首を振った。 「なるべく全員の状態が良い時に決行したいな。流石に次のブラッディムーンを待つ訳にはいかないし、早すぎても調子が出ないだろうし…………明日の夜くらいならいけるかな、とは思うけど」 「了解です。しっかり休まないとですね。ね、しーちゃん」 「ああ、そうだな」  最後まで不服そうに、敷石は応じるのだった。
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