1「ヒートブラッド」

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1「ヒートブラッド」

 昼間の陽気の中で、彼は中庭で昼寝をしていたことを思い出した。左手に握られた刀を手放しながら、芝生の匂いに塗れた黒い詰め襟をぱっぱと払う。  ポケットの中の携帯端末で時刻を見れば、どうやら昼休みは半分ほどしか終わってはいないようだった。それに安堵し、地面に置いているボトルの炭酸水を一気に呷った。 「おはよ、しーちゃん。うなされてたよ?」 「夢を見ていた記憶は無いけれど。なんか見ていたんかな」  隣に座る赤い髪の少女に返答する。何故か彼女は、少年の後を追ってくる癖がある。仔犬じゃねえんだから、と少年、志木島敷石(しきしま・しきし)は苦笑した。 「なんか失礼なこと考えなかった?」  それに対して少女、久繰坂遊維(くぐりざか・ゆい)は、怒ったような表情で詰め寄ってくる。 「別に。それよりお前、職員室に用事があるんじゃなかったのか」 「しーちゃんが寝てる間に終わらせたよ。二十分もあればどうとでもなるものだったから」 「あっそ」  五月半ばの天気は心地良いが、しかしそれでも学校全体に渦巻く様々な色の「霊力」は敷石の左眼には痛いくらいに眩しい。  登校時にコンビニで買い込んだ機械的に三角な握り飯を詰め込んで、咀嚼しているのを傍目に遊維は自分で用意した弁当箱を開いた。 「…………」  敷石はそれを理解しがたそうに眇め見て、そのほぼ野菜オンリーな食事にいつまでも拘る理由はなんなのか、考え始めていた。  いつからだったかは覚えていない。遊維が野菜を中心に食べていたのはそれこそ幼少期からだったかと思えてしまうレベルで当時から引いていたような。  何かがあったのだろう。  深く考えることが苦手な敷石は、食事を終えてもそのまま遊維の隣にいる。別段用事があるわけでもないが。 「五コマ目ってなんだっけ」 「呪術基礎」 「そうだったな。一番苦手なんだよなあ、理論を覚えるのはいいけど」 「しーちゃんは呪術は使えないものね」  そう言った遊維の視線が、地面に置かれている刀に向かう。黒い鞘に収められた直刃の直刀。日本刀としての美術的価値の一切を排除した、斬ることに特化した殺人剣。  ただ、敷石自身はそれを人に対して無闇には使わない。そもそもこんなものは、人が持つべき武器ではないのだが。因果にも似た何かが、かつての敷石を動かしていた。 「まあ、瑠璃高で鬼源装持ちって珍しいもんね。学年にも二、三人くらいだってさ」  一年生には敷石を含めた三人。  それらの武器を直接見たことはないけれど、少なくとも敷石の刀と同系統とは言えないらしい―――遊維が話したのはそこまでだった。  後ろから敷石を呼ぶ声が聞こえたから、仕方なく振り返る。 「敷石、宗谷先生がお呼びだ」  不機嫌そうにそう言っていた春壱にわかったと返し、立ち上がる。普段そんな表情をすることもない彼に、敷石は違和感を覚えた。  しかし、呼び出されているのならそれを無碍には出来ず、仕方なく春壱の横を通り過ぎて廊下をゆっくりと歩いていく。 「君、昨日何してた?」  黄色に光る大きな眼で見上げられて、その殺気に敷石は顔をしかめた。生活指導室に呼び出された時点で、そう問われることは予想できていたけれど、しかしこうも耳が早いとは思わなかった。 「寝てましたけど」 「誰でもね。夜八時頃の話だよ」  身長が低く、目線の高さは敷石の方が上だった。それでも、術師としての戦闘能力は宗谷猫子(そうや・ねここ)の方が高い。そうでなければ、ここでこうして人を糾弾することなど出来やしないのだ。  敷石は視線を空中でさまよわせて、どう誤魔化すか迷っている。  それを見かねたか、猫子は困り顔で羽織っている黒いシャツのポケットから数枚の紙を取り出した。 「写真ですか。こんなものはデータを弄れば幾らでも」 「いや、写真じゃない。念写像だよ」  そこには写真などではなく、掠れた色で刻まれた呪術による印字だ。というか、この技術は敷石がよく知っている。 「姉の技術ですか」 「彼女の残していった資料から起こしたダウングレード版だけどね」  姉は開発した呪術を余すことなく文書に起こして資料室に置いていったから、その技術は普通に存在しているのだが。  しかしその画像の真ん中に映っている敷石の姿が、明らかに戦闘時の一コマを切り取ったといった風情だ。  普通に言い訳不能だった。 「あー、別人ですかねえ」 「こんな特徴のある人物が君以外の筈がないでしょ。君が今腰に佩いている『鬼刀・修羅焔』は形状が独特だからね」 「……………………」  髪型、と猫子は敷石の頭を指差した。 「その跳ねた髪は生まれつき? 切っていないなら邪魔だとは思っていないって事だよね」 「んー」  別にどうとも思っていないのは事実だった。というより、切ってもすぐにこの一房だけは二週間ほどで戻ってしまう。処理するのが面倒で放っておいているだけのことだった。 「……いいじゃないですか、なんだって。俺は善人じゃないけれど、悪行放っておけるほど悠長な性格してませんよ」 「それは悠長というより普通に非情なんだよなあ」  まあ、いいか。  そう言って猫子はデスクの上に置いているファイルをめくる。 「斬撃で倒れたのは殆ど暴力団の構成員のようだし」 「ここまで規制された状態で暴れるのはおかしいとも思いますが」 「そうだねえ」  猫子は困った風に首を傾げた。銀色の長髪がさらりと揺れている。  おかしいのは二人とも感じているけれど、しかし何故、という辺りは引っ掛かるものはない。  五月に入ってから、瑠璃堂高校がある街全体が仄暗い霧に包まれているように違和感がある。感知能力の低い敷石ですらそう感じているのだから 、相当だろう。 「何らかの異常は起きているけれど、危険性までは判断できないね」 「そうですか。で、どうするんです? 俺はどういう処分を下されるんですか」  うん? と猫子は首を傾げた。不思議そうと言うよりは不可解そうだった。 「別に処分なんかしないよ。君のしていることは別に責められる行為じゃないもの。少なくとも現時点ではだけれど、一応ここに居るという事実が、それを保証しているからね」  まあ無闇に人を打ち倒す危険人物を入学させる理由もないだろうが、と敷石は納得した。 「それに、君には将来の目的があるんでしょう? それを見失うことのないように、その刀を放さない」  放せないと言うべきかな? そう言って猫子は右眼だけを笑わせる。器用な仕種だった。  現在姉と二人暮らしな敷石の状況は、あまり良いとは言えない。幼少期に親を亡くして、直後に刀を見つけて。崩壊しかけた精神を強引に立ち戻らせたのは良くとも、環境だけは変えようがなかった。 「……そうですね。それは、入学の時に話した通りですけれど」 「うん。まあ、君の事は八重子ちゃんに聞いていたし、面接で当たれたのは良かったよ」 「それって」 「まあ、誰でも君を落とすとは思えなかったけど」  能力は充分だし、それを重宝するのは当たり前だからね。そう言って猫子はポケットからマイクロSDカードを取り出す。  それを放り投げて、敷石が器用に指先で受け取るのを確かめてから、「でも」と続ける。 「一応はバレているから、追加で課題を課さなきゃならない。悪事でないから反省文は要らないよ。その代わり、そのカードに書かれている組織の中枢を破壊してきて」 「割と無茶苦茶言いますね。相手が人間なら負ける気はありませんが」 「まあ、人間だね。尖兵には複数の異能者がいるけど、それ以外は全員ただの人間だよ」  暴力団とは言っても、構成員全体に異能者が混じっているケースは少ない。内部にはそういう力は必要ないということなのか。  敷石はそれを承諾し、いつから動こうかと思考の隅で考え始める。 「一応、警察と連携している作戦だから」 「最初からそれを狙っていたんですか?」 「志木島くんが丁度よく出てきたからねえ」  最悪のタイミングだったようだ。偶然で抗争に巻き込まれるとは。 「あと、八重子ちゃんには助力は頼まないでね」 「わかってますよ。姉貴はこういう事案には不向きなのは知っているんで」  ならよし、と猫子が敷石の鳩尾を軽く叩く。話は終わりだという合図のようだった。  困ったように振り返り、敷石が扉をくぐるのを見てから、彼女は小さく息をつく。 「私も甘いかなあ。いくら志木島家に恩があるって言っても、普通なら当たり前に咎められるのに」  そんな声が届くわけもなく、猫子は椅子に凭れて天井を仰いだ。 「どうだった、さっきの話」  遊維は不安げに尋ねてくる。敷石を気にかける姿勢は今更鬱陶しくもないけれど、今回の案件を洗いざらい話すわけにはいかない。 「ん。ちょっと課題を出されただけだよ。大したことじゃない」 「入学早々に呼び出されること自体、大したことだろうが」  春壱に突っ込まれた敷石は、そうでもないと首を振った。 「中学の時は結構あったことだから」 「おや、お前案外そういう風な」 「違うって。表に出せない案件を頼まれることがあったんだ。俺だけじゃないし、他の鬼源装保持者とチーム組んだこともあるから」 「今回も?」 「ああ。だが、今回は俺一人だとさ。詳しいことは教えられないけれど」  そんな事を平然と言ってのける敷石に対して、遊維が何故か不機嫌そうに見上げている。 「それ、しーちゃんがやらなきゃ駄目なこと?」 「さあな。少なくとも、求められているなら、応える必要はあるとは思うけれど」  遊維は応えない。今度は不機嫌というより、哀しそうな表情に変わっている。昔から強情なところが変わらないな、と敷石が思っていると、 「じゃあ、わたしも行く」  なんて言い出した。 「駄目だ」  即答で却下した。  敷石一人でと条件を出された以上、それに違反するわけにもいかないし、遊維に作戦を遂行できる強さがあるとは思えない。身体的にも、能力的にも、精神的にも。  だから、ここではっきりと言っておく必要がある。 「勝手に付いてくるのも駄目だからな。今回だけは許容できない。自己責任なんて言葉でも誤魔化されない」 「うー。じゃあ、これ」  と、遊維が何かを手渡す。  掌に載っているそれは、ガーネットを加工して作られたアミュレットだった。  理解しがたそうにそれを眺めている敷石に、遊維が説明を付け足す。 「鉱石は呪力の媒体だから。どこかで役に立つと思うよ」 「そうか、うん。ありがとう」 「……ふひひ」  表情のくるくる変わる奴だ、と感心していると校内にチャイムが鳴り響く。 「まずった、授業始まったな」  春壱が駆け出し、遊維もそれに続いた。しかし、敷石は二人についていこうとはせず、ゆっくりと廊下を歩いていく。呪術基礎を受ける必要のない敷石には、急ぐ理由が無い。単に授業を一コマ受けなかったという記録が残るだけだ。 「まあ、サボるわけじゃないし。宗谷先生に呼び出されただけだものな」  独り言ちて、腰の刀に手を当てた。敷石の体内に鬼特有の邪気が染み入ってくるけれど、疾うの昔に慣れきっている感覚だ、どうということもない。 「あまり騒ぐなよ、ここはそういう場じゃない」  刀が微かに震えた。 「解っているならいいさ」
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